渡瀬恒彦「兄貴程度の芝居しかできなかったら消えていた」

NEWSポストセブン / 2017年3月24日 16時0分

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「渡哲也の弟」という肩書きをどう思っていたのか?

 人情味あふれる芝居でお茶の間を魅了した渡瀬恒彦(享年72)は、デビューからしばらくは「渡哲也の弟」という肩書きがついて回った。そのレッテルに戦いを挑むかのように、かつての渡瀬は、どんな危ないアクションでもスタントマンなしで挑み続ける激しさで知られた。

「初めてお会いしたときは、気軽に声をかけることもできないほどのオーラに包まれていた。本当にかっこいい人でした」

 3月14日、壮絶ながん闘病の末、天国へと旅立った俳優・渡瀬恒彦との出会いについて、語ったのは1990年から約2年半、渡瀬の付き人を務めた俳優・永井なおき(48)だ。バイオレンスに満ちた東映やくざ映画を観て育った彼にとって、渡瀬は畏怖の念を抱く存在だった。

 近年は『おみやさん』、『警視庁捜査一課9係』(ともにテレビ朝日系)などに出演、義理人情に厚い「温厚なオヤジ」のイメージが強い渡瀬だが、オールドファンにとっては『仁義なき戦い』シリーズを初めとする、若かりし日の凶暴な跳ねっ返り者の姿が脳裏に蘇る。

 ドラマ『まひる野』(1977年、フジテレビ系)以来、映画『戦国自衛隊』(1979年)など数々の作品で渡瀬と共演し、家族ぐるみで交流を続けてきた40年来の親友である俳優・江藤潤(65)は、目頭を押さえながらこう語った。

「ずっと病気していたから、もっとやつれているかと思っていたんですけど、いつもの温和な恒さんでした。口元はちょっと微笑みを浮かべているようで……。その顔を見た途端、涙がポタポタと出てきて……。絶対に人に弱みを見せないのが、渡瀬恒彦の美学。それを知ってるからこそ見舞いに行けなかった。もう一度一緒に飲みたかった」

 葬儀は兄・渡哲也ら10数人の親族のみで静かに営まれた。まさに「美学」を貫き通した旅立ちだった。

 兵庫県・淡路島で生まれ育った渡瀬は、早稲田大学法学部を除籍後、電通PRセンターに入社した。このとき、すでに兄・渡は日活所属のスターだったが、渡瀬自身は芸能界にはまったく興味はなかったという。だが、東映の故・岡田茂社長から熱烈な勧誘を受け、役者の世界へと飛び込んだ。

 かつて渡瀬は当時の心境をこう語っていた。

〈サラリーマンをやっているときに、俳優である兄の給与を見て愕然としたからですよ。だって、当時、大卒の初任給が2万3000円ぐらいのときに、兄は1日に2万も3万ももらってたんですから(笑)。うらやましくてね〉(『BIG tomorrow』2009年10月号)

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