優秀な人材がいなくてもうまくいくのか
プレジデントオンライン / 2013年7月25日 8時45分
■なぜ、凡人が立派なリーダーに変わるか
私は1995年より「アメーバ経営」の調査・研究をしてきました。当初はこの見慣れない手法をうまく理解できませんでした。しかし、京セラ社内での会議の観察や、社員の方へのインタビューを重ねるうちに、合理的なシステム設計がなされていることに気づきました。特にそれは人材育成という点において、際立った特徴があると思います。
稲盛さんが27歳で京セラを立ち上げた当時、開発、製造、営業のすべてをひとりで経営判断していました。ところが会社の規模が大きくなると手が回らなくなります。このため、自分に代わって経営判断できる人間を育てる必要が生じました。このような要請もあって、同社の創業間もなく考案されたアメーバ経営は、「人材育成」の仕組みでもあります。
まず、どんな人が育成の対象だったかを考えましょう。その頃の京セラは知名度もなく、優秀なエリートが集まる会社ではありませんでした。平凡な能力の人たちができることは限られます。稲盛さんは彼らの潜在能力に目をつけました。どんな社員でも、家に帰れば毎月の給料のなかで家賃を払い、食費を出し、服を買い、貯金までしています。つまり、家であれば立派に経営しています。飛び抜けた能力はないかもしれないけれど、家を経営する能力は誰もが持っています。ただし、家は会社と比べると規模も小さく、やっていることも単純です。では潜在能力を会社で発揮してもらうにはどうしたらいいのでしょうか。そこで、会社を家と同じくらい小さく、単純にすればいいという発想の転換が行われました。以下では、組織と会計の面での工夫を紹介しましょう。
最初の工夫は小さなプロフィットセンター(PC)です。企業ではカンパニー長、事業部長などが特定領域について経営判断を任され、利益責任を負います。大企業では、PCの規模は数百人や数千人といった単位となることもあります。これでは組織サイズが大きすぎて、それらの長が組織を隅々まで把握することは容易ではありません。見えない中で正しい意思決定を下すには相当な能力が必要になります。また、それより下位の組織単位では、製造部門の長はコスト、営業部門の長は売り上げ、というように、責任は限定的で、利益責任までは負いません。つまり、利益を意識して経営判断する人の数は極めて少ないのです。
一方、京セラは、製造工程間での社内売買を行い、売り上げとコストの差で擬似的な利益計算を行うなどの工夫などによって、組織を5~50人のアメーバと呼ばれる小さなPCに分けることができます。小さなPCがたくさん社内に生まれるということは、利益責任を持つリーダーが多数生み出されることを意味します。各アメーバリーダーが持っている能力は小さいかもしれません。しかし、組織サイズを家に近づければ、業務範囲も狭くなります。彼らがもともと持っている経営能力を活かし、会社においても経営判断できるようになります。つまり、これまで埋もれていた、莫大な数の潜在能力が会社の隅々で発動し始めるのです。
■1カ月前のことは反省できない
ふたつ目の工夫は、会計数値を小さく区切る、「日次決算」です。多くの企業では、いまだに月次で経営数字を集約し、管理が行われています。この場合、月末近くのことはともかく、月初に行った業務については正確な記憶が飛んでいます。月次の実績検討会で上がってくる数字を見て、思い出しながら話そうとしても、現場においてどの活動が問題でどんな改善が必要かということについて意味のある検討はできません。1カ月後に検討するということでは遅すぎるのです。
しかも、日々の数字は足し算と引き算で相殺されてしまいます。もし1日目はプラス、2日目はマイナス、と交互に続くと、月末にはプラスマイナスゼロになってしまう。本当はプラスの日にはプラスの理由、マイナスの日にはマイナスの理由があったはずですが、「今月の実績は予定通り」ということになると、そこで思考が停止します。数字の背後に隠れた手がかりを探りだして、改善策にたどり着けるのは、極めて高い経営能力を持った人だけです。
一方、アメーバ経営は日次で収支を出します。昨日の結果はイマイチだったということが翌日にはフィードバックされます。まだ生々しい仕事の記憶があるので、原因と思われる部分に対して、何らかの手が試みられます。もちろん、それが正解とは限りません。2日目もマイナス。ではまた新しい試みを行おう。3日目では……。たとえ人並みの能力しか持っていなくても、小さな実験を毎日繰り返すうちに、最後は正しい打ち手にたどり着くでしょう。
小さなPCという工夫に加え、このように会計数値も小さく区切ることで、アメーバ経営では普通の人が小さな力を会社の中で発揮できるようになります。いきなり大きな組織は任せられないかもしれませんが、小さく単純な組織の経営から任せて経験値を高めていきます。このようなロジックで、アメーバ経営は経営トップに代わって経営判断できる人材を育てられるのです。
しかし、アメーバ経営は万能薬ではありません。部分最適のリスクについて述べておきましょう。アメーバ経営では、各リーダーは経営判断を期待されます。リーダー1人ひとりが利益意識を持って「部下たちを食わせてやるんだ」という気概で自部門の利益の最大化を図ろうとします。しかし、その思いが強すぎると、エゴが生まれ、部門間で衝突が生まれやすくなります。衝突を乗り越えるには、「そもそも会社は何のためにあるのか」といった経営の根本的な目的を、社員間で共有する必要があります。
■社員1人ひとりが「ミニ稲盛さん」に
このためにあるのが「フィロソフィ」です。たとえば京セラには「京セラフィロソフィ」という経営哲学があります。「公明正大に利益を追求する」「お客様第一主義を貫く」「大家族主義で経営する」「原理原則にしたがう」などが書かれた「フィロソフィ手帳」を全員が携帯します。多くの企業で社是や理念が形骸化しているのとは対照的に、現場のリーダーは困難な経営判断の場面ではフィロソフィ手帳を開いて「この状況で稲盛さんならどうするか」と考えます。この結果、たくさんのリーダーに経営判断を委ねつつも、その判断基準は同じになります。全リーダーが「ミニ稲盛さん」として行動できるのであれば、部門が衝突するリスクは著しく小さくなります。
こうした点で、JALの事例はとても興味深いものです。航空会社は、航空機の整備、空港での窓口業務、パイロットやCA、どれが欠けても業務を遂行することはできません。ところが、アメーバ経営は部門別採算です。各部門が儲けを出すことが求められるため、どうしても部分最適のリスクが出てきます。これでは会社全体がバラバラで採算はおろか、安全も脅かされます。それを防ぐために、京セラのものを参考に、40項目からなるJALフィロソフィがつくられました。代表的なものには「1人ひとりがJAL」「最高のバトンタッチ」などがあります。全員が会社の代表の気持ちで自分の責任を全うするとともに、部門間での協力を完璧なものにしてお客さんにサービスを提供しようということを強調します。全体最適となって初めて、安全運行や定時離発着ができ、顧客の信頼を取り戻すことができるのです。これが採算につながるのは明らかです。今日のJALの好業績は部門別採算とフィロソフィの両輪によって支えられています。同社の劇的な変化は、アメーバ経営の効果を端的に示すものといえるでしょう。
稲盛さんは、会社を立ち上げたとき、経営についての知識がありませんでした。常識にとらわれず、「なぜなのか」「こうしてはいけないのか」と徹底的に考えました。その結果、非常にユニークな、合理的経営手法が生まれたのです。
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1966年生まれ。川崎製鉄での勤務を経て、2001年神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了。03年神戸大学大学院助教授。08年より現職。著書に『アメーバ経営論』など。
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(神戸大学大学院経営学研究科 教授 三矢 裕 構成=宮上徳重 撮影=市来朋久 写真=PIXTA)
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