太川陽介「レッツゴーヤング」でかぶり物した松田聖子を尊敬

NEWSポストセブン / 2014年4月20日 7時0分

 1974年からNHK総合テレビで毎週日曜18時から40分間放送されていた伝説の歌番組。それが『レッツゴーヤング』だ。カリスマ的な人気を誇ったこの番組には、“新御三家”や田原俊彦(53才)、松田聖子(52才)など当時のトップアイドルが多数出演。歌やトークを繰り広げていた。

 2012年11月、『レッツゴーヤング』が1日だけコンサートで復活した。1977年に結成された『レッツゴ―ヤング』(以下・レッツヤン)オリジナルグループ、サンデーズの初代メンバーで2年活躍。その後司会に抜擢され、番組終了までの7年間務めあげた。まさに“レッツヤンの顔”といえる太川陽介(55才)。

「ぼくが初出演した1977年当時、司会は作曲家の都倉俊一さんでしたが、翌年には人気絶頂だった狩人とピンクレディーが担当することになったんです。その時、ぼくはサンデーズ2年目だったにもかかわらず、“次は自分が司会をやる!”と強く思ってね。それで当時、番組の進行は台本通りに行われていたのですが、ぼくは、どうしたら番組が面白くなるのかを一生懸命考えて、アイディアをディレクターに提案したりしていたんです。その努力が報われたのか3年目には夢が叶いました」(以下・太川)

 番組はNHKホール(東京・渋谷)で公開収録されていた。

「放送時間と同じ40分間で収録していて、ほとんどカットなし。時間調整も司会の仕事。ちょっとでも時間が長くなってしまうと、ぼくたち司会が本番中に台本を短縮したりしていました。セット替えの時にスタッフが画面に映っているとか、ある程度のハプニングもそのまま放送していたので、生放送だと思っていた人も多かったですね」

 出演者が歌詞や振りを間違えても、撮り直しはほとんどしなかった。その臨場感を大切にしてきたからか、レッツヤンの人気はさらにうなぎのぼり。1980年代には近藤真彦(49才)などカリスマ的な人気を誇った男性アイドルが続々登場し、会場の熱気は最高潮に達した。

「あの頃は、観客の声援で隣にいる人の声が聞こえないほどで、口の動きを見て何を言っているのか判断して進行していました。  番組にはシンディ・ローパー(60才)のような海外の大物アーティストもたくさん出演しましたが、彼らが毎回、会場の熱気に驚いている姿を見るのも楽しみでした」

 太川が司会を務めた1979~1985年度まではアイドルがメーンで司会を務める時代だった。なかでも1981年度は当時、人気絶頂だった田原俊彦や松田聖子と番組を進行した。

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