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ユニクロが選んだ「日本製デニム」の底力

プレジデントオンライン / 2018年12月7日 9時15分

米国で生まれ、世界中で愛用されているデニムウエアだが、その生地生産で世界屈指のメーカーが広島県福山市にあることをご存じだろうか。備後絣の染色が家業だった老舗、カイハラが、海外の一流ブランドから高い評価を得、現在もユニクロのジーンズの約8割を担う秘密を探る――。

■米国文化の産物に異質の価値を移植

カイハラの足跡からは、環境の変化に対する適応力の高さと、たび重なる革新への挑戦が浮かび上がります。米国文化の産物であるデニムを、伝統の技術をもって日本流につくり替え、さらに海外に打って出ようとする姿が印象的です。

日本には、外から取り入れたものを自国流にアレンジする文化的な素地があるようです。たとえば、コンビニは米国生まれですが、もとのそれとは異なるシステムにつくり替え、今日では海外へも進出しています。私はこれを「時間差攻撃」と呼んでいますが、カイハラもそれを成し遂げた企業のひとつといえます。

1893(明治26)年に創業した染織業のカイハラが、デニムの生産に乗り出したのは1970(昭和45)年。当時、日本製デニムは本物とは似て非なるものでしたが、カイハラは備後絣の伝統技術を用いて、日本初の本格的なデニムの染色に成功しました。

■デニムへ最初に合繊を取り入れたのは「カイハラ」だった

その後のジーンズブームの波に乗り、倒産一歩手前だった同社はV字回復を遂げます。しかし、この頃のカイハラ製デニムは、高品質ではあっても、まだ輸入品の複製という域を出ていません。デニムが素材として大きく変貌しはじめるのは、ジーンズ人気が下火になった後の2000年ごろからです。

綿糸の織りに合成繊維を取り入れるなどして、薄くて軽量な生地や伸縮性のあるものが開発されます。近年では、夏に涼しく、冬に暖かいものなどもあり、機能性素材としてのデニムが普及しています。同社の貝原良治会長によれば、デニムに合繊を最初に取り入れたのは同社だそうです。

欧米ではまだ作業着のイメージが強いジーンズ。日本ではビンテージものなどプレミアム性で売る市場を残しながら、生地のデニムはファッション性の高い新素材に生まれ変わり、今は海外からも注目され始めています。

貝原会長は「国内のジーンズ市場は縮小しているが、海外はこれから」だと言います。技術をもって本家本元を凌駕し、新しい価値を植え付けて打って出る。その時間差攻撃に、日本の企業ならではの小気味よさを感じます。

■「生地の出来は70~80%は染色にかかっている」

カイハラは、デニムの染色を皮切りに事業の垂直統合を図っていきます。デニムの生産には、紡績、染色、織布、整理加工という工程があります。それらを染色から織布、整理加工、紡績という順に事業を拡大していきました。

写真上・創業者・助治郎(右)の手腕で手織機70台、社員30名の規模に。2代・覚(中)は軍需で製縄機に投資。3代・定治(左)は洋服用広幅絣を開発後、デニム製造への事業転換を決断、独力でロープ染色機を開発した。同下は本社工場内での良治会長。

伝統的な繊維産業は、分業制で成り立っています。しかし、分業制は工程ごとに事業者間で製品が取引されますから、全体としてのコストや時間のムダが生まれます。また、工程のどこかひとつが欠けても、生産が立ち行かなくなるという脆弱性もあります。カイハラは、それを嫌い、デニム生産を始めてわずか4年後に、備後絣の生産から撤退しています。

一方、「生地の出来は70~80%は染色にかかっている」と貝原会長は言います。ジーンズ人気でうなぎ上りに業績が伸びた70年代以降、品質の安定性と生産効率、量産化を追求していった結果、同社は生産の川上から川下までを一元化する垂直統合に行きついたのです。

■「一貫生産なら、国内でも採算は合う」

そのための設備投資も「70年からの累積で800億円くらいにはなるのでは」(貝原会長)という膨大な額。なかでも特筆すべきは、最も川上にあたる紡績事業に乗り出したタイミングです。年商の半分以上を投じた紡績工場が操業を開始したのは91年。紡績業は国内生産では採算が合わず、軒並み海外に工場を移していた時期です。地元では「これでカイハラは倒産する」と囁かれました。

しかし、貝原会長は「一貫生産ならば、国内でも採算は合う」と決断したのです。

製造業の垂直統合は、高度成長期の自動車メーカーが典型例ですが、近年国内の、それも中小企業でうまくいった例はあまり見受けられません。その意味では、カイハラは垂直統合に成功した数少ない事例のひとつといえます。これにより同社は、他の追随を許さない強固な事業基盤を築き上げています。

■会社の存続を懸けた「結合」の先見性

3つ目のポイントは、結合能力の高さです。

カイハラは「リーバイス」ブランドのリーバイ・ストラウスに力量を認められ、73年から取引を始めます。

当時のリーバイは、世界最大のアパレル企業でした。そこから同社は、工業化のシステム、ノウハウを吸収します。伝統的な産業構造から脱却する大きな契機になったと思われます。

さらに大きな転機は、ユニクロとの出合いです。現在、ユニクロが販売するジーンズの約8割を、カイハラ製デニムが占めています。両社が出合った98年、ユニクロのジーンズ価格は1980円でした。カイハラ製デニムのジーンズには2980円の値がつけられましたが「これで利益が出せるのか」と、貝原会長はいぶかったそうです。

しかし、国内の有名ジーンズメーカーが次々と姿を消すなか、ユニクロとの結合は経営の下支えとなり、カイハラはSPA(製造小売業)への供給比率を高めていきます。このSPAとの結合が、合繊メーカーとの結合へと発展していきます。

■東レやユニチカなど合繊メーカーとの共同開発へ

本来、デニムに合繊は馴染まないものとされていました。しかし、東レやユニチカなど合繊メーカーとの共同開発により、カイハラは機能性デニムの領域に踏み出します。伝来の確固たる技術力をもとに、異質なものを結合させ、取り込んでいく。その柔軟さも、品質優先で独自に垂直統合を成し遂げてきたカイハラの見どころでしょう。

BtoBの企業でありながら、商社などを介さずに新製品を顧客に売り込むダイレクトマーケティングの展開もカイハラの特色ですが、そのための試作品は年間に700~1000点にのぼるといいます。

16年、カイハラはタイに新工場を設立しました。背景には、国内では難しくなってきている労働力の確保がありますが、タイ工場を拠点として新素材デニムのグローバル展開を図ろうというのが狙いです。今後、どのように進展するのか、その成果が注目されるところです。

技術力をもとに異質なものを結合、取り込む柔軟性
●本社所在地:広島県福山市
●代表者:貝原良治(1943年生まれ。成城大学経済学部卒業、繊維商社を経て貝原織布(現カイハラ)入社。2003年より現職)
●従業員数:746名(カイハラ44名、カイハラ産業702名、2017年2月現在)
●沿革:1893年創業、非上場。デニム素材の一貫生産(紡績、染色、織布、整理加工)および販売。

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磯辺剛彦
慶應義塾大学大学院 経営管理研究科教授
1958年生まれ。81年慶應義塾大学経済学部卒業、井筒屋入社。96年経営学博士(慶大)。流通科学大学、神戸大学経済経営研究所を経て2007年より現職。企業経営研究所(スルガ銀行)所長を兼務。専門は経営戦略論、国際経営論、中堅企業論。

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(慶應義塾大学大学院 経営管理研究科教授 磯辺 剛彦 構成=高橋盛男 撮影=浮田輝雄)

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