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シルクより高い合繊がミラノで売れた理由

プレジデントオンライン / 2019年2月25日 9時15分

かつて国内有数の繊維の産地だった北陸地方。しかし安価な海外製品との競争で苦しみ、関連会社の9割が休廃業に追い込まれたといわれる。
その貴重な生き残りの一社が天池合繊だ。ただ、同社もかつて廃業一歩手前まで追い込まれたことがある。
しかし、超極薄の生地「天女の羽衣」の開発によって息を吹き返し、今では、複数の海外ラグジュアリー服飾ブランドの大切なパートナーとなっている。
廃業の危機を乗り越える要因となった発想の転換とは?

■最先端技術を開発、初めての“営業”

「昔の石川県は繊維産地でしたが、今はもう産地とは言えません」

と、天池源受社長は言います。昭和50年代は、自ら営業をしなくても、商社を通じて合繊メーカーの下請け仕事がどんどん入ってきました。

機械を回せば回すだけ儲かる時代。天池社長が創業者の父・誠一に請われて入社した1981(昭和56)年頃が、石川県の繊維関連会社の数のピークでした。

「一反8000円前後で受注していたと聞いています。今よりも高い工賃ですよ(笑)」(天池氏、以下同)

しかし、川上の合繊メーカーは、はるかに安い工賃で中国に注文を出すようになります。同業他社が消えていくなかで、持ちこたえていたのは、革新織機や新工場への設備投資を行う余裕があった会社でした。

ところが、2000年代に入るとさらに注文が激減。危機感を募らせていたところへ、大手メーカーからプラズマテレビ用の産業資材「シールド」の下請け仕事が入りました。

自社で一貫してつくり上げられる●「天女の羽衣」のスカーフ、ショール(写真上)。水の噴射力で緯糸を挿入する織機「ウォータージェットルーム」(同下)。

もっとも、持ち込まれたのは、開発した原糸メーカーが3年かけても製品化できなかった、7デニールという世界一の細さを持つ糸でした。

技術力を買われたとはいえ、天池がそれまで扱っていた最も細い糸が15デニール。7デニールといえば髪の毛の5分の1の細さです。下手な織り方では途中で切れてしまいます。

しかし同社は、「受注できれば、会社を立て直せる」と見て銀行から融資を受け、億単位の設備投資を行います。数々の技術的な困難を乗り越えて製品化にこぎつけたのです。ところがその矢先、依頼主のメーカーが倒産。借金とシールドを織れる最先端技術を手にして、天池社長は初めて“営業”の必要性に迫られたのでした。

技術さえ磨いていればよかった下請け企業が、これまで考えたこともなかった「誰に、何を売るか」。産業資材以外の用途なら卸せるという原糸メーカーから糸を買って作れるもの。それは「服地」でした。

■提案の仕方次第で、パートナーに“昇格”

「百貨店に“この生地を使って製品にしたい”と相談しにいったんです。『スカーフ程度の大きさなら7000円』と言うと、その3分の1程度で納品してくれ、と言われました」

天池社長はそんな利益幅を想定していませんでしたが、そこで初めて上代という定価があり、それは自分で決めていいことを知ったそうです。

「開発費を回収することを考えれば、実際には1メートル6000円はいただきたい。でも、それ以下で取引されるシルクがあるなか、合繊でその価格は高いと思われるのはよくわかります。ですから、生地を評価し、相当の対価をきちんと支払ってくれる相手を見つけなければ、と痛感しました」

そこで天池社長は服地サンプルの展示会に参加します。柔らかい手触り、光沢、透明感。ひらひらと美しく舞う誰も見たことがない生地を見て「まるで天女の羽衣のよう」と言われました。それが商品名の由来です。ただし、やはり価格がネックとなって簡単には売れません。

最初に「天女の羽衣」の大口注文をいただいたのはブライダルデザイナー、桂由美さん。そこで高級素材を扱う特殊なカテゴリーに手応えを感じた天池社長は、海外にも挑戦します。大きな転機となったのは、06年に石川県の組合「繊維リソースいしかわ」の誘いで参加したイタリア・ミラノの小さな展示会でした。

会場で得た名刺はたった6枚。しかしその中の1枚が、誰もが知るイタリアのラグジュアリーブランドのものでした。

帰国後、そのブランドから試験オーダーが。生地サンプルが気に入られ、ミラノ・コレクション用に正式なオーダーが入りました。コレクション用に500~600メートルを納品すると「量産するプレタポルテに使うことになったら、これの10倍になりますよ」と言われたそうです。

「でも、そううまくはいかない(笑)。コレクション用にシーズンごとに買ってくださいましたが、プレタポルテは難しかった。それにコレクションは春夏、秋冬と年に2回だけ。経費は回収できますが、大儲けにはなりません。しかも、ファッションは毎回違うものを発表するものですから、こちらも毎回違うサンプルを出さなければならないんですよね」

厳しい条件でしたが、それが切り口になり、「相手のニーズ」を満たすコツを学んだことで評判を呼び、最初にミラノで展示会に参加してから5年後には、300社以上の名刺が集まりました。北陸の伝統工芸の高い技術がミラノで売れたのです。

「自社製品の“置き場所”を見極めることが大切だと思います」――これは自社製品を売る顧客を定義し、その顧客のカラーに合わせた提案力を持ち、下請けから代えの利かないパートナーになる、という意味です。

■中小企業にとって海外市場は近い

パリ・オペラ座のバレエ衣裳に採用されるなど、天女の羽衣の可能性は広がっています。今、天池社長が海外のラグジュアリーブランドを訪れると、殺風景な会議室ではなく、応接室に通されるようになりました。それはプレミアムなブランドの価値を高めてくれるパートナーの1人になったことを意味します。

成功のきっかけは“創発的”な出合いから生まれるものです。天池合繊の戦略も天池社長の頭の中だけで成し遂げたものではなく、社員や取引先、展示会など、さまざまな場における“ワイガヤ”からヒントを得てひらめいたり、育まれたりしたもの。海外進出もそうでした。

そして実は、中小企業にとって「海外市場は近い」ことが多い。巨大なグローバル企業と違い、ニッチな得意分野で真っ向勝負ができるからです。衰退ステージにある産業では、匠の技と最新機械のバランスを考えながら、自社で一貫してつくり上げられる製品が武器となります。現在、天池合繊の売り上げの4割が天女の羽衣。アパレルマーケットが軸ですが、産業資材として使用が可能になれば、将来的に車や医療などの分野でも大きな需要がありそうです。

ラグジュアリーブランドのパートナーに
●本社所在地:石川県七尾市
●従業員数:40名
●社長:天池源受(1955年生まれ、2代目。同業他社での修業を経て81年入社。2001年より現職)
●沿革:56年、現社長の父、誠一が創業。非上場。織物製造(請負委託加工)、天女の羽衣(生地製造)、天女の羽衣スカーフ(卸販売)、インテリアカーテン、スポーツ・各種資材用織物の製造を手掛ける。髪の毛の5分の1の超極細糸を織り上げる技術は世界随一。

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磯辺剛彦
慶應義塾大学大学院 経営管理研究科教授
1958年生まれ。81年慶應義塾大学経済学部卒業、井筒屋入社。96年経営学博士(慶大)。流通科学大学、神戸大学経済経営研究所を経て2007年より現職。企業経営研究所(スルガ銀行)所長を兼務。専門は経営戦略論、国際経営論、中堅企業論。

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(慶應義塾大学大学院 経営管理研究科教授 磯辺 剛彦 構成=中沢明子 撮影=永井 浩)

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