自宅で末期がんの母看取った小池百合子議員 介護生活を回想

NEWSポストセブン / 2014年1月12日 16時0分

 住み慣れた自宅で、愛する家族に看取られて逝きたい…。そう願う人は多いが、現実は80%が病院で死亡し、自宅で亡くなる人は12%にすぎない。在宅介護の家族への負担はあまりに大きく、多くの者が躊躇してしまうのも無理はない。そんななか、覚悟を決めて末期がんの母を自宅に連れ帰ったのがの小池百合子議員(61才)だ。現役国会議員という激務にもかかわらず、彼女がそんな決断を下した理由とは。介護、看取りの一部始終とともに、初めて明かした。

「昨年5月に父が90才で亡くなりました。晩年、父は特別養護施設でお世話になり、最期は病院で息を引き取りました。その日の午後、母と一緒に父を見舞いまして、母と自宅に戻ったのですが、深夜3時に容体が急変して、そのまま…。父の死に目に会えませんでした。だからせめて、母だけは最期まで私が看たいと思って…」――小池さんは涙を浮かべながら、そう話した。

 2003年の小泉内閣時代は環境大臣に任命され、その後、女性初の防衛大臣も務めた彼女は、“強い女”のイメージが定着している。

 しかし、本誌のインタビューで彼女が見せたのは、何よりも最愛の母との時間を大切にしたひとりの娘としての素顔だった。

 父・勇二郎さんの死からわずか4か月後の2013年9月16日、母・恵美子さん(享年88)も後を追うようにこの世を去った。小池さんにとって、恵美子さんは常に自分の最大の理解者だった。

 学生時代、小池さんが日本人としては珍しく、エジプトのカイロ大学に留学を決意すると、反対されるという予想を裏切り、「良いチョイスだね」と母は大賛成してくれたという。

 そして彼女が留学から日本に戻ると、今度は恵美子さんが、「カイロで本格的な日本料理店を開く」と言い出した。その理由は、娘を訪ねてカイロに行った時、日本料理店で食べたすき焼きの味に不満を覚え、「自分が本当の日本食を現地で提供したい」と考えたからだった。

 専業主婦で、経営の素人だった恵美子さんは、当然ながら家族の猛反対を受けるが、それを押し切って開店。最終的には勇二郎さんの支援も得て、20年間、カイロで店を切り盛りしたという豪傑女史だった。

「15年ほど前に帰国した後は一緒に暮らしました。ああいう母ですから、よく政治や政策をめぐって議論しましたね…」(小池さん、以下「」内同)

 そんな恵美子さんが病に倒れたのは、2012年秋のことだった。検査で初期の肺がんが見つかったのだ。しかし、彼女は入院ではなく、自宅療養の道を選んだ。

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