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イスラム国は、タリバンやアルカイダとは何が決定的に違うのか

プレジデントオンライン / 2015年10月7日 14時15分

ISISの支配地域

■アフガニスタンの土着組織がタリバン

突如、中東のシリアとイラクの地域に樹立を宣言したイスラム国。この組織を理解するためには、タリバンとアルカイダというイスラム過激派組織のことを知る必要がある。

まずタリバン。この組織ができたきっかけは、ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻だ。アフガニスタンの内紛に乗じて、1979年にソ連がアフガニスタンに攻め込む。当時、アフガニスタンの共産主義政権が危機に瀕しており、ソ連としては、アフガニスタンがアメリカを中心とした自由主義陣営に取り込まれるのを防ぐ狙いがあった。

そこで起きたのが「反ソ・ジハード(聖戦)」。ソ連に侵略されたアフガニスタンを助ける、という旗印の下、アラブを中心にイスラム社会全体から義勇兵がアフガニスタンに集まった。タリバン結成の起源はここにある。

タリバンの義勇兵の中心を担ったのは、アフガニスタンで最大の人口を持つ民族のパシュトゥン人だ。タリバンのそもそもの意味は「学生」。元来、イスラム神学校で教育・訓練された学生たちで構成されたためである。

つまり、タリバンはもともとアフガニスタンに住む人々が中心となってつくられた土着の過激派組織なのだ。

■国際的なネットワークを持つアルカイダ

一方、アルカイダは土着の組織ではなく、イスラム主義を標榜する国際的なネットワーク。アルカイダは「基地」の意味で、自分たちの組織を「ジハードの基地」ととらえている。アルカイダのネットワークにはさまざまな国・地域の人々が参加したから、国境を跨いだグローバルな過激派組織となった。

このアルカイダが2000年代半ば、大きく変貌した。きっかけは01年9月11日に、アルカイダが起こしたアメリカ同時多発テロ事件(いわゆる9.11事件)。アメリカはこれ以降、世界中のイスラム過激派を壊滅させるために対テロ戦争に打って出る。アメリカの徹底的な攻撃でアルカイダは壊滅的な打撃を受け、存亡の危機に瀕した。その結果、国際テロ組織のアルカイダは組織が生き延びるために、「組織なき組織」に変わることを考えたのだ。中枢組織や指揮命令系統を有していると、アメリカに狙われやすくなる。ならばと、それらをなくし、アルカイダはいわば一種のイデオロギーになった。

アルカイダがイデオロギー化していく過程では、インターネットが大きな役割を果たしている。インターネットがあれば、明確な組織がなくても、アルカイダにアクセスでき、イデオロギーを共有できることが大きい。

つまり、アルカイダはイスラム主義という共通のイデオロギーの下に、世界中のイスラム過激派組織がゆるやかに連携する、明確な組織を持たない国際的なネットワークに変貌したのだ。

■土着組織とアルカイダの合体した組織

イスラム国は、タリバンとアルカイダの両方の側面を持つ。最初の組織ができたのは99年。創設者はヨルダン出身のザルカーウィーで、かつてアフガニスタンでアルカイダと関わった経験もある人物だが、当初は故郷のヨルダンの政権を標的にしたジハードを行っており、名前も別のものだった。

この組織がアルカイダと接近するきっかけは、03年、アメリカをはじめとした連合国軍のイラク侵攻だ。イラク戦争が始まり、イラクのフセイン政権が倒された。イラクにできた新政権はシーア派主導だった。シーア派はイスラム教の二大宗派のうちの1つ。もう一方のスンニ派に比べ、少数派だが、イスラム世界における両派の争いはしばしば大きな紛争に発展している。

アルカイダとイスラム国はどちらもスンニ派で、反米と反シーア派である。両者の違いは、イスラム国がシーア派を「異端」、もっといえば「異教徒」と断じて、「ジハードの対象である」と宣言したこと。イスラム国は、シーア派が牛耳ったイラク政権に対するスンニ派の攻撃をジハードとして正当化している。一方のアルカイダは基本思想は同じだが、シーア派よりもアメリカに対して、より大きな敵意を抱いている。「シーア派といえども、同じイスラム教徒。彼らと争っていては『本物の異教徒』であるアメリカを倒す戦いに進めない」と考えている。

アルカイダとイスラム国の基本的なイデオロギーは同じだ。ザルカーウィーの組織は9.11事件で世界的に高まったアルカイダの威信に惹かれて、「イラクのアルカイダ」と名乗って関連組織になった。アルカイダ本体から見ても、イラクで反米・反シーア派政権の武装闘争で成果を挙げたこの組織は捨てがたいので加入を歓迎した。アルカイダのネットワークに入ったイスラム国は、手法の面でもアルカイダと共通している。インターネットをアルカイダ以上に駆使し、残酷な映像も利用して巧みに宣伝し、世界中からジハード戦士を集めていった。

しかしザルカーウィーは06年に死亡し、指導層がイラク人主体の土着組織になっていく。フセイン政権の軍や諜報機関などにいた者たちも集まってくる。この点において、土着組織タリバンの側面を持っているといえよう。グローバルなジハード組織に集まる義勇兵や資金を利用しながら、フセイン政権当時握っていた権力を取り戻そうとする動きが背後にはある。

こうして見ると、ローカルな組織がグローバルな過激派組織の影響を受けて台頭しながら、やがて土着化して領域支配を進め、そこで再びグローバルな知名度を高めて世界中から戦闘員を集めるというサイクルがある。イスラム国は、タリバンのローカル性とアルカイダのグローバル性の双方の特質を併せ持つ組織に進化したといえる。

■タリバン、アルカイダ、イスラム国の移り変わり

【1979年】ソ連がアフガニスタンに侵攻、これを機にタリバンが結成。

【1996年】タリバンがアフガニスタンの首都カブールを制圧。

【1998年】タリバンがアフガニスタンの全土をほぼ掌握。→タリバンはビンラディンをかくまったことがある

【1999年】現在のイスラム国のもとになる組織ができる。創設者はヨルダン出身のザルカーウィー。

【2001年】アメリカ同時多発テロ事件(9.11事件)が起こる。米英軍がアフガニスタンを空爆。アフガニスタンのタリバン政権が崩壊。

【2003年】イラク戦争が勃発。サダム・フセイン政権が崩壊。

【2004年】ザルカーウィーの組織がアルカイダに合流し、「イラクのアルカイダ」を名乗る。

【2006年】「イラクのアルカイダ」が統合などを経て、「イラクのイスラム国」に改称。

【2011年】アルカイダ指導者、ウサマ・ビンラディンがアメリカ軍特殊部隊によって殺害される。

【2013年】「イラクのイスラム国」が他組織と合併し、「イラクとシャームのイスラム国」(ISIS)に改称。→インターネットを駆使して戦士を募集

【2014年】「イラクとシャームのイスラム国」が「イスラム国」と改称。

※編集部作成

 

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東京大学先端科学技術研究センター准教授 
池内 恵
(いけうち・さとし)
1973年生まれ。専門はイスラム政治思想。国際日本文化研究センター准教授などを経て2008年より現職。著書に『現代アラブの社会思想――終末論とイスラーム主義』ほか。

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(東京大学先端科学技術研究センター准教授 池内 恵 構成=平出 浩 撮影=榊 智朗)

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