なぜ「立ち呑晩杯屋」は安くてうまいのか

プレジデントオンライン / 2019年1月18日 9時15分

「立呑み 晩杯屋」渋谷道玄坂店(編集部撮影)

国内500店を目指す勢いの『立ち呑 晩杯屋(たちのみ ばんぱいや)』。その特徴はコスパの高さだ。アジフライ110円、煮込み130円、サバの塩焼き150円、マグロ刺身6切れ200円、中生ビール410円、チューハイ250円。そして商品はどれもうまい。なぜ晩杯屋は「安くてうまい」のか。外食ジャーナリストの中村芳平氏がレポートする――。

※本稿は、中村芳平『居酒屋チェーン戦国史』(イースト新書)の一部を再編集したものです。

■「つぼ八」創業者引退が象徴したもの

バブル時代に一世を風靡した居酒屋チェーン「つぼ八」の創業者であり、「居酒屋の神様」と称された石井誠二という大物がいる。

大手商社「伊藤萬」と組んで合弁会社を設立、社長に就任したが、トラブルから「つぼ八」社長を解任された。だが、石井は「負けてたまるか」「決してあきらめない」との信念で、手作り居酒屋「八百八町」(社名も同じ)を新しく興して繁盛させ、よみがえった。

居酒屋の経営者はたくさんいるが、「つぼ八」「八百八町」と二度も居酒屋を創業して成功させた人物は、石井をおいていないだろう。居酒屋業界トップの「モンテローザ」創業者・大神輝博、大手の「ワタミ」創業者・渡邉美樹が、ともに「つぼ八」のフランチャイズ・オーナーからスタートしていたことも、「石井伝説」に拍車をかけた。石井は居酒屋チェーン史の“水先案内人”のような貴重な存在なのである。

その石井誠二が、「八百八町」を2013年2月に売却した。これに驚いた筆者は、すぐに石井にインタビューを申し込んだ。その際、石井は次のような言葉を漏らした。

「東日本大震災で、居酒屋業界はものすごく変わり出した。それを見ていて『オレの時代は終わった』と思ったよ……」

■2000年代に始まった居酒屋業界の世代交代

石井は、「八百八町」の主力業態である「炭焼き漁師小屋料理ひもの屋」をヒットさせた。大きくて高価な干物を目玉に日本酒やワインを提供する、客単価4000~5000円の高価格居酒屋だ。ところが、08年9月のリーマン・ショックに続き、東日本大震災が発生。自粛ムードで宴会予約が次々に取り消されて、流れが変わった。石井は長年の経験から、客の財布のヒモが固くなっていくのを敏感に感じとり、後継者がいないこともあって、居酒屋経営から身を引く決心をしたようだった。

売却先の飲食ベンチャー企業「subLime」が、当時あまり知名度のある会社ではなかったこともあり、筆者は「八百八町」の売却劇にひとつの時代の終わりを見た気がした。世代交代が始まったのだ。それは、2000年代に入ってからの居酒屋業界の興亡を象徴するような出来事だった。

■「一発当てる」ベンチャースピリットの強い業界

居酒屋業界の歴史は、常に適者生存、弱肉強食の歴史であった。居酒屋業界は浮き沈みの激しい業界だ。一発、ヒット業態を開発し、3~5年で30~50店舗も展開すれば、株式上場も夢ではなくなってくる。

中村芳平『居酒屋チェーン戦国史』(イースト新書)

だが、失敗して尾羽打ち枯らすケースも多い。外食産業はIT産業と並んで、ベンチャースピリットが発揮できる世界だ。そのためリスクは高くても、野心に燃えて若い創業者たちが次々に参入してくる。ときには怪物のような創業者が出現し、革新的なヒット業態を開発したり、革命的なヒット商品を生みだしたりして、居酒屋市場に大旋風を巻き起こしてきた。

そして2010年代以降、居酒屋市場の構造が総合型居酒屋から専門店型居酒屋へと大きく変わるなかで、新旧さまざまな居酒屋チェーンは、時代に対応する新業態の開発競争にしのぎを削っている。そのなかでも注目を集める居酒屋ブランド「串カツ田中」「晩杯屋」に注目してみよう。

■大阪の串カツを全国区にする「串カツ田中」

『日経MJ』の「飲食業2017年度ランキング」で、「串カツ田中」は「店舗売上高伸ビ率」で前年度比39.2%を記録し、第3位へ躍進した。社長の貫啓二は「串カツを日本を代表する食文化にする」と、長期的に「国内1000店舗体制」を掲げて出店ペースを上げている。

串カツは、肉や魚介類、野菜などを切って串に刺し、衣をまぶして揚げた料理だ。大阪ではソウルフードとして定着しているが、焼き鳥のように全国的な食文化としては根づいておらず、関西以外では専門店も少なかった。競争が激しい居酒屋業界において、「串カツに特化した居酒屋」は未開拓であった。貫は、居酒屋市場に「串カツ田中」旋風を巻き起こし、全国に「2度漬け禁止」といった串カツ文化が広めている。

貫は71年生まれ。大阪府三島郡出身。高校卒業後、トヨタ運送に就職するも、27歳で脱サラし、借金をしてショットバーを始めた。

「店は鳴かず飛ばず。あの時代に店によく通ってきたのが、現在副社長を務める田中洋江です。広告代理店に勤務していたので、飲食業界に明るく人脈を持っていて、いろいろアドバイスしてくれました。アルバイトの第1号として採用しました」

貫は田中の協力を得て、01年心斎橋でデザイナーズレストランを開店し、話題を呼ぶと、03年には表参道に京懐石の高級店を開店した。

■大阪引き上げ直前に「串カツ」をスタート

だが、大阪と東京の店を管理・運営するのは至難の業だった。経営的にギリギリの状態のところへ追い打ちをかけるようにリーマン・ショックが発生、接待需要が主力の高級店は壊滅的な打撃を受けた。貫は7000万円の借金を抱えて行き詰まった。

東京を引き払い大阪に引き揚げようとしたとき、田中が串カツ屋の開店を提案した。実は、田中は串カツの本場、大阪・西成の出身。父は串カツが好きで、伝統の味「串カツ」のレシピを研究開発し、それをメモに残していた。たまたま見つけた田中は、そのレシピを使って貫と串カツ屋を開業したいと考えていたのだ。

貫は世田谷駅から遠く離れた住宅街の雑居ビル1階に、スナックの居抜き物件を見つけた。14坪24席、三流立地であり、家賃は坪2万円と安かった。残っていたテーブルの上に買ってきた板を貼って見映えを良くし、パイプ椅子を購入して席をつくった。壁には木札のメニューを吊り下げた。こうして大阪・西成にあるような大衆酒場風の店を開店した。費用はほんの数百万円、このうらぶれた店こそ、「串カツ田中」1号店の「世田谷店」だ。

「串カツ田中」三軒茶屋店(編集部撮影)

■「全店禁煙」で新たな顧客の創造に挑戦

08年12月に開店すると、これが起死回生の大ヒットになった。毎月出る利益で借金を返済、すぐに中目黒に2店舗目を出した。貫は三流立地の家賃の安い場所で「串カツ田中」が大ヒットしたことに自信を得た。

貫は直営で数店舗出店した後、東京・中野にあった直営の方南町店を売却、FC展開に踏み切った。貫の飲食店オーナー仲間がFCに加盟すると、以後猛スピードで展開しており、16年9月には東証マザーズに上場した。18年7月時点で200店舗を突破している。

串カツ田中は、18年6月から180店舗で禁煙に踏み切った。大衆酒場チェーンとしてはかなり冒険であるが、家族連れの客を呼び込むなど、新しい顧客の創造に挑戦している。串カツ田中は鳥貴族とともに、コンスタントに新規出店を進め、居酒屋市場に構造変化を起こそうとしている。

■驚愕の立ち飲みチェーン「晩杯屋」

低価格業態のなかで、最も注目を浴びるのが、金子源が創業した「立呑み晩杯屋」である。「立ち飲み」は、酒屋で買った酒をそのまま店内で飲む「角打ち」が始まりで、リーマン・ショック後、繁華街の裏通りなどに雨後のタケノコのように立ち飲み業態が開店していた。

「立呑み 晩杯屋」渋谷道玄坂店(編集部撮影)

一般的には「安かろう、悪かろう」のイメージが強いが、「晩杯屋」はそれを、低価格・高品質な料理を提供することで打ち破り、成功を収めている。「アジフライ110円」「煮込み130円」「サバの塩焼き150円」「マグロ刺身6切れ200円」「中生ビール410円」「チューハイ250円」――。金子は築地の魚河岸や青果市場の仲買人から食材を格安に買いつけることによって、驚くような低価格での提供を実現させている。

■5年のバイトで「仕入れ力」を養った

1度「晩杯屋」で立ち飲みすればわかるが、圧倒的な安さと、それを一切感じさせない美味しさにビックリするだろう。「センベロ」(1000円も出せばベロベロに酔えるの意)という流行語が生まれたが、晩杯屋の功績は大きい。

2店目である「晩杯屋大井町店」は、「飲兵衛の救世主」と呼ばれるほど多くの飲兵衛の心を捉えた。居酒屋業界に“晩杯屋ショック”を巻き起こすのである。こうして晩杯屋の快進撃が始まった。

金子は76年、群馬県新里村(現・桐生市)の生まれ。約5年間、自衛隊に勤務した後、焼き肉チェーン「牛角」で店長として働いた。そこで、「飲食店を成功させるのは、よい食材を安く仕入れる力にある」と痛感した金子は、同社を半年で辞め、仕入れのノウハウを学ぶために青果市場や築地市場、水産会社で約5年間アルバイトした。こうして金子は仲買人との間に信頼関係を築き、「仕入れ力」「買う力」を身につけたのだ。

■「丸亀製麺」社長がそのコスパに感動

2つ3つアルバイトを掛け持ちし、独立資金500万円を短期間で貯めた。独立の準備ができると、最後に立ち飲み業態の最高峰をいく東京・赤羽の「いこい本店」で、無給で短期間修業をさせてもらった。こうして08年9月、自衛隊の先輩とともに晩杯屋を運営するアクティブソースを設立。09年8月、1号店として「立呑み晩杯屋武蔵小山本店」を開業するにいたる。

現在、「晩杯屋」は「丸亀製麺」を運営する「トリドールホールディングス」の傘下にある。金子が「自社の価値を知りたい」と登録したM&A仲介業者が、トリドール社長の粟田貴也と金子をつないだのだ。粟田は「晩杯屋」をリサーチし、その圧倒的な商品力とコスト・パフォーマンスに感動、「ぜひともグループ企業に欲しい」と、誠意を尽くして晩杯屋の買収を申し入れた。金子はこう語った。

「粟田さんは晩杯屋を非常に高く評価し、創業者である私の感性や思いを尊重したうえで、晩杯屋の成長を支援したいと申し出られました。当社はまだ知名度の低い中小企業であり、実際はヒト・モノ・カネの経営資源と店舗展開でもがき苦しんでいたのが実情です」

■「国内500店体制を目指す」

「鮮魚はスケールメリットの出しにくい食材ですが、トリドールさんと組めば、調味料や調理油、粉類などの仕入れにもスケールメリットが出てきて、トータルで原価率を抑えることができます。さらに晩杯屋の全国展開は確実に早まります。友好的なM&Aをお断りする理由が1つもなく、2回目にお会いしたときにM&Aをお受けしました」

粟田と金子は「早期に晩杯屋の国内500店体制を目指す」ことで合意した。その後、晩杯屋はトリドールの店舗開発部隊と連携し、晩杯屋の全店舗の立地、坪数、店舗・厨房レイアウト、注文方式、オペレーションなどを見直して、新しく「晩杯屋の最適モデル」を打ち出すことにした。これから、居酒屋市場に「晩杯屋旋風」が吹き荒れるだろう。

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中村芳平(なかむら・よしへい)
外食ジャーナリスト
1947年、群馬県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。流通業界、「週刊サンケイ」記者などを経てフリーに。著書に『遊びをせんとや生まれけむ スポーツクラブ ルネサンス創業会長斎藤敏一の挑戦』(東洋経済新報社)など多数。

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(外食ジャーナリスト 中村 芳平 撮影=編集部)

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