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"母子家庭"から大成した福沢諭吉の育ち方

プレジデントオンライン / 2019年1月17日 9時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/fatido)

親が子どもに教えるべきこととは何か。慶應義塾大学を創設した福沢諭吉は、早くに父親を亡くし母親に育てられた。明治大学・諸富祥彦教授は「福沢の進歩的な姿勢は、母の清廉潔白で慈悲深い性格から、人としてあるべき道を学ぶことでつくられた。子供の心の教育には、親自身が、1人の人間としてきちんと生きている姿を見せることが大切」と読み解く――。

※本稿は、諸富祥彦『あの天才たちは、こう育てられていた! 才能の芽を大きく開花させる最高の子育て』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■身分制度嫌いは父親ゆずり

江戸時代後期、下級武士の家に生まれながらも、新生日本の思想的リーダーとなった福澤諭吉。父・百助(42歳)、母・順(30歳)のあいだに、5人兄妹の末っ子として天保5年12月12日(1835年1月10日)に生まれた諭吉は、幼い頃から「門閥(もんばつ)制度」を嫌っていたといいます。

「門閥」とは、簡単にいえば「家柄」や「格付け」のこと。豊前国(ぶぜんのくに)中津藩(現在の大分県)の下級武士の子として生まれ育った諭吉は、位が上の武士の子どもに対しては敬語を使わなければならないなど、特権階級であるはずの武士同士であっても身分差が存在することを、身をもって体験していました。

諭吉の父も息子と同じく、権威や封建制度といった古い風習を嫌っていたようです。父は幼い頃から勉学に秀でていたものの、家が貧しかったため、自分の師と慕う儒学者のもとで学ぶことができなかった。諭吉が晩年になるまで「門閥制度は親の敵(かたき)」と口にしていた原因の1つは、ここにありました。

■近所の孤児のシラミをとってあげる母

ただ、父・百助は酒豪で、一説によるとそれが原因で45歳という若さで脳溢血により亡くなってしまいます。この時点で、百助の妻、つまり諭吉の母・順は未亡人、いまでいうところの「シングルマザー」となりました。

では、その後、諭吉の母親はどうやって5人の子どもたちを育てたのか?

諭吉の語るところによると、父が「何でも大変喧(やかま)しい人物であった」一方で、母は「決して喧しい六(むつ)かしい人ではない」と評しています。また諭吉は、「さっぱり、大らかで、とても慈悲深く、かつ極めて几帳面な性格だった」とも書き残しています。

母・順との思い出には、このようなものがあります。母に、時折面倒を見ているチエという家なき子がいました。その子がたまに家に来ると、母は髪を整えてやり、頭のシラミを取ってあげた。幼い諭吉は、母のそのような行為をよく理解できなかったといいます。

ある日のこと、なぜチエのシラミを取ってやるのだと諭吉が母にたずねると、母はこのようなにいいました。「チエはシラミを取ろうと思っても取れない。ならば、できる人がそれをしてあげればいい。それが当たり前のことでしょう?」

諭吉はその言葉を聞いてハッとし、それまでの考え方を改めたといいます。

母は、相手が貸したことをとっくに忘れていた頼母子講(たのもしこう。当時の民間金融の一種)の金2朱を、10年も経ってからわざわざ諭吉に返しに行かせたという話も伝えられます。母・順の、このような清廉潔白で正直な性格を、諭吉も大いに見習ったはずです。

■神仏を信じない性格は母ゆずり

なお、母も「権威」ということに対しては懐疑的な見方を持っていたようで、「寺に詣でて阿弥陀様を拝むことばかりはおかしくて、決まりが悪くてできない」と常々いっていたといいます。幼い諭吉が神様からの罰を信じず、自分の養家に建っていた稲荷社の御神体の石や木札を捨ててほかのものと入れ替え、「馬鹿め、乃公(おれ)の入れて置いた石に御神酒を上げて拝んでいる」と面白がったり、神様の名前が書いてあるお札を踏んで神罰に当たらないことを確かめたりしたことなどは、母から受け継がれた性格だったともいえるでしょう。

いずれにせよ、福澤諭吉の進歩的かつ慈悲あふれた性格は、シングルマザーだった彼の母・順による献身的な子育てに、その一端が見出せるといえます。

■子育てに活かしたい「諭吉の教え」

『学問のすゝめ』の著者としても知られる福澤諭吉は、「慶應義塾」のイメージからか、さぞ恵まれた家庭環境で育ったようにも思われがちですが、じつは、彼は女手ひとつで育てられた子どもだったというのはお伝えしたとおりです。

諸富祥彦『あの天才たちは、こう育てられていた! 才能の芽を大きく開花させる最高の子育て』(KADOKAWA)

諭吉の母親は、荷が軽いとはいえない「片親」の立場でありながらも、母として、そして人として凛(りん)とした姿勢を貫き、「人として大切なこと」を自分の子どもたちに教えていきました。

家なき子だった女の子の頭のシラミを取ってあげていたというエピソードはとても印象的ですし、諭吉がその行動の理由をたずねたとき、「自分で取ろうと思って取れないなら、できる人がそれをしてあげるのは当前」だと、母親は「人としてあるべき道」を子どもたちに説いていたのです。

片親であることにコンプレックスを持つ必要など、まったくありません。親自身が、「1人の人間」としてきちんと生きている姿を見せることが、子どもの心の教育にとって何よりも大切なのです。そのことを、諭吉の母親は私たちに教えてくれているように思います。

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諸富祥彦
明治大学文学部教授
1963年、福岡県生まれ。教育学博士。日本トランスパーソナル学会会長。臨床心理士。上級教育カウンセラー。1992年、筑波大学大学院博士課程修了後、千葉大学教育学部助教授等を経て、現職。おもな著書は、『男の子の育て方』『女の子の育て方』『ひとりっ子の育て方』(以上、WAVE出版)、『子育ての教科書』(幻冬舎)など多数。[ホームページ]https://morotomi.net/

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(明治大学文学部教授 諸富 祥彦 写真=iStock.com)

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