サマータイム"70年前の愚"を繰り返すな
プレジデントオンライン / 2018年8月16日 9時15分
■“サマータイム反対論”を押さえこむ決め手が必要な自民党
安倍晋三首相は8月7日、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗元首相と会談し、夏時間の導入について前向きな姿勢を示した。だが同日、菅義偉官房長官は記者会見で「国民の日常生活に影響が生じるものであり、大会までの期間があと2年と限られている」と消極的な姿勢を改めて示した。
サマータイムに関する議論は今になって降って湧いた話ではない。2014年10月25日付の読売新聞では森元総理の発言として「安倍首相に『2時間のサマータイムをやったらどうか』言ったら、安倍首相が『なるほど。考えてみる。役所が反対するんだ』と言っていた」と報じられている。
冒頭の安倍首相の発言は、役所としては自民党政権下の四半世紀と、さらには東日本大震災後の2011年にサマータイムを真剣に検討した上で見送った経緯があることから、役所の反対が強く内閣として推進することは容易でないと見越した上で、まずは党での議論を促したものとみられる。このまま役所に落としただけでは、これまでの議論と同様に頓挫しかねない。党としてこれまでの議論を踏まえて、反対論を押さえこめるだけの決め手を探す必要があるのではないか。
■生活スタイルを変えるだけなら、他にも方法はある
政府は省エネの観点から1980年以降複数回にわたり、夏時間に関する世論調査を実施した。環境庁(当時)は1999年には「地球環境と夏時間を考える国民会議」を組織し、夏時間の呼称を公募、夏時間について理解を得るためのパンフレットも作成している。サマータイム対応のシステム改修には「2年の準備期間と1000億円が必要」という試算は、この時のものだ。
この四半世紀以上、幾度となくサマータイムの導入に向けて努力したものの、法案提出に辿り着けなかった。省エネなど効果があるとされてはいるものの、生活スタイルを変えるだけであれば他にも方法があり、情報システムの混乱や健康への影響を払拭できなかったからだ。
政府では2015年に夏に勤務時間を前倒す「夏の生活スタイル変革(ゆう活)」を展開。官公庁に導入している。サマータイムよりも緩やかに、時間そのものをいじることなく人々の生活スタイルに変化を与えようとする取り組みだが、十分に浸透しているとは言い難い。
■占領期に導入された「サンマー・タイム」は大失敗だった
実は日本には夏時間を導入していた時期がある。敗戦後GHQに占領されていた1948年に内閣提出法案として夏時刻法が成立。それから4年間は「サンマー・タイム」といって時計を1時間進めた時刻が使われたが、主権回復に先立ち1952年4月11日に議員立法で廃止された。
当時は第一次産業に従事する人口が多く、もともと太陽の運行に従って仕事をしていたため、人為的に時計を早めるサンマー・タイムとは合わなかったことに加えて、民間と公務員の通勤時間が重なって朝のラッシュを悪化させ、労働時間の長期化を招いたとされている。
公正を期すならば、朝のラッシュの悪化や労働時間の長期化は夏時間よりも朝鮮戦争の勃発に伴う朝鮮特需の影響の方が大きかった可能性がある。統計を見る限り、夏時間が導入された当初の昭和23年、24年の労働時間は増えていないからだ。
サンマー・タイム廃止の理由は国民からの不人気もさることながら、逼迫していた電力事情の改善が大きかった。そういった意味で占領下のサンマー・タイムも、この四半世紀の立法努力も専ら省エネを目的として、近年では地球温暖化対策として推進されてきた。
仮に秋の臨時国会でサマータイム法が可決した場合、日本標準時システムや標準電波、政府情報システムの改修に加えて、自治体システムの改修に必要な特別交付税、民間部門の機器買い換えやシステム改修に対するサマータイム対策補助金を含めて兆単位の財源措置が必要となるのではないだろうか。
環境庁(当時)の1999年の試算では約1000億円とされてきたサマータイムへの対応費用だが、近年の情報システムやデジタル機器の浸透を踏まえて、改めて費用と社会への影響を算出する必要がある。
■IT業界にとっては「特需」ではなく「リスク要因」
サマータイムの導入によって、民生デジタル機器や情報システムのテスト・改修のために膨大な費用が必要となる。時計やデジタル家電の買い替え需要も喚起される。ではサマータイム対応を担うIT業界は、特需によって潤うのだろうか。
折しも2019年から2020年にかけては新元号や消費税の軽減税率への対応が進んでおり、エンジニアの需給は逼迫している。稼働が埋まっているITベンダーにとって、サマータイムの導入は、プロジェクトの推進に不確実性をもたらし、エンジニアの単価を引き上げかねないリスク要素でしかない。エンジニアにとっても既存システムの動作確認やシステム改修は、後ろ向きで何ら価値を生まない作業だ。
デジタル機器メーカーは売り切りで新規の売上が見込めない中で、すでに販売した機器のテストだけで大きなコストとなる。自社でパッケージやサービスを提供している企業は、追加費用なしで対応を求められる。他システムとの連携を行う場合、そのテスト工数もかさむ。既存の保守契約の中で対応を求められて、もともと予定していた機能拡張や新規開発を先延ばしにして工数をやりくりすることになるだろう。
■電力不足の対策としても逆効果になる恐れ
競争力の低い受託開発ベンダーの中には、降って湧いた膨大なテストと改修の案件で潤うところもあるかも知れないが、全体で見るとIT業界は後ろ向きな作業に多くの要員を割かざるを得ず、全ての案件が影響を受けることから、大きく足を引っ張られる。エンジニア不足の中で未熟練の要員を大量にかき集めれば、大きな混乱が予想される。オリンピックを前に、事故を誘発しかねない開発案件を積み上げることのリスクは大きい。
電力という観点でのリスクもある。産業技術総合研究所は2011年、東日本大震災後の電力不足に際して、時刻を1時間早めるサマータイムの効果を試算したが、「夕方に事務所の空調を若干削減するものの、家庭の空調を大幅に増加させるため、逆効果となる可能性がある」と結論づけている。
■机上の試算ではなく、科学的な検証をもとに論じるべき
8月に行われたNHKと朝日新聞の世論調査によると、いずれもサマータイムの支持は過半を超えている。これは今回に限った話ではなく、これまでも世論はサマータイムに対して好意的だった。それにも関わらず法案提出には至らなかったのだから、今回もサマータイムの導入は難しいのではないかという見方もできる。
しかしながら衆参で過半数の議席を持つ安定政権にあって、オリンピック推進のためであれば野党にも支持が広がり得ることを考えると予断を許さない。オリンピックの開会式や閉会式の前後に休日を集中する改正大会特別措置法には共産党を除く各党が賛成した。報じられている通り今秋の臨時国会で提出を目指すとなると、十分に議論を尽くすだけの時間がない。超党派で議員立法の機運が盛り上がれば、一気に審議が進む展開も考えられる。
仮に秋の臨時国会で法案を通すとして、オリンピックまでは2年を切っている。必要となる予算措置や要員の確保まで考えると、実際に夏時間への対応にかけられる時間はさらに短い。仮にサマータイムが国会で審議されるのであれば、その効果については机上の試算ではなく、実際にサマータイムを実施している国々での科学的な検証をもとに論じていただきたい。
そしてサマータイムに反対する場合も、単に費用がかさむ、時間的に難しいというだけでなく、検討の端緒となったオリンピックの猛暑対策について、一緒に知恵を絞ってはどうか。
■何より大切なのは、プロセスの記録と公表
そして何よりも大切なことは検討のプロセスを記録に残し、広く公表することだ。
この記事の執筆にあたり、戦後のサマータイムへの取り組みについて多くの資料を探したが、占領下でのサンマー・タイム法の成立や、2011年の民主党政権下でのサマータイム検討については断片的な資料しか見つけられなかった。これまで数年おきにサマータイムの議論が復活し続ける背景に、その時々の検討が十分に公表されていないこともあるのではないか。
もし仮にサマータイムに実際に効果があるのであれば、オリンピックには間に合わなかったとしても計画的に実施すべきだし、効果を期待できないのであれば検討経緯を残して後世に伝えることが大切だ。全ての人々の生活に影響する重要な問題であるだけに、時の雰囲気や勢いに流されるのではなく冷静に議論することが肝要だ。
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国際大学グローバルコミュニケーションセンター 客員研究員
インターネット総合研究所、マイクロソフト、ヤフーなどを経て、現在は銀行系FinTech企業でCTOを務める。2011年から内閣官房の補佐官としてマイナンバー制度を支える情報システムの構築に従事。ISO/TC307 国内委員会 委員長としてブロックチェーン技術の国際標準化に携わる。
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(国際大学グローバルコミュニケーションセンター 客員研究員 楠 正憲 写真=iStock.com)
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