1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

橋下徹「論理なき韓国批判が危険なわけ」

プレジデントオンライン / 2018年12月12日 11時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/neirfy)

日本企業に対し、韓国人の元「徴用工」への賠償を命じた韓国の大法院(最高裁)判決が波紋を広げている。日本からの批判は「日韓請求権協定によって解決済み」というのがおおかたの論拠。しかしそれでは本質的な問題解決にはほど遠い。橋下徹氏の見方とは? プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(12月11日配信)から抜粋記事をお届けします――。

■日本側のおおかたの韓国批判は、自分の頭で考えない典型例だ

これまで2回のメルマガにわたって韓国大法院(最高裁)のいわゆる「徴用工」判決について論じてきた(Vol.127【韓国徴用工問題(1)】日本には法的“ケンカ”の用意があるか? 安倍政権が見落としてはならない重要ポイント/Vol.130【韓国徴用工問題(2)】2件目の「賠償命令」でいよいよ冷え込む日韓関係。収拾のために何をすべきか?)。日本国民のおおかたは、「1965年の日韓請求権協定で全て終わったのだから、韓国はいまさらぐちゃぐちゃ言うな!」の一点張り。僕はそのような日本の態度は間違っているという持論。2007年の日本の最高裁判決を土台に考えるべき、ということをこれまで論じてきた。

想像はしていたけど、僕の意見に対しては、ほぼ批判一色。でもね、多くの人から批判をもらって、ますます自分の持論は正しい方向だなということを確信したよ(笑)

僕はこれまで持論を公にしては激しく批判されることを何度となく経験してきた。というよりも、激しく批判を受けるために持論を公にしてきたというほうが正しいかもしれない。

世間の凝り固まっている意見、考え、思考に対して、違う考えもあるんじゃないの? という切り口を提示することも政治家の重要な仕事だと思っていたからね。そして、世間の批判を受けて、やっぱり自分が間違っていると感じたら持論を取り下げたり修正したりすることもあるし、逆に自分が正しいと確信するときもある。自分が正しいと確信するときというのは、世間の批判に論理性がないときだ。

○○があるから当然だ。
○○から見れば当然だ。

このフレーズで結論を導いているときほど怪しいことはない。なぜなら、このような結論の導き方は論理的ではない、すなわち自分の頭でしっかりと考えていないからだ。

韓国大法院の徴用工判決についても、「1965年の日韓請求権協定があるから、韓国はグダグダ言うな!」というのは自分の頭でしっかり考えていない典型例だ。

(略)

今回の韓国大法院の判決について、日本の政治家の多くや、威勢のいいインテリたちは、「韓国大法院の判決はおかしい! 韓国政府はそれに従うな!」と主張する。もしそのように主張するなら、フェアの物差しからは、日本が他国から「日本の最高裁の判決はおかしい! 日本政府はそれに従うな!」という批判を受け入れなければならない。日本の最高裁も外国人の主張を却下する判決を多く出しているが、もしその外国人が属する外国政府から日本の最高裁判決に従うな! というクレームが来た場合に、そのクレームを受け入れるとでもいうのか。

今、話題になっている日産元会長のカルロス・ゴーンさんの事件。フランスから見れば、弁護人が立ち会わない日本の捜査機関の取り調べは超野蛮なことで、日本の刑事裁判なんて信じられない! となるだろう。取り調べの違法性が強い場合には「毒樹の果実論」という法理論によってそれだけで無罪になるというのが先進国共通の原理原則だ。では、仮にゴーンさんが最高裁まで争って有罪判決を受けたとして、フランス政府が毒樹の果実論を持ち出し、日本の最高裁の判決に日本政府は従うな! とクレームを付けてきた場合に、日本政府や我々日本国民はそのクレームを受け入れるのか。

そんなことはない。日本はれっきとした三権分立の国だ。日本の最高裁の判断を国会や内閣は尊重するというのが日本国憲法の建前である。そうであれば、国際評価機関による民主主義のレベル評価として日本と遜色のない韓国における大法院(最高裁)の判断を韓国政府が尊重することについて、日本は批判できないはずである。韓国政府に韓国大法院の判決に従うな! と主張すれば、今度はそれは我々日本に、日本の最高裁の判決に従うな! というかたちでブーメランとして跳ね返ってくる。

(略)

■戦時下の労働環境で、日本企業は加害者の可能性が高い

植民地時代の合法、違法を論じたところで双方の見解は平行線となるので意味がない。だからこそ、徴用工問題は、通常の労働問題として見るべきである。2007年の日本の最高裁判決も同様の思考である(参照:Vol.130【韓国徴用工問題(2)】2件目の「賠償命令」でいよいよ冷え込む日韓関係。収拾のために何をすべきか?)。

問題とされた労働問題の発生当時、日本は戦争状態にあった。そのような特殊性から、いちいち当時の日本企業の労働環境を問題視すべきではないという意見もあるが、そのような考えは、まさに政府、お上に従属する悪しき日本人的思考である。

人間は悲惨な戦争の歴史から、戦争にも一定のルールを作り始めた。それは第一次世界大戦後に顕著に表れた。戦争とは人を殺す行為であるが、しかしその殺し方に一定のルールを設けた。一定のルールを守ることを求めながら、相手国に対する戦闘行為を正当化したのである。

もちろん通常兵器による無差別爆撃や原爆投下など、相手国に対してそのようなルールが守られていない戦闘というものはたくさんあるが、それがある意味戦争というものである。

しかしこのような戦争の特殊性を根拠に、国家が自国民に対して行った非人道的行為が全て許されるわけではない。むしろ相手国、相手国民に対する非人道的行為よりも、自国民に対する非人道的行為のほうが厳しく断罪されるべきものであろう。相手国に対しては、自分たちが生き残るために行き過ぎた行為になる場合もあろうが、しかし自分たちが生き残るために、自分たちの仲間に非人道的行為を行うというのは全く正当性がない。

ここが僕が日本の戦前社会を決定的に忌み嫌う理由でもある。日本の戦前社会、戦前・戦中の日本政府は、自国民を守ることに全力をあげなかった。

文在寅大統領を批判する威勢のいい日本の政治家やインテリ連中は、日本の戦前社会や戦前・戦中の日本政府を褒める連中が多い。しかし戦前社会や戦中の日本政府は、自国民を守るどころか、自国民を犠牲にすることを平気でやった。それは国体という抽象的なものを守るために、そして軍部という組織や戦争指導者、そして幹部たちが自分の地位を守るために自国民を犠牲にしたのである。沖縄戦もそうだし、特攻隊もそうだし、その他の戦略性のない作戦行動の全てがそうだ。

戦争とは自国民を守るためにある。ゆえに自国民保護が至上命題である。この思考が足りなかったのがまさに戦前・戦中の日本社会や日本政府である。だから僕はこれらを許せない。

そのような意味で徴用工問題の本質は、自国民をきちんと保護しなかった労働問題である。日韓関係における国と国、政府と政府の関係は、1965年の日韓請求権協定で解決した。本件はそれとは別に、日本企業の責任問題である。日本企業はどのような形で、労働者を働かせていたのか。2007年の日本の最高裁判決も、その他日本企業の責任を認めた下級審の裁判例も、この労働環境の酷さを指摘し、そして被害者である労働者に寄り添うような判決となっている。もちろん最終的には1965年日韓請求権協定のような平和条約(和解条約)が存在することから、被害労働者の賠償請求は排斥されたが、しかし被害労働者が被った苦痛に対しては、同情の念、いたわりの念を強く表出している。そこにおいては、強制的に連れてこられた「徴用」なのか、自主的に働くことになった「官あっせん」・「募集」なのかは関係ない。

ここは当時、どのような悲惨な労働環境だったのかが問われる問題である。そして日本企業が違法な労働環境で労働者を働かせていたのであれば、企業として責任を負わなければならないことは当然のことである。当時は戦争状態だったから、というのは言い訳にはならない。ゆえに、もし日本企業に加害の事実があったのであれば、1965年の日韓請求権協定によって最終的には賠償責任を負わないという立場をとるにせよ、加害者としての態度振る舞いというものがあるだろう。今の日本政府、日本国民の態度は、加害者としての態度振る舞いとして相応しいのか。

僕は、弁護士としてこれまで無数の和解契約を締結してきた。和解契約後、被害者側が何らかの追加請求をする場合もある。和解によって消滅していない権利は請求できるという法理論がしっかりあるし、錯誤和解という理屈もある。ゆえに、その請求が最終的に認められるかどうかはともかく、加害者側が「和解契約があるんだから、グダグダ言うな!」と言ってきたら、「おいおいちょっと待てよ、それが加害者としての態度振る舞いか?」となる。

だからフェアの物差しから、僕は「1965年の日韓請求権協定があるんだから韓国はグダグダ言うな!」という今の日本政府、日本国民の態度振る舞いを批判している。

したがって、徴用工問題で重要なことは、当時の日本企業が、労働者をどのように働かせていたのか、それは韓国人や中国人だけでなく、日本人に対してもどうだったのか、ということであり、その点の事実検証が必要だ。さらには、2007年の日本の最高裁判決の論理や、和解契約締結後の追加請求についての法理論についての理解も必要となる。韓国側の請求を断るにせよ、これらのことを十分検討した上で、丁寧かつ真摯に断るのが日本側の取るべき態度振る舞いだ。

「1965年の日韓請求権協定があるから、もう終わり」という今の日本側の思考や態度振る舞いは、全く頭を使っていない最も低レベルのものであり、仮に日本企業に加害の事実があったならば、最悪の態度振る舞いである。

(略)

(ここまでリード文を除き約3800字、メールマガジン全文は約1万2400字です)

※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.131(12月11日配信)を一部抜粋し、加筆修正したものです。もっと読みたい方はメールマガジンで! 今号は《【韓国徴用工問題(3)】世間からのご批判に応えます! なぜ日韓請求権協定を前提にするだけではダメなのか?》特集です。

(元大阪市長・元大阪府知事 橋下 徹 写真=iStock.com)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください