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世界最強だった"北朝鮮の囲碁AI"の現状

プレジデントオンライン / 2017年11月20日 9時15分

2016年3月15日、ソウルのホテルで、自身のサイン入りの囲碁盤を「アルファ碁」開発企業の最高経営責任者(CEO)デミス・ハサビス氏(左)に贈る韓国人棋士李世ドル九段(写真=AFLO)

囲碁は朝鮮半島の国民的娯楽だ。韓国出身で世界最強のイ・セドル棋士が、グーグルの囲碁AI「アルファ碁」に負けたとき、韓国全土に大きな衝撃が走ったという。だが、実は10年ほど前まで、世界最強の囲碁AIは北朝鮮製だった。その強さはなぜ失速したのか。またそもそも、どうして北朝鮮は囲碁AIを研究していたのか――。

■「アルファ碁ショック」がもたらしたもの

いまや囲碁AIの代名詞ともなった、グーグル・ディープマインド社の「AlphaGo(アルファ碁)」。その名を世界に知らしめたのは、2016年3月に行われた韓国イ・セドル棋士との世紀の対決だった。対局の結果は、人工知能「アルファ碁の」の圧勝だった。国民的英雄の敗北に接した韓国の人々は、老若男女問わず、途方もなく大きな衝撃を受けたという。いわゆる「アルファ碁ショック」の到来だ。

「田舎に新しい車が通るみたいな感覚です。それまで韓国一般社会では、人工知能はあくまでSF世界に出てくるもので、現実のものではないと思われていたのです」

韓国テクノロジー専門メディア「テックホリック」を運営するイ・ソグォン記者は、当時の韓国社会の様子をそう振り返る。

「1997年にディープブルーがチェスチャンピオンに勝ったときも、あくまで他人事だった。しかし囲碁は、韓国人なら誰でも1回はやったことのある国民的ゲーム。しかもイ・セドル棋士に勝ってしまったとなれば、もう受け入れるしかなくなった」

「アルファ碁ショック」は、韓国政府や企業の動向にも大きな影響を与えた。どちらかというと好影響である。韓国における人工知能研究・開発、実用化への試みは20年以上前から始まっていたが、この出来事が日陰に隠れた同分野に一気に世論の関心を集中させた。現在、社会のテクノロジー熱の高まりを受け、サムスンやNAVERといった国内大企業を中心に、人工知能の研究・開発、投資が盛んに進められている。

だが実は、韓国が位置する朝鮮半島は、「アルファ碁ショック」以前から囲碁AIと縁の深い地域だった。アルファ碁登場の約10年前、世界を席巻していたのは、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の囲碁AI「ウンビョル」だったのだ。

ウンビョルは、朝鮮コンピューターセンターが97年に開発した囲碁AIだ。日本・科学技術融合振興財団(FOST)が主催する世界コンピューター囲碁大会では、98年に初優勝を飾り、03~06年に4年連続優勝、09年には全勝優勝を果たした。また、05年に行われた「世界コンピュータ囲碁大会・岐阜チャレンジ」でも全勝優勝を勝ち取っている。

98年当時、国際舞台に突如として登場した北朝鮮の囲碁AIに対し、世界からは懐疑の目が向けられた。関係者やメディアからは、「これまで最強だった中国のプログラムを複加・加工したものではないか」という噂話がどこからともなく出回ったのだ。しかし、ウンビョルがその後も結果を出し続けるにつれ、その懐疑は次第に賛辞に変化していくことになる。

■若手研究者たちが生んだ躍進劇

ここでひとつ疑問が湧いてくる。それは、「北朝鮮はなぜ囲碁AIの分野で世界に先駆けることができたのか」というものだ。05年の世界コンピュータ囲碁大会・岐阜チャレンジ優勝後、北朝鮮の機関紙「民主朝鮮」が組んだ「ウンビョル特集」からは、そのヒントが浮かびあがってくる。

「民主朝鮮」によれば、当時ウンビョルの開発に関わったのは、20代を中心とする若手研究者たちだった。技術的には「状況評価の重要な部分である死活判定、また状況評価部分の模擬理論を新たに生み出し、それをベースにナビゲーション精度を高いレベルで確保」したことが、躍進劇の決め手となったと評価している。つまり、中国の技術をまねたのではなく、石の「生き死に」を判断・管理するAIの能力を独自に磨きあげることで、世界のライバルたちを打ち負かすことができるようになったというのだ。

また同特集では、北朝鮮における囲碁AIの重要性も強調し、「斥候兵」と表現。つまり、情報通信技術の研究全般をリードするマイルストーンとして位置付けていたことになる。そして何よりも重要なのは、研究に対して「党レベルの全幅的な支援を進めている」と書いていることだろう。言い換えれば、国家として囲碁AI開発を積極的にバックアップしていたということだ。

ここで、当時の北朝鮮の情報通信産業(IT産業)状況について触れる必要があるだろう。韓国・統一省の分析によると、北朝鮮がIT産業に投資を始めたのは80年代からだったとされている。ただ、対外的にその動向が明らかになり始めたのは98年から。98年といえば、建国の父・金日成主席の死、そして自然災害による「苦難の行軍」など、90年代半ばに起きた相次ぐ悲劇が一段落していた時期だ。そのため国際的には、前後の時期に比べて、北朝鮮政権の国内・対外的安定性が高いと評価されている。

その98年に開かれた最高人民会議第10期第1回会議では、「科学技術発展5カ年計画」が採択・提示されている。それに従って、学校におけるコンピューター教育が一般化。99年末には、北朝鮮のトップのエリート校・金日成総合大学にコンピューター科学大学が新設され、金日成総合大学と双頭を成す名門校・金策工業総合大学にも、情報科学技術大学、機械科学技術大学が設置されている。時を待たずして、その他の主要大学にもプログラム学科が続々と登場しはじめた。

北朝鮮は1999年を「科学の年」とし、思想と銃(軍事力)、科学技術を「強盛大国」(北朝鮮の政治目標)建設の3大柱に据えた。そして同年11月には、情報通信部門を担当する担当省庁・電子工業省を新設した。

■国策として科学技術分野にテコ入れ

00年代に入ると、北朝鮮のIT産業への注力がより鮮明になる。03年6月には、最高人民会議常任委員会の政令で「コンピューターソフトウェア保護法」が、翌04年6月には「ソフトウェア産業法」がそれぞれ制定された。IT産業を発展させる戦略を、法律として具体化したものだ。それらの関連法案では、「中央政府のソフトウェア産業指導機関が科学技術関係各省庁や教育指導機関と連携し、計画的に専門家を排出すべし」と規定された。その後、06年4月には最高人民会議第11期4次会議で「科学技術大国」という長期的ビジョンが掲げられている。これは22年を目標年度とする、科学技術分野の段階的発展計画をまとめたものだ。

こうして見ると、囲碁AI・ウンビョルが活躍した時期と、北朝鮮政府が情報通信産業に力を入れ始めた時期が重なることが分かる。「党の積極的な支援」という文脈と重ね合わせると、国策による“テコ入れ”という追い風を受けてウンビョルが世界を席巻したと想像することは難くない。ウンビョルの研究・開発は、情報通信産業、またAI大国としての威厳をアピールするためのひとつの手段だったとも考えられる。

ただ、10年代に入ってから、北朝鮮の囲碁AIの存在感は次第に姿を潜めはじめる。韓国・産業銀行KDB未来研究所や各メディアの分析では、「最新のAI技術を支える大規模なハードウェアが不足している」というのがその理由となっている。

ディープラーニングなど最新のAI技術を使いこなすためには、膨大かつ良質なデータと、質の高い演算処理装置が必要になる。しかし北朝鮮では経済制裁や資金不足により、特に後者をそろえる方法がないというのが韓国における大枠の見立てだ。

例えば、韓国・産業銀行KDB未来研究所が発行した資料によると、ウンビョルの最新バージョン「ウンビョル2010」のCPU数は16個。対して韓国イ・セドル9段を下した「アルファ碁」には、1920個のCPUおよび280個のGPU(グラフィックス・プロセッシング・ユニット)が採用されていたという。

ただ韓国における分析がすべて正しいとも言い切れないし、実際には多くのことがベールに包まれたままだ。何かしらの理由で、北朝鮮が囲碁AIの開発に注力しなくなっただけとも考えられる。北朝鮮には、「一度やると決めたら成果を出すまで徹底的にやる」というお国柄がある。ウンビョルやミサイル、潜水艦など、その前例を挙げていけば枚挙にいとまがない。いずれまた98年のように、突如として他のAI分野で世界に打って出てくることも、じゅうぶんにあり得る話だ。

■すべてのトップ・金正恩の出した「指令」

北朝鮮の情報通信分野を専門に担当する省庁は「逓信省」と「電子工業省」となっている。逓信省は電気通信、メール通信、放送通信業務を遂行する。「朝鮮逓信会社」、「平壌国際通信センター」、「逓信電話局」、「TV放送指導局」、「情報通信研究所」などの傘下機構に加え、各地域の郵便局および逓信所も管轄している。

一方、電子工業省は情報技術を担当しており、管轄には電子製品開発および半導体の生産を担当する「平壌集積回路工場」と、科学院傘下の「プログラム総合研究所」、「コンピューターサイエンス研究所」などがある。なお、科学院とは科学技術の開発研究を総括する機関のことだ。IT研究開発を担当する機関としては「朝鮮コンピューターセンター」、「平壌情報センター」、「中央科学技術通報社」、「平壌プログラム塾」などがある。労働党、国家安全保衛省などは、電波管理、国際電話、ファックスなどIT部門に関与している。これは社会全般に対する不法・違法行為の防止、国家安全保障などとの関係による分け方だ。

当然、ここで挙げたすべての組織のトップは金正恩氏である。北朝鮮の指導者が世界の動向をどう捉えているかで、今後の国内の情報通信産業のあり方も変わってくるだろう。すでに16年以前に、金正恩氏が国内各機関に対して「情報通信技術を最先端水準に発展させろ」と指令を出していたことも明らかにされている。そして16年1月31日には、金日成総合大学の研究陣が、史上最強の暗号技術と呼び声高い「量子暗号」の開発に初めて成功したと労働新聞が報じた。

北朝鮮における情報通信分野の技術発展は、潜水艦やミサイルと同様に、日本を含む諸外国との軍事・外交的なバランスを変える力を秘めている。今後、どのような“イノベーション”が起きていくのか。情報は限られているものの、見逃せないイシューとなりそうだ。

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河 鐘基(は・じょんぎ)
「ロボティア」編集長。1983年、北海道生まれ。株式会社ロボティア代表取締役。テクノロジー専門ウェブメディア「ロボティア」(roboteer-tokyo.com)を運営。著書に『AI・ロボット開発、これが日本の勝利の法則』(扶桑社新書)、『ドローンの衝撃』(扶桑社新書)、『ヤバいLINE 日本人が知らない不都合な真実』(光文社)。訳書に『ロッテ 際限なき成長の秘密』(実業之日本社)、『韓国人の癇癪 日本人の微笑み』(小学館)など。

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(ロボティア代表取締役 河 鐘基 写真=AFLO)

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