稀勢の里にモンゴル勢の罠、横綱昇進の瞬間から悲劇が発生

NEWSポストセブン / 2019年1月21日 7時0分

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ついに引退した稀勢の里(共同通信社)

 2017年1月に19年ぶりに誕生した日本出身力士の横綱・稀勢の里。しかし、その昇進の瞬間から、悲劇は始まっていた。その結果、8場所連続休場や、場所をまたいでの8連敗など、数々の不名誉な記録を残しての引退へ繋がったのだ。

 2014年5月に鶴竜が昇進して以降、白鵬と日馬富士によるモンゴル3横綱時代が2年以上も続いていた。

「3人のうち、中盤戦までに星の取りこぼしがなかった横綱が優勝をさらうパターンが続きました。そんな状況に割って入ろうとしたのが稀勢の里でした」(相撲担当記者)

 ただ、牙城を崩すのはそう簡単ではなかった。

「2017年初場所14日目に稀勢の里は初優勝を決め、翌日の千秋楽の結びの一番が白鵬戦だった。この時、親方衆の間で話題になったのが、白鵬が取組前の支度部屋で、“左四つ”になる立ち合いの稽古を繰り返していたこと。

 左四つは稀勢の里が得意なかたちで、白鵬は本来、右四つ。“稀勢の里が得意なかたちから圧勝し、力の差を見せつけよう”と考えたのではないか。結果は、稀勢の里がすくい投げで勝つ一番となったが、白鵬が相手をとことん敵視していることがよくわかった。場所後に稀勢の里が綱を張ったことで、モンゴル勢にそれまでの安定した体制を維持したいという発想が生まれるのは自然なこと。“稀勢の里を潰せ!”とばかりに全力で向かっていった」(同前)

 その洗礼を、新横綱として迎えた2017年3月場所でいきなり受ける。

 13日目に対戦した日馬富士に土俵下まで転落させられる寄り倒しで敗れ、稀勢の里は左肩と胸を強打。苦悶の表情を浮かべた。“得意の左”がこれ以降、万全な形で繰り出されることはなかった。

 その後、ケガを抱えながらの戦いのなかでも、モンゴル横綱たちの動きに翻弄された。

 昨年の11月場所、稀勢の里は初日から4連敗した。1場所15日制が定着した1949年の7月場所以降では、横綱としては初めてのことだった。

「稀勢の里は初日の取組で膝を痛め、本来ならその段階で休場ということも考えられたが、場所前に白鵬と鶴竜のモンゴル横綱2人が“稀勢の里が出るならいいじゃないか”とばかりに早々に休場を決めており、“1人横綱”だった。元来の真面目な性格もあり、“相撲ファンのためには休めない”と無理したことが不名誉な記録につながってしまった」(同前)

 横綱としてワーストとなる8連敗には、この4連敗も含まれる。

※週刊ポスト2019年2月1日号

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