皇后を間近で見た佐野眞一氏 若々しく比類なき存在感に驚く

NEWSポストセブン / 2014年9月20日 7時0分

 美智子皇后が民間から初めて皇室に嫁がれ、55年の歳月が過ぎた。ご成婚で国民は“ミッチーブーム”に沸き、熱狂し、いまも慕われ敬われている。なぜ国民は美智子皇后の眼差しに畏敬の念を覚えるのか。美智子皇后と平成日本の深い繋がりを佐野眞一氏が記す。

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 今夏、日本最高気温を記録した群馬県館林市が、戦時中、皇后陛下の疎開先だったことを知る人はもうあまりいない。

 2008年4月、天皇・皇后両陛下は美智子妃の父・正田英三郎氏の出身地でもある館林市を行幸啓した。この日の両陛下の公式日程は、同じ群馬県内の太田市や大泉町を訪れ、そこの自動車部品工場などで働く日系ブラジル人労働者たちと懇談することだった。

 その帰路立ち寄った館林市役所で、皇后と疎開生活を共にした約20名の同窓生との懇親会が開かれた。しかし、この懇親会については一切事前発表されなかった。皇后はなぜ自分のスケジュールをそこまで秘密にされたのか。

 今から60年以上も昔の疎開生活を語り合う同窓会をもったとしても、皇后は公務にプライベートな時間を持ち込んだと言って非難する日本人は一人もいないはずである。その謎は、宮内庁幹部との面談でようやく解けた。

「2008年は日本からブラジルへの移民が始まってちょうど百年目にあたります。ところが、海外の日系人について監督ケアする組織がない。両陛下はその空白部分を担うことをいつも強く自覚されています。皇后陛下が同窓生との懇親会について発表を控えさせたのは、大きく報じられると、本来の目的である日系ブラジル人への表敬訪問が薄れると思われたためだと思います」

 これには驚いた。皇后はいつもそこまで“政治”に抵触しないよう気を配りながら行動されていたのか。皇室は政治に直接タッチすることは厳しく制限されている。わかりやすくいえば、天皇皇后はいつも政治という“ストライクゾーン”に入らないぎりぎりの球で行動するよう万全の配慮をされている。

 皇后を間近に見るのは、実はこれが初めてだった。淡いピンクのツーピースに身を包んだ皇后は、当時73歳という年齢にはとても見えなかった。

 それ以上に驚かされたのは、皇后の比類なき存在感だった。皇后は市役所前広場を埋め尽くした群衆一人ひとりに向かってにこやかに手を振ったが、手を振られた群衆は、誰もが自分だけに向かって手を振ってくれたと思ったはずである。

 私もその一人だった。あなたの本は読んでいますよ。無類の読書家として知られる皇后は無言のうちにそう語りかけているように思えた。そう思った瞬間、私は驚きというより畏敬に近い感情を覚えた。

 この女性は誰にでもそう思わせる“身体性”を備えているのでないか。“身体性”とは言葉を換えれば、時代の空気やあたりの風景とたちまち“交感”できる能力のことである。その“身体性”は、夥しい眼差しにさらされてきた彼女の長く苦しい修練期間を物語っているようでもあった。

 多くの人々の視線を浴びる体験というなら、人気アイドルもそう変わらない。しかし人々が松田聖子を“見た”という体験と、美智子皇后から“見られた”という体験は意味が異なる。松田聖子を目撃したという体験は一時の思い出として淡雪のようにすぐ忘れ去られていくが、美智子皇后と“交感”したという体験は、いつまでも心の奥底に刻まれる。

 私たちはその稀有な体験を通じて、ああ我々はこの比類ない能力をもった方と同じ時代を生きているのだな、という歴史的“共生感”を感じ取ることができるのだ。

※SAPIO2014年10月号

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