明治維新150年 ハワイと箱根を繋ぐ数奇な物語

NEWSポストセブン / 2018年9月19日 16時0分

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富士屋ホテル創業者・山口仙之助(『箱根富士屋ホテル物語』より)

 日本近代史を語る上で大きな転換点となった明治維新から、今年は150年という節目の年である。その150年前、遠くハワイの地へと海を渡った者たちがいた。彼らは明治元年にちなみ、「元年者(がんねんもの)」と呼ばれている。

 現在では日本人に圧倒的な人気を誇るリゾート地となったハワイだが、当時はまだアメリカに併合される前、ハワイ王国の時代である。そこに“ある日本人”がいたという──。

 激動の時代の片隅で、南の島の歴史の中に埋もれていた“謎の男”の存在。ノンフィクション作家で箱根の「富士屋ホテル」創業家の末裔である山口由美氏にとって、その正体を明らかにすることは、宿命といっても過言ではなかった。以下、同氏による渾身の報告だ。

 * * *
 元年者150年の節目は、私に24年前のある記憶をよみがえらせた。

 1994(平成6)年、最初の単行本である『箱根富士屋ホテル物語』を出版した時のことだ。私の曽祖父にあたる創業者について、ハワイから問い合わせがあったのだ。ハワイで日本語新聞の記者をしているという、日系移民史の研究者だった。

「元年者がハワイに上陸した時、仙太郎という男がいて、通訳をしてくれた」という伝承があり、『石村市五郎立身談』という元年者の聞き書きに〈此仙太郎と云ふ男は、今では箱根の塔の澤に大きなホテルを開いて居るそうです〉と記述があるという。驚くべき話だった。

 仙太郎が誰であるかは、ハワイ移民史の研究者の間で長く謎とされてきた。

 1878(明治11)年、箱根・宮ノ下に富士屋ホテルを創業したのは山口仙之助である。

 仙太郎と仙之助。

 塔ノ沢と宮ノ下。

 人名も場所も異なるが、塔ノ沢と宮ノ下はすぐ近くだし、そもそも明治時代、箱根にホテルを建てた者など、仙之助のほかにいない。仙之助は、漢方医の五男に生まれ、開港まもない横浜で外国人客も多かった「神風楼」という遊郭の養子となり、山口姓になった。

 1851(嘉永4)年生まれだから、明治元年には17歳。遊郭に出入りする外国人から英語を学び、ハワイに密航する伝手も得られたに違いない。ならば、通訳ができたとしても納得できる。しかも横浜は元年者たちが出航した港だ。私の頭の中で仙太郎と仙之助が重なり合った。

 だが、この時、ハワイとのやりとりは結局、立ち消えになってしまった。そして、長い年月が過ぎた──。

 ホノルルのビショップ博物館で「元年者展」が開催されると聞いたのは今春のことだ。長年、南太平洋をフィールドにしてきた友人の写真家から、その展覧会を担当する学芸員の久山徳子さんを紹介され、私はメールを送った。

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