黒田官兵衛と竹中半兵衛 友情の絆示す逸話を松平定知氏紹介

NEWSポストセブン / 2014年4月17日 7時0分

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関ヶ原古戦場に立つ松平定知氏

 NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』が放映中だが、数々の策略を巡らせた黒田官兵衛と竹中半兵衛の因縁の地・関ヶ原を訪れたのは、新刊『謀る力』(小学館新書)を上梓したばかりの元NHKアナウンサー・松平定知氏。松平氏が関ヶ原で、二人の関係に思いを馳せる。

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 いま私が立っているのは、岐阜県関ケ原町にある岡山の頂上です。天下分け目の戦い、関ヶ原の合戦で、この山頂に陣を張ったのが黒田長政と竹中重門でした。この二人がともに手を取り、西軍の島左近軍と対峙したときの胸中はいかばかりかと、合戦の日に思いをはせます。というのも、この二人の間には深い因縁があるからです。長政と重門はそれぞれ、豊臣秀吉に仕えた二人の軍師、黒田官兵衛と竹中半兵衛の嫡男です。

 先日発売された拙著『謀る力』では、戦国武将らが生き残るためにいかに策を巡らせていたかを紹介し、現代を生きるヒントを提示しています。その中で、“秀吉の二兵衛”と称されたこの二人についてももちろん触れています。

 官兵衛の“謀る力”が最大限に発揮されたのが、歴史に残る「中国大返し」です。本能寺の変の報を受けた官兵衛は、すぐさま毛利軍と和議を結ぶと、数万の軍勢を率いて猛スピードで京に駆け戻り、明智光秀を討ち取りました。秀吉がポスト信長のトップに立ち、天下獲りに近づくよう謀ったのです。

 一方の半兵衛がその名を天下に轟かせたのが、難攻不落とされた斎藤龍興の稲葉山城攻略です。龍興に弟を人質にとられていた半兵衛は、弟の病気見舞いと称し、変装させた家臣を引き連れて堂々と稲葉山城に登城、夜間に城の内部から蜂起して城を乗っ取りました。

 この二人の間には友情の絆を想起させるこんなエピソードがあります。官兵衛の子・長政は、幼少時に官兵衛が織田派に乗り換えた際に人質として信長に差し出されました。その後、信長の家臣の一人が反旗を翻したとき、官兵衛は単身で説得に向かいましたが、捕えられ幽閉されてしまいます。

 信長は、音信不通となった官兵衛を寝返ったと思い込み、「人質を殺せ」と秀吉に命令します。このとき半兵衛は、官兵衛を信じ、信長に内緒で長政をかくまいました。長政は半兵衛に命を救われたのです。

 一方の半兵衛の子、重門はもともと西軍に属していましたが、長政の説得で東軍に移りました。関ヶ原は重門の領地で、彼の案内で長政は軍を指揮し、石田三成の喉元に匕首を突きつけるように迫り、東軍勝利に貢献しました。重門は長政のおかげで勝ち組に残れたといえます。

 世代を超えて友情の絆が継承されていたと思うのは、私だけではないでしょう。(談)

撮影■太田真三

※週刊ポスト2014年4月25日号

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