肉体労働に明け暮れた20代の猪瀬直樹氏を支えたのは今亡き妻

NEWSポストセブン / 2013年9月13日 16時1分

「(勝因は)チームワークですよ」──日本時間9月8日未明、アルゼンチンのブエノスアイレスで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会で、2020年夏季五輪の開催地が東京に決定した。決定直後、副知事時代から6年にわたって五輪招致に尽力してきた猪瀬直樹東京都知事(66才)は笑顔でそう語った。

 だが、その“チーム”には、現地にはいなかったメンバーが存在する。昨年12月、都知事に就任してからの猪瀬氏は、海外での記者会見やプレゼンテーションなど、五輪招致に奔走し多忙を極めた。その傍らには、常に妻・ゆり子さん(享年65)の姿があった。今年1月のロンドン、4月のニューヨーク出張にも同行。3月にIOC評価委員会を東京に迎えた際には、夫妻でテニスの腕前も披露した。

 ゆり子さんは、去る7月21日、悪性脳腫瘍のため亡くなった。まだ65才という若さだった。猪瀬氏がゆり子さんと出会ったのは、ふたりが大学生の時だった。

「ぼくが19才、彼女が18才だった。目と目が合った瞬間、光の速度で一心同体で生きると決めたんです」(猪瀬氏)

 1970年2月、卒業を前にして、ふたりは上京を決意。一足先に猪瀬氏が上京し、生活の段取りをつけた。そしてある夜、ゆり子さんは小さなスーツケースを片手にそっと家を抜け出し、夜行列車に飛び乗った。家族に見つからないよう、布団を膨らませ、寝ているように見せかけてまで。

 彼女の家族は、猪瀬氏との結婚に大反対だった。旧家で、ゆくゆくはエリート銀行員か有力者の子息と結婚するものと周囲は思っていたからだ。しかし、ゆり子さんは迷わず猪瀬氏を選び、東京・中野の粗末なアパートに落ち着き、同棲生活が始まる。

 10代の頃から、作家になることしか考えていなかった猪瀬氏は、常々石原慎太郎氏(80才)や大江健三郎氏(78才)が芥川賞を受賞した23才までに、芥川賞や直木賞をとると豪語していた。

「自分では、明確に書きたいものが見えていたけれど、時代の風に合わないといけない。だから、純文学も、批評も、ミステリーも、ノンフィクションも学術論文の要素も兼ね備えた“新製品”を作らなければと考えているうちに、時間が経っていって…」(猪瀬氏)

 20代は編集者やビルの窓の清掃、工事現場でがれきの片付けをするなど職を転々とした。その間、ゆり子さんは小学校の教師となり、家計を支えた。そんな状況に、周囲は「どうしてあんな男と結婚したんだ」とゆり子さんを問い詰めたという。

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