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おみくじの"大吉"に喜ぶ人に教えたい故実

プレジデントオンライン / 2018年12月12日 9時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/LeoPatrizi)

■凶を引いて「最悪だ」と凹む息子にかける言葉

今年もたちまち過ぎて残り1カ月にも満たなくなってしまった。光陰矢の如し、とはよく言ったもので、つい先日、初詣に行ったと思ったら、次の年の初詣がすぐそこまでやってきている。

今年の正月に引いたおみくじは、確か大吉だったと記憶している。とはいえ、何が書いてあったかは覚えていない。ただ、その時の物寂しい気分だけが思い出される。そして、凶を引いて「最悪だ」と凹んでいる息子に、「凶というのは、凹んだ中から芽(メ)が出る兆しのことだ」と話をしたのを思い出した。

■おみくじの起源は「フェミニズム運動の資金捻出」だった

ものの本によれば、おみくじの原型は、平安時代に天台宗の最高位にあった良源(通称、元三大師)が考案したものであるという。おみくじは、いまでは神社の専売特許のようだが、その出自は仏教にあったわけだ。それが現在の形になったのは、明治38年のことらしい。なんでも、二所山田神社21代目の宮司・宮本重胤が、男性しかなれなかった神職に女性も就けるようにしよう、女性の自立を促そうと、いまで言うフェミニズム運動の資金を捻出するために、おみくじを始めたのだそうだ。

お盆に、ハロウィン、クリスマスに、初詣と、どんな宗教色のある行事もたちまち年中行事やビジネスに変えてしまう日本のお国柄は、良く言えば宗教に寛容で、悪く言えば無頓着だと言うことになろう。日本人の多くがあまりに宗教に無頓着なので、中には、日本人は無宗教なのだ、と言う人たちもいる。当たらずとも遠からずと言う気もするが、かといって、日本人が神様を信じていないかと言えば、そうでもない。

「受験前、神や仏に様をつけ」

確かこんな川柳があったはずだ。普段は宗教を意識することなど滅多にない人たちも、ここ一番と言うときには、神様、仏様と頼りにする。年の初めも同じだ。今年という年が、自分にとってどんな年になるのか、どうしていけばいいのか、おみくじを引いて神様にお伺いを立ててみたくなる。それが人情というものなのだろう。

警察庁が、2009年まで集計していた統計によれば、2009年時点で初詣のために参拝した人たちの総数は9939万人であったと言うから、初詣がいかに国民的な行事であるかがよくわかる。仮にその中の一割がおみくじを引いたとしても、その数はとてつもない数になる。おみくじが、神社にとって大きな収入源であることは間違いなかろう。

■「大吉に喜び、凶に泣く」は古人の考えとは違う

そのためか、神社の中には商魂たくましいところもあるようで、わざわざ参拝に来て、おみくじを引いてもらうのだから、大吉が出たと喜んでもらい、リピーターになってもらおうと、大吉をたくさん増やしておくところもあるという。

いまでは、おみくじの中身も、大吉、吉、中吉、小吉、凶をベースに、グラデーションを増やすなど、さまざまな工夫を凝らしている神社もある。しかし、いずれにしても、大吉が最も良いとされていることに変わりはないようだ。

この社会では、何をどう信じるのも自由なのだから、何をどう価値付けするのも自由であって良いと思う。大吉に喜び、凶に泣く。それでも一向に構わない。しかし、何かと1番を求め、勝ち組だ、負け組だと序列化したがる昨今の風潮に照らせば、いま一度、古人の考えを思い直してみる価値はあるようにも思う。

ここにいう古人の考えとは、月の満ち欠けになぞらえることのできるものだ。古人いわく、

「満ちるは欠ける兆し、欠けるは満ちる兆し」

満月(望月)はほどなく欠けて行き、新月(朔月)はまた必ず満ちてくる。月がそうであるように、人生もまたそうである。この考えは、平安時代に貴族たちの生活の指針になった陰陽道(おんみょうどう)の影響があるようだ。太極は、陰は陽に、陽は陰に通じることを表している。

■命あるものは必ず死に、盛んな者も必ず衰える

現代に生きる私たちは、月の満ち欠けと人生を重ねると、「人生、良いことばかりじゃないし、悪いことばかりでもない」などという、有り触れたメッセージを引き出してしまいそうになる。しかし、こんな理解は、いささか浅薄に過ぎると思う。

というのも、古人が書き残してきたものの多くは、しかも名文とされるものはどれも、この世の無常を見つめているからだ。命あるものは必ず死に、盛んな者も必ず衰える。生者必滅、盛者必衰、諸行無常、これが主題だ。少しばかり例を挙げよう。

平安時代初期の美女、六歌仙の一人、小野小町が詠んだ和歌は、百人一首にも選ばれているので、よく知られている。

「花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに」

花がたちまち色褪せていく様と、自分の老いを重ねた小町のこの和歌は、後代の人たちにも感じるところがあったようで、小町の美と老いをテーマにした「卒都婆小町」や「通小町」など、いわゆる「小町物」と呼ばれる数多くの作品が生まれている。

■たとえを変えながら「世の無常」を四度も繰り返す

平安時代が過ぎ鎌倉時代に入ると、「世の無常」は、いっそう本質的なものとして描かれていく。その代表は、何と言っても「平家物語」だろう。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとえに風の前の塵におなじ」

「平家物語」の冒頭の一節だ。名文として名高いが、そこでは世の無常が、たとえを変えながら四度も繰り返し表現されている。平家にゆかりの物語は、さらに後代に至っても世の無常を伝えている。織田信長が好んで演じたとされる「敦盛(あつもり)」がそうだ。

「人間五十年 化天の内を比ぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を享け滅せぬ者のあるべきか」

一ノ谷の戦いで、平家の若武者平敦盛を討った熊谷直実が、出家して世をはかなむ中段後半のシーンの一節だ。人の世の出来事など、人の夢と同じで、儚いものだということだ。

小町の和歌も、平家物語も、敦盛も、いずれも「人生には良いことも、悪いこともある」だとか、「何事も経験だ」などとは教えていない。月が満ちたり欠けたりするのは、良いことでも悪いことでもない様に、人生の好転や暗転も、良いことでも悪いことでもない。それは起きるべくして起きる、そうとしか言いようのないものだ。そう教えているのである。

■道長は「満月であること」をひたすら望んでいたのか

私たちは、目標を立て手段を選び、上昇を夢見、下降を恐れて生きている。目標を達成するために、日々、多大な犠牲を払っていると言ってもいい。それだから、うまくいくという暗示に喜び、報われないという暗示に心を曇らせる。大吉に喜び、凶に泣くのである。満月であることをひたすら望み、それゆえに、先んじて満ち足りた人を妬み、やっかみ、ときに傲慢だと思うことさえある。

私は、時々、こうした現代人の心は――つまり、一喜一憂する私の心は――古人のそれとは随分と離れてしまったと感じる。しかし、先月ほど、そうした思いを新たにしたことはなかった。というのも、11月の満月は、藤原道長があの有名な和歌を詠んでから、ちょうど1000年目にあたる満月だったからだ。

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧たることも なしと思へば」

この和歌は、平安時代に権勢を誇った道長が、宴の席で、即興で詠んだものだ。この和歌が現代まで伝わったのは、当代一流の学識者だった藤原実資(さねすけ)が聴き取り、寛仁2年(1018年)10月16日の出来事として藤原実資日記(小右記)に書き留めているからだ。先月23日(旧暦の10月16日)の満月が1000年目の満月だと分かるのも、藤原実資のおかげだ。

■古人は、世の無常を私たちよりもずっと強く意識していた

道長のこの和歌は、小学校6年の社会科で習ったはずだ。その時には、きっと道長の驕り高ぶった様子を表している、と教わったことだろう。世の中はすべて自分の思いのままで、満月のように何も足りないものはない。この和歌からは道長の悦に入る様子がうかがえるのだと、私は、確かにそのように教わった。道長の三人の娘たち(彰子、妍子、威子)が、一条天皇、三条天皇、後一条天皇の后(きさき)になり、権勢が揺るぎないものになったことを誇示したものだ、と多くの書籍にも書かれている。

しかし、大人になって、あれやこれやとものを考え、学者の端くれとなったいまでは、私には、どうにもこの定説は、現代人の心が古人の心と遠く離れてしまい、何かを見失った現れのように感じられる。

これまで述べてきたように、古人は、世の無常を私たちよりもずっと強く意識していたように思う。いまよりもはるかに一生が短かったことは、諸行無常をまざまざと実感させたはずだ。そうした時代に生きた道長が、自分の権勢を欠け行く満月にたとえ、傲慢な態度で悦に入るという解釈は、どうにも釈然としないのだ。

■当夜は「十六夜(いざよい)」で、満月は欠け始めていた

平安時代の貴族の生活や思想は、陰陽道の影響を強く受けていた。道長の日記『御堂関白記』にも、道長や一条天皇が陰陽道に信頼を寄せている様が記されている。そんな道長が、陰陽の、盛者必衰の理を無視するような和歌を詠むとは、私にはどうしても思えないのだ。さらに言えば、この和歌は、10月16日、三女の威子が後一条天皇の后になった夜に詠まれたのだが、この夜の月は十六夜(いざよい)で、もう満月は欠け始めていたのである。

長らく定説に不満を募らせていたこともあって、たまたま目にした、平安朝文学研究者である山本淳子氏の新説は、私にはとても魅力的に思えた。詳しい解説は、彼女の論文(「藤原道長の和歌「この世をば」新釈の試み」:「国語国文 87巻8号」)を読んでいただくとして、ここでは、山本氏による新訳を紹介しておきたい。

「今夜のこの世を、心ゆく我が満足の時と感じるよ。空の月は十六夜で欠けているが、私にとっては望月が欠けていることもないと思うと。なぜならば、私の月は后である娘たちだからだ。三后の地位をすべて占めて、欠けたところがないではないか。それに、私の月は皆と円満に交わしたこの盃。これまた丸くて、欠けたところがないではないか。どうだ、どちらも望月だろ?」

藤原実資日記によれば、道長の和歌は、その場にいた皆で唱和したのだそうだ。三人の娘たちが三后となったことを喜び、酒席を共にする貴族たちとの円満な関係に満足する様子は、驕り高ぶる道長のイメージとは、随分異なったもののように思える。

■人生の好転や暗転は、一喜一憂しても仕方のないこと

道長は、この宴から9年後の万寿4年12月(1028年1月)に62歳で病没しているのだが、この間、相次いで子どもたちに先立たれ、自身も病気がちで安らかではなかったようだ。まさしく、月は欠けていったのだ。

権力闘争の勝者であった道長は、満月が欠けることは嫌というほど知っていたはずだ。もしかしたら、道長は、宴の夜にはすでに体調の変化を感じていたかもしれない。私にとって、山本氏の新説が魅力的に思えるのは、十六夜の欠け始めた月の下で、暗転をどこかに感じながら、それゆえにこそ、二度とない、その夜の喜びを大切にしたいという思いが、何やら伝わってくるような気がするからだ。

ようやく、ここにたどり着いた。大吉を物寂しく思い、凶を芽が出る兆しとして教えた理由にだ。つらつら思うに、古人の言う通り、起こるべくして起こる月の満ち欠けと人生の好転や暗転は、一喜一憂しても仕方のないことなのだろう。しかし、だからこそ、二度とない、いまこの時を、大切に、丁寧に、精いっぱい生きるべきだったと、そうすべきだと古人は私たちに教えているのではなかろうか。古人の倍も生きるようになった私たちが、日々の競争の中で見失い、疎かにしがちなのは、自分自身の人生なのかもしれない。私にはそう思われてならないのだ。

まもなく、またしても新年を迎え、吉凶を占う日がやってくる。大吉に喜び、凶に泣く代わりに、欠けて行くとき、満ちて行くときの中で、明日のために今日を犠牲にすることの無いように、おみくじが、みなにとって、いまこの時を見つめ直すきっかけになることを祈りたい。

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堀内進之介(ほりうち・しんのすけ)
政治社会学者
1977年生まれ。博士(社会学)。首都大学東京客員研究員。現代位相研究所・首席研究員ほか。朝日カルチャーセンター講師。専門は、政治社会学・批判的社会理論。近著に『人工知能時代を<善く生きる>技術』(集英社新書)がある。

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(政治社会学者 堀内 進之介 写真=iStock.com)

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