「スサノオノミコトは朝鮮半島からやってきた」と梅原猛氏

NEWSポストセブン / 2014年9月16日 7時0分

『週刊ポスト』で平成4年から20年以上にわたり連載が続く歴史ノンフィクション『逆説の日本史』。単行本、文庫本等のシリーズ累計部数がついに500万部を突破したこの大人気作品の原点は、著者・井沢元彦氏が「師」と仰ぐ哲学者・梅原猛氏との「出会い」にあった。今回、2人が出雲王朝の謎について改めて語り合った。

井沢:梅原先生は『葬られた王朝』で、出雲王朝が実在したと述べておられますが、どのような政権だったととらえていらっしゃいますか?

梅原:現在の天皇家につながるのがヤマト王朝ですね。そのヤマト王朝が奈良時代に編纂したのが『古事記』や『日本書紀』です。これら『記紀』に述べられている神話を読んでみますと、ヤマト王朝以前に出雲王朝があったとしか考えられません。

井沢:それは間違いないと思います。

梅原:その出雲王朝の祖先であるスサノオノミコトは、『日本書紀』を読むと、どうやら朝鮮半島からやってきたらしい。

 さらに、出雲王朝でもっとも大切にされていた宝器は銅鐸です。銅鐸は朝鮮半島で使っていた馬の鈴がその原型と考えられます。馬の鈴が大きく立派になって銅鐸になった。だから、出雲王朝というのは朝鮮半島からやって来た人たちの王朝であって、はじめは出雲を中心とした地域を治めていた。

 そしてスサノオの子孫のオオクニヌシノミコトが日本をはじめて統一した人物でしょう。東日本はまだ治めてなかったとしても、西日本をほぼ統一した国家をつくっていたはずです。

井沢:つまり、出雲王朝とは先住開拓民による王朝だったのですね。

梅原:その出雲王朝を、南九州からやって来た王朝が滅ぼして新しい統一国家をつくった。これがヤマト王朝だと思います。彼らがもっとも大切にした宝器は銅鏡です。

井沢:「銅鏡」という考古学用語は、大和言葉(漢語などの外来の言葉を除く、日本固有の言葉)でいえば「かがみ」ですね。同様に「銅剣」は「つるぎ」です。ところが、「銅鐸」に対応する大和言葉はないのですね。

梅原:ありません。

井沢:ということは、銅鐸は存在そのものを消されたのでは?

梅原:銅鐸は明らかに破壊されてから埋められたものが、あちこちから出土しています。これは銅鐸の信仰、すなわち出雲王朝の権威を否定したのでしょう。それを行なったのは、言うまでもなくヤマト王朝です。

井沢:ヤマト王朝は、出雲王朝の王であるオオクニヌシを滅ぼした。滅ぼされたものは祟るからそれを鎮魂しなければいけないという“梅原の定理”に従えば、出雲大社はオオクニヌシ鎮魂のための神社、いいかえればオオクニヌシを封じ込めている場所、と言えますね。

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