デーブ大久保 高校時代「ヤクザにでもなろうか」と思ってた

NEWSポストセブン / 2012年1月8日 16時0分

2008年の暴行事件により球界を離れていたデーブ大久保が、2012年から楽天のコーチとして球界に復帰する。3歳4ケ月の時に心筋梗塞で父を失い、その後は母の手一つで育てられたデーブ大久保。母子の繋がりは深いものがあった――ルポライター・高川武将氏がリポートした。

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貧しい少年時代だった。仕事で帰りの遅い母を待てず、生卵とのりの佃煮で冷や飯を食べた。一個の生卵を兄弟二人で分けると、先に白身がどろっと出てしまい、言い合いになった。

父親の役割もあったのだろう。母の教育手法は豪快で一本筋が通っていた。兄弟げんかをしていると、「これで殺せ」と包丁を持ってくる。高校で先輩とケンカして「学校をやめる」と言えば、「頼んで行ってもらってねえっ」と突き放した。「ヤクザにでもなろうか」と言うと、地元の親分に「日本一のヤクザにしてくれろ」と頭を下げに行ったこともある。全ては子供のためだった。

西武にドラフト1位指名され、球団が契約金4000万円を提示したとき、「貰うなんておこがましい。この子がプロ野球選手になれるなら、私は借金してでも払いたい」と言い、感動した球団側が500万円を上乗せしたという。今でも母に言われる教えがある。

「誰とも仲良く親切に」
「ゴミを拾え。徳を積むんだ」
「苦あれば楽あり。一生懸命働けば、米の飯とお天道様はついて回るんだ」

そんな母は、女性への暴行騒動のとき、息子に電話して本気でこう言っている。「博元! 頼むから、母ちゃんと一緒に死んでくれ!」だが、西武を解雇になったとき、電話口で「あんたの息子は、世間で言われてるほど悪いことはしてねえから」と言う息子に、こう言うのだった。

「そうか、たとえ人殺しでもおめえは息子だ、家族だかんな」

※週刊ポスト2012年1月13・20日号



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