ぎんさん娘「TVで母は“面白いこといわにゃあ”と考えてた」

NEWSポストセブン / 2012年3月11日 7時0分

 いまからちょうど20年前に、『女性セブン』の記事をきっかけに100才の双子姉妹として国民的アイドルとなったきんさんぎんさん。殺到するマスコミの取材に物怖じするどころか、ユーモアあふれる軽妙な受け答えで人気はうなぎ上りとなった。

 マスコミからの取材が増えるようになったころ、姉のきんさんは体調が思わしくなかった。心配した妹のぎんさんは、車で15分ばかり離れたきんさんの家をちょくちょく訪ねた。

ぎんさん:「おみゃあさん、どして寝てばかりおる?」

きんさん:「んなこというてもな、口ん中が神経痛になってしもうてな。わしゃ、ちいーっとばかし、気がよわーなってきた」

ぎんさん:「なんじゃて、口ん中が神経痛? そりゃあ、珍しいがね、アッハハハハ」

きんさん:「唇がな、しびれたみたいでにゃあ。好きなうなぎ食うても、味がわからんようになってしもうた」

 口だけではない。きんさんは足腰も弱り、長く歩くことができなくなっていた。そんな姉に妹は、こうアドバイスした。

ぎんさん:「おみゃあさん、家ん中に閉じこもっておらんと、ちいーっとは外に出て歩かんと、足がくさってしまうでぇ。運動せにゃ、頭もボケちまうよ」

 だが、きんさんは「この年になって、いまさらそんなことしてなんになるきゃあ」と、耳を貸さなかった。この時の様子についてぎんさんの四女・百合子さん(91才)は「そうそう、最初のころは、テレビの取材にもな、きんさんは黙りこくったまんま、まるで元気がなかった」と語る。

 それでもこの年の暮れ、きんさんとぎんさんは、『ダスキン』や『通販生活』のCMに登場。「きんは100シャア!」「ぎんも100シャア!」で、全国的にその名を知られるようになる。明けて翌1992年(平成4年)のお正月が過ぎたころから、テレビのワイドショーや新聞、雑誌などの取材陣が、わんさか押しかけてくるようになった。

ぎんさんの五女・美根代さん(89才):「もう、テレビのカメラが5、6台もはいって、そりゃあ、てんやわんや。満員御礼状態になって、襖と障子をな、ぜーんぶ取っ払って大きな広間にするしかなくなっただが」

ぎんさんの三女・千多代さん(93才):「来る日も来る日も、マシュコミの人が来て、それがすごい数だった。ほんと、こんうちの床がにゃあ、抜けるかと思うたよ(笑い)」

ぎんさんの長女・年子さん(98才):「そうやった。私ら4人のおるところがのうなって、庭に出て眺めとるしかなくなったがね」

 そんななか、不思議なことが起きた。テレビの収録でライトを当てられるたびに、あれほど元気のなかったきんさんの表情が、生き生きと輝くようになったのだ。いや、きんさんのほうが、取材の受け答えの主導権を握るようになり、ぎんさんのほうが、「姉のいうとおりです」と、立場が逆転するまでになったのだ。

百合子さん:「人に注目されるようになって、きんさんは“これではいかん”と、うちのおばあさん(ぎんさん)に負けじと、気力を燃やすようになったんだがね」

千多代さん:「きんさんが100才で足腰を生き返らしたのは、これはすごいことだったよ。あの気力にはにゃあ、ぶったまげて、もう脱帽だったよ」

 姉・きんさんが“やる気”を見せるようになったことに安堵したぎんさんは、4人の娘たちにこう語りかけた。

<顔のしわは増えても、心にしわを生やしちゃ、世の中が面白のうなるでにゃあの>

美根代さん:「テレビに出るだけでも大変なのに、おっかさんは“何か面白いことをいわにゃあ”といつも考えてござったよ。そうやって心に生えるしわを防いどった母は、やっぱりたいした人だったと、このごろようやくわかるようになっただがね」

 その感懐に、他の3人が“そう、そう”と相槌を打った。

※女性セブン2012年3月22日号



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