平成の最後、皇室と宮内庁幹部の距離感が目立ってきた背景

NEWSポストセブン / 2018年12月13日 16時0分

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羽毛田信吾・元宮内庁長官

 平成の終わりまで、5か月を切った。年が明けると皇位継承の式典がほどなく始まる。

 2019年2月24日の「天皇陛下御在位30年記念式典」に始まり、「退位の礼」(4月30日)、「即位の礼」(5月1日)、「大嘗祭(だいじょうさい)」(11月14日)に続いて、再来年に予定されている秋篠宮の「立皇嗣の礼」まで2年に及ぶ。

 そうした皇室行事の運営を取り仕切るのが、1027人の宮内庁職員たちだ。宮内庁の組織が複雑なのは、皇居で働く職員には、宮内庁の組織には所属せず、天皇家が直接雇用する「内廷職員」がいることだ。

 代表的なのは皇居の宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)での祭祀を行なう「掌典」(男性)や、巫女の「内掌典」と、それを補佐する「仕女」である。さらに皇后が蚕を飼っている「御養蚕所」や、天皇の「生物学研究所」の職員など人数は約50人とされる。

 天皇家の衣食住すべてを国家公務員が支えながら、憲法の「政教分離」の原則で、宮中祭祀などに関わる職員は非公務員でなければならないため、内廷職員の給料は天皇の私的な費用の内廷費から支払われる。

 宮内庁の上層部は霞が関の主流官庁出身者が独占し、その下にプロパー職員、そして天皇の最も近くに侍る内廷職員は天皇家が直接雇用する。複雑な組織のあり方が「菊のカーテン」を形作ってきた。

◆変わりゆく「長官」の姿

 昭和から平成の途中までは、その「菊のカーテン」が皇室の権威と政治権力を隔てる役割を果たしてきた。元外交官の村上政俊・皇學館大学非常勤講師が語る。

「かつて天皇の藩屏として存在していた旧皇族や旧華族が廃止された後も、戦後の長い間、宮内庁と皇室の関係を支えてきたのは官僚個人の精神性でした。昭和天皇の時代には天皇陛下にお仕えしているという戦前の雰囲気が宮内庁に残っていたし、信頼できる側近がいた。

 平成に入ってからも、今上天皇の侍従長を長く務めた渡辺允氏(元ヨルダン大使)の曾祖父は明治天皇崩御時の宮内大臣・渡辺千秋伯爵で、そうした家庭に育ったというバックボーンがあった」

 渡辺・元侍従長の後任の川島裕・元侍従長(元外務事務次官)も曾祖父が犬養毅・首相である。

 昭和天皇の率直な気持ちを記した「富田メモ」の存在が明らかになったときには、富田朝彦・元宮内庁長官への信頼の厚さが際立った。

 2代前の羽毛田信吾・元宮内庁長官は、天皇皇后の悲願である「女性宮家創設」を、当時の野田佳彦政権に要請したこともある。しかし、平成の終わりが近づくにつれ、皇室と宮内庁幹部の間の距離感が目立ってきた。

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