レコ大仕掛け人の元不良会社員「人生はハチャメチャでいい」

NEWSポストセブン / 2018年10月19日 7時0分

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諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師

 テレビの時代が始まる頃、会社員でありながら、やりたいように自由を謳歌して生きてきた人、TBSの「日本レコード大賞」をNHK紅白歌合戦と並ぶ大イベントにした砂田実さん。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、87歳の今も意欲的に楽しみながら生き、仕事をする砂田さんについて紹介する。

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 破天荒な男に会った。ダンディなのに、よくしゃべる。人生がおもしろくてしかたないみたい。

 砂田実さん。87歳。テレビの黄金時代を駆け抜けた不良プロデューサーだ。TBSの「日本レコード大賞」を、NHKの紅白歌合戦と並ぶ大みそかのイベントにしたことでも知られている。

 砂田さんがテレビ業界に入ったのは、テレビの本放送が始まった2年後。TBSの前身のラジオ東京で、テレビの製作を始めた。

 入社4年後の1959年に、日本レコード大賞がスタートする。まだ注目されていなかったイベントを、紅白歌合戦と同じ日にぶっつけ、会場も大きな帝国劇場で行なおうと画策する。

 ただ、それには問題があった。当時、帝国劇場は劇作家の菊田一夫が牛耳っており、自分以外の仕事で帝劇が使われることを渋っていた。それを、無理せず、根気よく通い続けることで、菊田の気持ちを変えていったのが砂田さんだ。

 日本レコード大賞が大みそかのイベントとなったのは、1969年。大賞は佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」が受賞した。1977年には、視聴率が50%を記録した。このときの大賞は、沢田研二の「勝手にしやがれ」である。

 その後、砂田さんは、東京音楽祭やベストテン番組などを次々と仕掛け、成功させていく。東京音楽祭では、フランク・シナトラ、サミー・デイビス・ジュニア、シャーリー・バッシーなど世界的なミュージシャンを呼んだ。彼は、適当にお茶を濁さない。どうせやるなら、できるだけ最高のものを作り上げようと情熱を燃やしていた。

 なぜ、テレビの世界に入ったのですか、とぼくは尋ねた。

「管理されるのが嫌だったんです」と砂田さんは言う。

「最初からぼくはサラリーマンにはなりたくなかったのです。父親が東芝という大企業に勤めていましたが、その姿を見て性に合わないと思っていました」

 でも、テレビ局勤務も、結局はサラリーマンですよね、とぼくは少し意地悪な質問をした。

「テレビ放送が始まったばかりで、上司になる人間も新聞やラジオから来た人たちですから、すべて現場任せだろうと思いまして。実際、たしかにそうでした」

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