木佐貫洋 同郷のライバル杉内俊哉に投げ勝った白星が思い出

NEWSポストセブン / 2015年10月21日 7時0分

 プロ野球選手の引退が発表されると、その選手の記憶に残る「名プレー」の数々が思い出される。今年、北海道日本ハムファイターズを引退した木佐貫洋投手(35)にとって忘れられないプレーは、同級生との試合だった。引退を決めたときも、同級生たちの顔が思い浮かんだ。

「アイツよりも先に辞めるのか……」

 木佐貫は昨季はわずか5試合の登板(1勝3敗)にとどまり、今季の一軍登板は引退表明後の試合(9月30日)で1イニング投げただけだった。戦力外通告を受け、同級生よりも先に辞める無念を感じたという。

 木佐貫は“松坂世代”の1人。その黄金世代も30代後半に突入し、引退する選手が増えている。

「亜細亜大学で一緒にプレーし、プロ入り後に新人王を争った広島の永川(勝浩)よりも先に辞めることには正直、悔しさを覚えました」(木佐貫、以下「」内同)

 巨人に同期入団し、今シーズン途中から日ハムで同僚となった矢野謙次に、戦力外通告を受けたことをいち早く相談していた。

「謙次とは家も近く、二軍の練習場まで彼の車に乗せてもらうこともあったんです。その道中に、“引退することに決めたよ”と伝えました。彼はこちらを見ずにハンドルを握ったまま“そうか……辞めちゃうんだなァ”と呟いていました。薄々気づいていたんでしょうね。この時の彼の寂しそうな横顔ったらなかった」

 忘れられない試合も、同級生との一戦だった。2013年5月の交流戦での巨人戦は、古巣との対決であることに加え、同じ鹿児島県の高校に通い、当時からライバルだった杉内俊哉投手と投げ合った。

「トレードで入団したのにホームの札幌ドームで勝てず、ファンやチームに受け入れられていないと感じていたので、この試合は絶対に勝ちたかったんです。しかも相手は同級生の杉内投手。高校3年の時、夏の県大会決勝で彼の高校(鹿児島実業)に負けていました。それ以来の対戦で、試合前からメチャクチャ緊張していました。

 結果、7回1失点の僕に勝ち星が付いた。ヒーローインタビューを受けている時、“あぁ、勝ててよかった”と本気で思えた。この試合は一生忘れない」

 苦い記憶もある。ルーキーイヤーのオープン戦で結果を出し、原辰徳監督から「オープン戦のMVPは木佐貫だ」と絶賛されて挑んだ公式戦初登板(対中日)だ。

「1回1/3を投げて5失点で降板。ボコボコに打たれました。その時、プロのバッターはオープン戦では本気を出していない、ということを思い知らされた。糠喜びでした。この試合は今でも夢に見ます」

●木佐貫洋(きさぬき・ひろし)/1980年鹿児島県生まれ。2002年、亜細亜大学から読売ジャイアンツに自由獲得枠で入団。2003年に新人王を獲得するなど活躍。その後、オリックスから日本ハムへと移籍。通算成績は215試合に登板、62勝72敗10セーブ、防御率3.76。

※週刊ポスト2015年10月16・23日号

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