似非インテリの言葉の誤用は落語『酢豆腐』の滑稽な男と同じ

NEWSポストセブン / 2014年7月19日 7時0分

 ここ数年「真逆(まぎゃく)」という奇妙な言葉を見聞きするようになった。この背景には、とにかく漢字表記を廃せ、平仮名書きせよ、という国語平易化改革の文化圧力があると思われる。その結果、「真逆(まさか)」という漢字表記は廃絶されたものの「真逆(まぎゃく)」という奇妙な漢字語が出現した。平易化イデオロギーは、期待とは正反対の漢字表記の混乱という結果をもたらしたのだ。

 先日、真逆(まさか)と思う例に出くわした。岩波文化を論じたある本が文庫化されたが、その解説文中に「文系学生と理系学生の特徴が日本と欧米とでは真逆様(まぎゃくよう)になっている」とあった。わざわざルビまでふってある。これじゃあ、せっかくの名著も無教養の奈落に真逆様(まっさかさま)である。この解説者は、教養の没落についての好著を何冊も著している。真逆(まさか)この学者の文章にこんな言葉が出てくるとは思わなかった。

 言葉の乱れは、誰でも口をはさみたくなるテーマである。新聞の投書欄など、言葉の乱れを嘆く亜インテリたちの“御高見”で、いつもにぎわっている。「亜インテリ」とは政治思想家・丸山真男の造語だが、なかなか言い得て妙である。付言しておくと、丸山真男は「まるやま・まさお」と読む。「まるやま・まおとこ」ではない。

 亜インテリの好む日本語の乱れ論は、おおむね、ラ抜き言葉や「ぞんざい語」批判のたぐいである。こういう乱れた言葉は、確かに美しくはない。しかし、一面では、乱れるには乱れる理由がある。簡単に言えば、誰でも格調高い言葉を使うよりラクな言葉を使いがちだ、ということである。これは人間の本性である。

 服装を例に取れば分かりやすいだろう。三、四十年前までは、人前に出る時はネクタイ・背広が普通だったが、現在ではポロシャツ・綿パンも珍しくない。それでも、葬儀にアロハシャツ・ジーパンで行く人はいない。美意識というものは、時代の変化を受けつつも保守的なものである。美は伝統の中で形成されるからである。

 私は大学の文章表現法の講義で、服装の譬(たと)えを出しながら、こう教える。ラ抜き言葉は、文章では使わない。諸君は将来、人前で講演するような機会もあろうが、講演などでは文章に準じてラ抜き言葉は使わない。面接などでも、避けた方がよい。友人たちとの会話では、使ってもかまわない。これは、諸君が活躍する以後五十年間ほどの準則である。それ以後は変わるかもしれない、と。

 しかし、美意識ではなく、論理に関わる言葉は常に正しく使わなければならない。なぜならば、言葉はロゴスだからである。ロゴスとは、論理とともに言葉をも意味するギリシャ語である。言葉を使うことを仕事にし、論理的であることを職業にする学者、ジャーナリスト、文筆家が正しい言葉を使わないのは、職業人として恥である。

 むろん、誰でもうっかりミスはある。ないに越したことはないが、それでもミスはある。真に恥ずべきは、平易な言葉を使えばいいのに、意味を知りもしない難しい言葉を得意気に誤用する人たちである。こういう人たちは、亜インテリより悪質な似非インテリである。落語に『酸豆腐』という話がある。カビの生えた豆腐をそうとは知らず、通人ぶって「おつな味でげすな」と得意気な男の滑稽談だ。似非インテリの言葉の誤用は、これと同類である。

文■評論家:呉智英

※SAPIO2014年8月号

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