理研97年の歴史 その流れ汲む企業やノーベル賞受賞者も多い

NEWSポストセブン / 2014年3月4日 7時0分

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理化学研究所の酵素研究チーム

 小保方晴子さんの「STAP細胞」発見で注目を集めている、日本で唯一の自然科学の総合研究所「理化学研究所」。契約任期のある研究者の平均年齢は39歳と大学に比べはるかに若く、リーダーへの抜擢も多い。リーダーとなれば、研究テーマはもちろん、予算や人事にまで裁量権を持つ。学閥や国籍の垣根もなく、女性にも広く門戸が開かれている。

 とはいえ、多くの研究者は1年ごとの契約更新が義務付けられているため、研究成果を残さなければその場を去らねばならない。だが、この重圧が研究への大きなバネとなっているのも事実だ。

 大学の研究室では、なかなかこうはいかない。若手の助教が研究グループを指揮することなどないうえ、たとえ教授になっても授業に時間を取られて研究に専念することは難しい。

 若い研究者が思う存分研究に専念できる「科学者の楽園」。この伝統は今に始まったことではない。97年の歴史をひもとけば、その礎を築いたのは第3代所長の大河内正敏だった。東京帝大教授で貴族院議員でもあった大河内は、理研で生まれた発明を商品化することで自前の研究費をねん出した。

 タラ肝油からつくったビタミンAは当時国民の栄養失調を補う特効薬「理研ヴィタミン」として大ヒットし、電気工学の研究から生まれたアルマイト加工技術も多額の収入を理研にもたらした。設立された会社は63社にのぼり、15大財閥の一つ、「理研コンツェルン」として国家プロジェクトに関わっていった。

 戦後は財閥解体で縮小したが、リコーや協和発酵キリンなど、その流れを汲む企業は多く、同時に湯川秀樹や朝永振一郎など、多くのノーベル賞受賞者を生んだ。

 一方、研究に付随して次々と工場建設が計画され、若き田中角栄も大河内の知遇を得てその後の基盤をここ理研で築いたことはあまり知られていない。また、戦時中は日本初の加速器サイクロトロンを開発した仁科芳雄が旧陸軍の依頼で原爆の研究に関わる一方、戦後になるとペニシリン生産などの会社を立ち上げるなど、理研の活動は多岐に及んだ。

 ノーベル化学賞受賞者の野依良治博士が2003年に理事長に就任し、独立行政法人として歩み出してからは、450億円を投じた重イオン加速器施設「RIビームファクトリー」や1111億円をかけたスパコン「京」、X線自由電子レーザー「SACLA」など、世界最高水準の研究基盤を運用。4月からは「京」の100倍の性能を持つスパコンの開発が始まる。

 写真で紹介しているのは、環境資源科学研究センター/酵素研究チーム。チームリーダー沼田圭司氏(33)は、植物からプラスチックを作り出す研究に取り組む。4月からは海洋光合成細菌を使った研究も始まるが、平均年齢32歳の若きメンバー12人が支えている。

 こうした厳しくも最高の環境の中で多くの若き研究者が日夜研究に取り組んでいる。そして彼らが生み出す「世界初」の発明や発見が我々を歓喜させ、科学技術立国ニッポンを支えているのである。

撮影■二石友希

※週刊ポスト2014年3月14日号

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