【著者に訊け】岡本和明 伝記読物『俺の喉は一声千両』語る

NEWSポストセブン / 2014年8月29日 16時0分

【著者に訊け】岡本和明氏/『俺の喉は一声千両 天才浪曲師・桃中軒雲右衛門』/新潮社/2200円+税

 浪花節は意外にも維新後、東京で誕生した新しい芸能だという。当初は寄席にも上がれず、〈ヒラキ〉と呼ばれた葦簀(よしず)張りの小屋や野天が主な舞台。落語や歌舞伎を凌ぐほど人気を博すのは、明治も半ば以降のことだ。

 その中興の祖・桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)が、『俺の喉は一声千両』の主人公。著者・岡本和明氏の曾祖父でもある。評伝というよりは小説風の伝記読み物といった趣だが、師匠の妻君と駆け落ちして東京を追われ、博多を拠点に再び東へ攻め上る間には、宮崎滔天(とうてん)や玄洋社・頭山満(とうやまみつる)といった傑物との出会いもあった。特に孫文の支援者でもあった滔天は、またの名を桃中軒牛右衛門。師匠を〈日本一の芸人〉にするべく奔走した愛弟子なのだ。

 実は浪花節が虐げられた理由は、その出自にあった。浪花節発祥の地・芝新網町は当時の東京三大貧民窟の一つ。だが、逆境をバネに雲右衛門は今日も呻る(うなる)!

 なぜ今浪花節? と訝る向きもあろうが、卑近な例では朝ドラ『花子とアン』で仲間由紀恵演じる蓮子のモデル・柳原白蓮と結ばれるのが、滔天の長男・龍介。また、日清・日露戦の勝利に沸く中、〈武士道鼓吹〉をキャッチに掲げた雲右衛門の十八番『義士伝』の完成には大アジア主義を標榜する政治結社・玄洋社の協力が不可欠で、時代と浪花節、近代と現代は、今も見えない形で繋がっているのだ。

「龍介は幼い頃、雲右衛門に浪花節を習ってますからね。個人的には滔天や雲右衛門にもぜひ朝ドラに登場してほしかった!(笑い)」

 もっとも『これが志ん生だ!』等で知られる岡本氏にとっても明治は遠い存在だった。家系的には氏の父方の祖母が雲右衛門の娘にあたるが、

「まだ父(超常現象研究家・中岡俊哉氏)が生きていた頃です。祖母の姉妹だという人から雲右衛門の墓の管理のことで突然電話があって、特に家の中で話題に上ることもなかった曾祖父が急に身近に思えたんですね。雲右衛門の名前は芸能の歴史に必ず出てくる。浪花節は定席や芸人の数でも落語や講談を大きく凌ぎますが、その中心にいたのが明治45年に伝説の歌舞伎座公演を大成功させた雲右衛門だったのです」

 彼の喉は高貴な人々をも魅了し、三味線の名手だった後の妻・お浜と編み出した斬新な節回しは伊藤博文や有栖川宮妃殿下が屋敷に彼を招いて聞き惚れたほど。その前段の不遇時代、20代の彼が旅に身を窶す第一部「彷徨」から物語は始まる。

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