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息子夫婦にマンション暮らしを禁じたワケ

プレジデントオンライン / 2019年2月8日 9時15分

「山ばな 平八茶屋」(撮影=鈴木健太)

子供に家業を継いでもらうには、どうすればいいのか。このたび『京料理人,四百四十年の手間』(岩波書店)を出版した京都の料理屋「山ばな 平八茶屋」の20代目・園部平八氏は「私は息子夫婦が結婚したときに、『子どもは平八茶屋の敷地内で育ててほしい』と頼んだ。家業の場所から少し離れてマンションなどに住んでいたら、家業の遺伝子は伝わらない」と語る――。

※本稿は、『京料理人,四百四十年の手間: 「山ばな 平八茶屋」の仕事』(岩波書店)の「終章」を再録したものです。

■70歳でも現役でいることが嬉しい

私は48年間、料理人の人生を歩んできました。平八茶屋の経営はいまは21代当主の晋吾に継承しましたが、現在もなお現役の料理人です。立命館大学を中退し、「近新」で修業をしていた22歳の頃には、70歳になってもまだ料理人として生きていようとは想像すらできませんでした。

いまは、70歳になってもなお現役でいることを嬉しく思っています。以前のように調理場に立つことは減りましたが、料理長が新しい料理をつくるたびに必ず「あたり」はどうかを求められます。

「あたり」とは業界用語なのでしょうか、味付けという意味です。少し味見しますと、すぐに「これはこうしてほしい」などの注文を出します。

ある料理は、美味しいけれども甘みが勝ってしまい、醬油の味が陰に隠れたようになっていました。醬油と甘みがあたっている味付けがよいのです。「あたっている」とは、辛くもなければ甘くもない状態で、味付けとはその接点なのです。

お客様が美味しいと思う味付けとプロの料理人が美味しいと思う味付けはかなり違います。お客様が美味しいと思う幅はわりと広いのですが、私たちが美味しいと思う幅はとても狭く、お客様からすると違いを感じないほどの微妙な差になります。

■一流の料理人は感性と味覚が鋭い

吸い物で「ああ、しょっぱいな」とお客様に思わせたらもうお終いです。それはプロの仕事にはなりません。素人のあたりです。私たちはもっと狭いところで勝負しています。お客様が「美味しいね」と思っていたとしても、私たちからすると「少し醬油の味が強いかな」と思うわけです。私たちはプロが美味しいというあたりまでもっていかなければなりません。

その微妙な味付けに、プロの料理人としての自負があります。私はそのような厳しい世界で生きてきました。

料理長にあたりを聞かれて、それをパッと口に含んだだけで、「こうせえ、ああせえ」いろいろと指示を出します。

料理人は感性と味覚が鋭く豊かでないと一流にはなれません。感性はまだ磨くことができます。味覚は天性のものです。ある程度のあたりは出せますが、本当の味はプロの料理人でも出せない場合があります。味覚は鍛えようにも鍛えられません。味覚は天性のものだからです。

■時代に迎合しないけれど時代に必要とされる店

平成28(2016)年に、私は「現代の名工」として表彰されました。「現代の名工」とは、卓越した技能者表彰の制度です。技能者の地位と技能水準の向上を図るために、昭和42(1967)年に設けられたものでした。

平成7(1995)年度までは毎年約100名でしたが、平成8年からは毎年約150名が表彰されています。

表彰の理由は次の通りです。

「15代目より19代目まで100年間続いた「川魚料理」に加え、若狭街道からの食材、若狭ぐじを主体とした「若狭懐石」を考案し、世界中の食材がいつでも新鮮なまま手に入る時代にこそ氏は地産地消にこだわり、一塩のぐじの旨味、地元で取れる京野菜をたくみに使い、京料理の基本を忠実に具現化し、かつ「時代に迎合しない、しかし時代に必要とされる料理」を追求しており、技能の伝承に貢献している。」

これまでの私の料理人人生を評価していただきました。

表彰理由でも触れられていましたが、「時代や流行に迎合しないけれども、時代に必要とされる店をつくり、料理をつくっていかなければならない」というのが、私の信条です。

たとえば、女性の時代だからという理由だけで、女性が好むような八寸(前菜)をつくることはありません。女性受けするように八寸に、小さな日傘を置き、こっぽり(下駄)を置いて、玉砂利を乗せるといった演出もしません。あるいは、若者が好むお肉やフォアグラをどんどん使う料理をつくるつもりもありません。

■迎合しないという選択も「革新」である

私は「こうしたら評価される、話題になる」という発想には、どうしても反発したくなります。迎合したくないという意固地さがあります。私は自分が信じている料理をつくるだけなのです。

私の料理の原理原則は、繰り返しになりますが、地産地消です。日本海から入ってくる若狭のぐじ、鯖を使い、そこに京野菜を使った料理が、私の料理なのです。昔から京都で使われている食材、魚介類、京都にある野菜を使った懐石料理、京料理を求めていくことです。

これからはますますボーダレスの時代になります。この10年で、海外からのお客様もずいぶんと増えました。海外のお客様が旅行代理店を通さずに、直接、平八茶屋のサイトに申し込む時代です。その数は驚くほど増えています。

お客様の流れがボーダレスになっているだけでなく、世界からもさまざまな食材が入ってきます。だからこそ、これからはあえて使わないことが大切になっていく時代です。何かを守るということは、革新の連続なのです。迎合しないという選択も革新だと思います。

しかし、どんなに時代が変わっても、私たちが忘れてならないのは、「手間をかける」ことの大切さです。この一点は、どんな時代になっても忘れてはなりません。平八茶屋440年は、さまざまな変遷がありましたが、麦飯とろろ汁をお出しすることは変わりませんでした。

ただお出しするのではない、お客様に私たちの思いを「手間をかける」ことでお伝えすること、それがとても大切だと思っています。

■「子どもは平八茶屋の敷地内で育ててほしい」

駅伝の襷を次世代に手渡すには、後継者づくりを考える必要があります。後継者を育てるというのは、自分の子どもであれ、弟子であれ、同じことです。一人前の当主、一人前の料理人に育てるためには、言葉だけでは十分ではありません。

「場の思想」と言いますか、子どもでも弟子でも、育つ環境から感じとる姿勢が大切です。この感じとる力によって自らが育つということが重要なのです。

これからお話しすることは、あくまで私、個人の考え方です。そのことをお断りした上でお話しします。長男で、21代の晋吾が結婚するときに、息子夫婦に頼んだことがあります。それは、平八茶屋の敷地内で暮らしてほしいということでした。当時、京都の料亭では、後継者の息子が結婚をすると、マンションなどを購入して店の外に住む傾向がありました。

しかし、私は「それはダメだよ」と言いました。「いずれ生まれる子どもたちは、平八茶屋の敷地内で育ててほしい」と頼みました。これが唯一、私が息子夫婦にお願いしたことでした。

いまから200年前に造られた母屋には調理場があり、その奥に息子夫婦が暮らしています。私たち夫婦はその母屋の棟続きの建物に住んでいます。

■月曜日は寂しい思いをしていた小学生時代

「山ばな 平八茶屋」20代目 園部平八氏(撮影=永野一晃)

私もまた、子どもの頃は母屋で育ちました。私が小学生の頃は、朝起きると料理人がはいている高下駄の音を聞き、煮詰めの匂いを嗅ぎながら学校に向かいました。学校から帰ってくると、お店の皆がバタバタと仕事をしている姿が自然と目に入ってきました。

料理屋の当主の子どもは、土日祭日などは家族で遊びに出かけません。それは、サラリーマン家庭の場合です。小学校に通っている頃、月曜日が嫌いでした。月曜日の朝の時間や昼休みは寂しい思いをしました。

休み明けの月曜日、学校へ行くと、「昨日の日曜日、どこそこの公園に行ったんだ」「遊園地に行ったんだ」と遊びに出かけた話で、友だち同士で盛り上がるものでした。私はその輪の中に入れない子どもでした。

土日祭日の料理屋は稼ぎどきで、店がひっくり返るほど忙しい時でした。こんな日、料理屋の子どもには居所がありませんでした。家業を手伝う母親は食事をつくる時間の余裕などなく、食事もままならないことがざらでした。ですから、土日祭日明けの翌日、友だちが家族で旅行をした話などをするので、学校に行くのは本当に嫌だったものです。

しかし、こうした経験は料理屋の後継者として育つためには大切なことでした。知らず知らずのうちに、私は料理屋を継ぐ者としての心構えを学んでいきました。後継者に必要なのは、まずは遺伝子です。この遺伝子を育てるためには環境が必要です。環境から学ぶことが、先ほど触れた感じとる姿勢になります。

■マンション暮らしで「家業を継がなくなる」

「環境と遺伝子」、この二つがそろわなければ、後継者は育ちません。

極論をあえて言いますと、家業を継いだ私たちの年代の親で、「子どもが継がない」と言って嘆いているのは、子ども夫婦をマンション暮らしさせている方たちが多いです。家業の場所から少し離れてマンションなどに住んでいたら、土日祭日がどれほど忙しいのかを、その嫁も知ることができません。ましてや、子どもには伝わらずじまいで育ちます。意識はどうしてもサラリーマン家庭のようになりがちで、その子は家業を継がなくなる傾向があります。

口で教えられるのではなく、肌で感じ、周りを見ながら、自然と身につけることがとても大切なのです。私も、息子も、素直に継承したわけではありません。本書では触れませんでしたが、私の場合は、“父親と意見が合わず家出をする”という一つの大きな転機がありましたし、息子は息子で“東京で就職活動をする”という一つの大きな転機がありました。それでもなお、乗り越えられたのは環境に育てられたことが大きいと、いまでも信じています。

息子には、孫は平八茶屋の敷地内で育ててくれとお願いしました。いま孫は高校生で、大学はどこに進学するのかはわかりませんが、しかし卒業後は料理人の修業をし、後を継いでくれると思っています。

■孫が楽しみにしていた「中央市場の中華そば」

孫が小さい頃はいつも中央市場の買い出しに連れて行きました。中央市場の中に、石田食堂という定食屋がありました。メニューは和食から中華、洋食まであり、京都の料理人たちが通う、朝から食べられる食堂だったのです。

ここの食堂では、中華そばが有名でした。特別変わった味ではありませんし、妙に凝ったものでもありませんでしたが、しかし他のお店では真似できない旨さがありました。孫もまた中華そばを食べるのが楽しみだったようです。冬の季節はもちろんのこと、暑い夏の季節でも美味しいです。

何気ないことですが、一日の朝がどのように始まり、一週間はどのように過ぎるのか、市場で何を買うのかなど、その一つひとつが体に染み込んで、後継者としての下地がつくられていくのです。この下地は、後継者が店の敷地内で暮らすからこそ育つのです。

「家業」は次第に、日本の中で絶滅危惧種になりつつあります。決して楽な人生ではありません。寄らば大樹もなく、毎日が勝負の生活です。現在、日本人の暮らしの中で、つらく厳しい生活をしているのが家業かもしれません。

最近、ある経営者の方から、「平八茶屋は日本の家業のレジェンドだ。希望の星だ。暖簾を掲げ続けてください」と言われました。

■家業が消えると街の個性も消える

日本各地のさまざまな街角を歩いていると、多くの商店街がシャッター通りと化しています。かつて多くの商店街に賑わいと彩りを与えていたのは、家業のお店でした。しかし、いつの間にか、店舗の建物はマンションに変わり、倉庫に変わり、人通りが途絶えた商店街が増えているのです。

どうして、このようになってしまったのだろうと思います。家業が消えていくということは、街の個性が少しずつ消えていくことです。

平八茶屋のような料理屋もまた家業です。家業でなければ何百年も続けることは難しかったのではないかと思います。

料理屋における家業とは、主人、息子が調理場に立ち、女将、若女将がお客様を接待する。この基本型を何人かの従業員が支える経営のことです。これならば、どんな時代になろうとも半永久的に店を続けられるのです。この経営の強みをいま一度、家業を営む多くの方々に再認識していただきたいと思います。

平八茶屋の当主は、経営をし、料理人として調理場に立つという二刀流が求められます。どちらも追求することが求められる精進の人生です。家業を継承して、繁栄させるには、料理人としての修業がどうしても必要になります。しかし、この修業の時期こそが、家業を継ぐ者の自覚を深めていく大切な時間だと思います。

■後継者は「店の中で育てる」という哲学

園部 平八『京料理人,四百四十年の手間: 「山ばな 平八茶屋」の仕事』(岩波書店)

「後継者をどうするか」は、京都の老舗料理屋だけの問題ではなくなりました。継がない後継者候補が増えていて、もはや社会問題化しつつあります。それほど深刻な状況になっているのです。私は料理屋のことしか知りませんが、後継者を育てるということは「店の中で育てる」ことだというのが、私の哲学です。

後継者には遺伝子が必要です。しかし、それだけではだめなのです。先にも触れましたが、育つ環境がなければなりません。遺伝子を持った人間がその環境にいること、これが大切なのです。

後継者をつくることで、家業は続いていきます。家業は駅伝と同じなのです。私は20人目のランナーとして、父親まで続いた19人のランナーたちが受け継いできた襷を受け取り、走り続けてきました。決して楽に走ってきたわけではありません。それこそ全力でフウフウ言いながら、あらゆる困難があり、それを克服して、21代目に襷を渡しました。私の中で、最大のミッションでした。

ランナーの役目は責任を持って己の区間を走りきることですが、この駅伝にはゴールがありません。だからこそ、尊いように思うのです。このようにして、平八茶屋440年の歴史はなお続きます。現在、21人目のランナーが全力疾走をしています。

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園部 平八(そのべ・へいはち)
山ばな平八茶屋・取締役会長
昭和23(1948)年京都市生まれ。立命館大学経済学部中退。440年以上続く老舗料理屋「山ばな 平八茶屋」の20代目として、創業以来の伝承料理「麦飯とろろ汁」をはじめ、新しい試みで蘇ったぐじを主体とする「若狭懐石」など、料理の継承と変革に尽力する。地産地消にこだわり、若狭ぐじと地元で取れる京野菜を中心に使い、京料理の素材の味を忠実に具現化。「時代に迎合しない、しかし時代に必要とされる料理」を目指す。平成28(2016)年に、厚生労働省が主催する「現代の名工」に表彰される。現在は、山ばな平八茶屋・取締役会長、京都料理組合長(平成31年3月末まで)。

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(山ばな平八茶屋・取締役会長 園部 平八 撮影=鈴木 健太/永野 一晃)

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