小学生をかばった交通安全員 最期まで「子供は大丈夫か?」

NEWSポストセブン / 2017年2月9日 11時0分

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事故現場の献花台を多数の地元住人が訪れている

 信号機のない国道の交差点脇に、小さな献花台が設けられている。「子供たちの安全に対する長年のご尽力に畏敬の念を抱きます」「見守り活動お疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします」。台上には仏花と共に地域住人からの手紙が供えられ、日本酒やビールも並ぶ。

 1月30日朝8時、島根県益田市で、集団登校中の児童の列に軽トラックが突っ込んだ。時速70km近いスピードが出ていたとされ、運転手からは基準値を大幅に超えるアルコールも検出された。

 大惨事に発展してもおかしくなかったこの事故だが、児童に死者は出なかった。とっさの判断で、子供を脇に突き飛ばした男性がいたからだ。

 三原董充(ただみつ)さん(73才)。通学路の見守り隊としてこの日も児童を引率していた彼は、身を挺して子供をかばい、亡くなった。

「父らしい勇敢な行動だったと思います。だからこそ、あの子は助かったよって、父に伝えたかった…。生きて、これからも子供たちを見守ってほしかった…」

 三原さんの長女、摩弓さん(42才)が言葉を詰まらせる。子供の安全のために尽くした三原さんの半生を、彼女が明かした。

 1943年、同市久々茂(くくも)町に生まれた三原さん。5人きょうだいの長男で、父は大工。一家は赤貧の生活を送っていた。

 中学卒業後、手に職をつけようと大阪で紳士服店の見習いになった三原さんは、そこで仕立てを学び、帰省して洋裁店を開いた。

「母とは見合いでした。夫婦で小さな店を切り盛りして。私が生まれた時も忙しくしていたそうです」(摩弓さん)

 2年後の1976年、次女の舞子さんが生まれた。両親は娘2人を深く愛していた。

「もともと父は子供が好きだったんです。率先して地域の子供会を作り、クリスマス会を開いたり。“子供は宝だから”が口癖でした」(摩弓さん)

 だが、1983年12月5日、一家を悪夢が襲う。当時小学2年生だった舞子さんが下校中、ミキサー車に轢かれて亡くなった。奇しくも現場は、今回事故のあった交差点の至近だった。

「母は泣き崩れましたが、父は人前で涙を見せなかった。ただ、心も体もボロボロだったはずです」

 酒が入るといつも舞子さんを思い出し、こう嘆いていた。

「おれが代わってやりたかった。おれがこの年まで生きて、なんで舞子は…」

 再生への転機は、摩弓さんの結婚と出産だった。初孫を溺愛していたという三原さんは15年前、孫の小学校入学を機に、地元・豊川小学校に通学する児童の「見守り活動」を始めた。

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