オウム死刑囚・井上嘉浩 獄中記と「死後に届いた手紙」

NEWSポストセブン / 2018年12月20日 11時0分

「中川さんが“どうせポアさせることになると思っていたので、この際、ポア、殺害できる薬物の効果を確かめてみようと思った。めったにできることではないので、薬物を点滴したところ、假谷さんが急に光り出して亡くなってしまった”と言いました。処置しようと思ったけれど、もう光り出したのでそのままにしたということでした」

 つまり、假谷は「中川に殺された」と告発したのである。中川はこれを真っ向から否定する。だが、嘉浩の一審では、假谷の死について、〈中川による不適切な行為〉が判決で指摘されており、また中川に假谷を引き継いだ医師の林郁夫も法廷証言のほかにも、著書『オウムと私』(文藝春秋)でこう記述していた。

〈假谷さんは状態が安定しており、血圧、脈、呼吸など、これまで通りの観察項目のどれにも異常はありませんでした。私は假谷さんの状態が落ち着いているため、私でなくても管理ができると思い、第六サティアンに戻ろうと思いました〉

 假谷を中川に引き継いだ林は、その日の午後三時か四時頃、たまたま第二サティアン入口へ通じる坂で中川と会ったという。

〈私は假谷さんのことを中川に聞きました。「あの人、どうなりましたか」という私の質問に、中川は、「尊師と会って、尊師から假谷さんをポアするよう指示を受けた。ポアの実行を新しく事件に参加したサマナ(出家信者)にやらせることになった。ポアの手段は塩カリ(塩化カリウム)の注射だ。それで、そのサマナを假谷さんのところへ連れていったが、假谷さんはポアさせるまでもなく、亡くなっていた」と答えました。(略)このとき、私が中川に引き継いだ状態から考えて、假谷さんがなにもしないのに亡くなったということは、不可解だと思ったことを記憶しています〉

 林は、安定した状態のまま引き継いだ假谷がその後、死亡したことを不可解に思っており、わざわざ、「ポアの手段は塩カリの注射だ」と、中川が語ったことを記述している。つまり、假谷の死は、“偶然の死”ではなかったかもしれないのである。

◆法務省が葬った真相究明の道

 嘉浩は、二〇一八年三月十四日、新証拠をもとに再審請求をおこなった。弁護人である伊達俊二弁護士の強い要請によるものだ。伊達弁護士はこう語る。

「假谷さんの首を絞めさせようと麻原に名指しされたサマナを、中川君に指示されて井上君は東京から連れてきました。その電話連絡の時間を中川君は午前十一時前後と証言し、その目を離した十五分ほどの間に假谷さんが亡くなったという。それが事実と認定されています。しかし、井上君はそんな時間に電話を受けていたら、とてもあの雪の中、サマナを連れてこられなかったと言いました。私は“雪?”と思ったんです」

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング