古谷経衡氏が釜山の“徴用工博物館”から学んだこと

NEWSポストセブン / 2019年1月9日 7時0分

 前述『運命』によれば、文在寅の両親は朝鮮戦争勃発直前、現在の北朝鮮興南(フンナム)区域に在住し、戦争中に米軍の輸送船でこの地に避難してきた難民の家系である。

 当然、幼少時代の生活は貧しさを極めた。父親は季節商、母は行商をして一家を支えた。少年時代の文在寅は、この巨済島で理不尽な貧困と格差に耐え抜いた。まさに文在寅の人格形成期の原風景こそが巨済島なのである。通訳の方から「田舎」、とは聞いていたが、やはり想像通りの田舎であった。

 しかし政権が誕生した2017年以来、高支持率を誇る文在寅の生家は自然と観光地となり、誰が立てたかは知らぬが「文在寅誕生の家」という看板まである。現在「生家」は別人所有の私有地になっており、敷地内に入ることは出来ない。

 だが、その外観を覗くことは出来た。「物置」と形容するに等しい半廃墟の青色の10坪に満たないであろう母屋がそれであった。前述『運命』には、宮古島台風で屋根が吹き飛ばされた──、という記述があるので、当時のままの原型では無い。だが、到底現代人が住めるような物件では無い。

 1950年当時、まだ韓国の大部分が貧しかった時、このレベルの文一家の生活水準ですら「極貧とまではいかない」というのだから、韓国の苦難と発展の歴史が分かろうというものだ。この片田舎の、既にツタ植物が繁茂して完全廃墟になりかけている物件こそが、文在寅の「生」である。

◆歴史を忘れた民族、無関心な民族

 釜山訪問の最終目的地として選んだのは、釜山市の中心部に建つ国立日帝強制動員歴史館である。現在、韓国大法院(最高裁)の新日鐵住金や三菱重工への徴用工賠償金支払い命令で、日韓関係が大いに揺れている中、どうしても私は徴用工問題を広く知らしめるための同館に行きたかった。

 なぜこの博物館がソウルでは無く釜山にあるのかと言えば、日本統治時代に内地の炭鉱や鉱山で労務者として働いた朝鮮人徴用工が、帰国の第一歩を記したのが、この釜山だったのである。海路しか手段の無い時代、半島の中で最も日本に近い玄関口はソウルでは無く釜山であった。

 同館は総工費約53億円を投じて韓国政府が建設した豪勢な建造物で、地下4階地上3階の計7階を誇る。2015年に開館したばかりの同館は、地元学生の格好の見学場所になっている。

 同館館長に取材を申し込んでいたが、前述徴用工判決での微妙な両国関係を忖度してか、取材は拒絶されてしまった。そのかわり同館内部を自由に見て回った。炭鉱での徴用工の不当労働や体罰の様子、徴用工の給料手帳や、逃亡徴用工への罰則書類などが展示されており、中々興味深い。日本語ガイドが無くても展示物は日本語なので、案外理解には苦しまない。

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