昭和の長寿研究本書いた医学博士が毎日食べていた弁当の中身

NEWSポストセブン / 2018年8月22日 7時0分

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研究室で昼食をとる近藤博士。いつも同じ弁当だったという

 絶版となった後も、専門家の間で愛蔵され、語り継がれる一冊の本がある。その本は、1972年に初版が発行された『日本の長寿村・短命村』(サンロード出版)。著者は東北大学名誉教授で医学博士だった近藤正二氏(1893~1977年)である。

 衛生学を専門とする近藤博士は食生活や生活習慣が寿命に与える影響に大きな関心を持ち、1935年から1971年の36年にわたり、北海道から沖縄の八重山諸島に至るまでの全国津々浦々990か所を、自らリュックを担いで訪ね歩いた。

 近藤博士の研究には、随所にこだわりが見られる。その1つが、「平均寿命という数字を使わないこと」だ。

 その代わりに、「人口における70才以上の高齢者の割合(長寿率)が高い村」を《長寿村》と呼び、「若年死が多く、70才以上の高齢者が少ない村」を《短命村》と定義した。

『日本の長寿村・短命村』のもととなった「長寿村の実証的研究」は1976年、日本医師会の最高優功賞を受けた。

 36年もの間この研究のために村々を訪ね歩いた近藤博士とは、どのような人物だったのか。

 かつて近藤博士の研究所に日参し、実地調査にも同行した経験を持つ、編集者の萩原氏が明かす。

「たくましい男性を想像するかもしれませんが、意外なことに近藤先生は体が弱いかたでした。ご自身が虚弱体質だったからこそ、食事と健康の関係に注目して研究を始めたのではないかと思います」

 本の中にも、近藤博士は非常に疲れやすい体質であり、講義のあとはソファに体を横たえなければならなかったと記されている。

 だが研究を始め、米に偏った食生活を改めて毎食、大豆製品と魚を少量ずつ、また油もとるようにした結果、いつの間にか疲れを感じない体になり、教授室のソファは物置になってしまった、とも書いている。

 そんな近藤博士自身、何を食べていたのだろう。同書に近藤博士の弁当を、萩原氏が記録した部分があるので引用しよう。

《パン一枚を二分し、マーガリンをぬってチーズをはさむ。副食用の弁当箱には人参おろし、かぼちゃの煮付、煮豆、缶詰サバ水煮一切、ギンダラ煮付一切、あおい野菜のてんぷら。それに牛乳一本。魚は一切というより一口。野菜は日によって変えるそうです。なお、先生は大豆の効果を確信されていて「豆乳」が手に入る場合は、何をおいても豆乳を食卓においていました。(中略)研究室の引き出しにはトロロ昆布の吸物の材料が常備されていて、楽しそうにお椀をつくられます。旅行先や、車中でも、この海藻の吸物と、人参おろしは必ず手製します。だから旅先のカバンや、調査のときのリュックには必ずおろし金や食材料がおさまっていました》

 各地で見聞した知恵を近藤博士自ら生かしている様子がうかがえる。

 近藤博士は1977年1月22日に84才で逝去。日本医師会から賞を受けてから2か月後のことだった。もちろん、当時の人にしてはかなりの長寿だった。

 同書の最後に残した言葉が印象的だ。

《私の研究はすべて理屈は抜きにして、もっぱら実際たしかめて知り得た体験ばかりです。どうか、ひろく役立てて、元気に長寿を得られるように願ってやみません》

 博士が人生を賭して導き出した長寿の法則。生かさない手はない。

※女性セブン2018年8月23・30日号

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