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なぜ作家スキャンダルはタブーになったか

プレジデントオンライン / 2019年2月14日 9時15分

2002年3月20日、月刊誌「噂の真相」に虚偽の記事を掲載し、推理作家の家和久俊三さんらの名誉を傷つけたとして、名誉毀損罪に問われた同誌編集長の岡留安則被告らの判決が東京地裁であった。有罪判決後に会見する岡留編集長(写真=時事通信フォト)

■メディア業界のゴシップ誌だった「噂真」

作家のスキャンダルがタブーになったのは「噂の真相」(以下「噂真」)が休刊したためである。

このことについては後で詳しく触れるが、「噂真」の元編集長、岡留安則が亡くなった。2004年3月に雑誌を休刊して、マリンスポーツやゴルフを楽しもうと沖縄に移り住んだ。3年前に脳梗塞で倒れたと聞いていた。だが、その後肺がんが発見され、治療につとめていたが、1月31日に那覇市内の病院で亡くなったという。享年71。

彼について多くの追悼の言葉が述べられているが、反権力、硬骨のジャーナリストなどという形容をつけた一文を読むと、私は「そうだったんだ」と驚くしかない。

たしかに検事総長確実といわれていた則定衛東京高検検事長の女性問題をスクープした。雑誌発売前に朝日新聞が一面でこの件を報じたため、メディア業界のゴシップ誌だった「噂真」の知名度は一気に上がった。

だが、岡留の雑誌作りの手法は“下手な鉄砲数撃ちゃ当たる”的なもので、タレこんでくる情報はありがたく全部いただく、特集にならない情報は「一行情報」として誌面に載せる(後にはネットにも上げていた)という、破れかぶれなものであった。

■当初の「噂真」は、どうしようもない三文雑誌だった

彼が優れていたのは、雑誌が頂点の時に休刊して沖縄へ移り住んだことからもわかるように、機を見るに敏だったところである。

彼は鹿児島県生まれで、法政大学在学中、構造改革左派のプロレタリア学生同盟に参加していたそうだ。卒業後は、出版業界紙の雄、赤石憲彦の「東京アドエージ」に入社、編集に携わる。3年足らずでそこを退社し「マスコミ評論」を創刊する。

そこも離れ、友人知人などから3000万円をかき集め、1979年3月に「噂真」を立ち上げるのである。ノンフィクション作家の本田靖春もこの時、いくばくかの金を岡留に出したといっていた。

彼は、戦後出されたカストリ雑誌「真相」や、作家の梶山季之が個人で出していた「噂」をヒントにして、その二つを並べて雑誌名にしたと、「『噂の真相』25年戦記」(集英社新書)に書いている。

「マスコミが書けない皇室や警察、検察、政治家のスキャンダル、大物作家のゴシップなどを暴露してきた雑誌」(LITERA2月2日より)といわれるが、当初の「噂真」は、ひと言でいえば、どうしようもない三文雑誌だった。

業界の噂話を、取材もしないで載せて省みなかった。私も、現場にいた頃よく書かれた。

■「お前さんの雑誌や編集のやり方は嫌いだ」

買って読んだことはないが、他人にいわれて読んでみると、的外れな伝聞記事で、よくこんなものを載せるものだと、妙に感心したことがあった。私と友人の猪坂豊一が主宰していた「マスコミ情報研究会」もよく取り上げられた。政治家と癒着している、不透明なカネが流れているのではないかという憶測記事だった。

だが、困ったのは、その根も葉もない記事を信用して、私を詰問してくる講談社の上の人間がいたことだった。どんな間違ったことでも、いったん活字になると、それを事実ではないと証明することはなかなか難しい。

その経験から、活字にする以上、その内容に責任をもつべきだという、至極当然なことを「噂真」から学ばせてもらった。

「週刊現代」編集長時代、ゴールデン街のバーで偶然、岡留と会ったことがある。彼から、たまには飲みましょうよと声をかけられたが、「お前さんの雑誌や編集のやり方は嫌いだ。オレが編集長でいる間は付き合わない」と答えた。

怒るかと思ったら、何もいわず離れていった。

■「ろくでもない雑誌」と書いても「そのまま載せる」という

「噂真」の創刊十何周年だか忘れたが、私に「噂真」について、何でもいいから書いてくれと、電話で頼んできたことがあった。

「『噂真』はろくでもない雑誌で嫌いだ」と書いても載せるかというと、「かまわない、そのまま載せる」というので送ったら、そのまま掲載されていた。

岡留と付き合うようになったのは編集長を降りてからである。

彼の訃報を聞いて、昔、彼からもらった本を何冊か見ていたら、「噂の真相休刊記念別冊 追悼! 噂の真相」の中の「編集長日誌1999~2004」に、私のことが何度か出てくる。

たとえば、「某月某日 元木昌彦氏が雑誌『エルネオス』で連載中の『メディアを考える旅』のゲストとして登場してほしいというわけだ。(中略)元木氏に関しては『週刊現代』や『フライデー』の編集長時代に何回か批判記事を書いていただけに意外な感じもあったが、当方に異存はなく、即OKする」

すっかり忘れていた。「エルネオス」というのは私の友人、市村直幸が編集長をしている月刊ビジネス情報誌で、たしか1998年ぐらいからメディアに携わる人間をゲストに招いて対談をしている。

以来、途切れることなく続いていて、現在まで253回という長寿連載になっている。

探してみたら、2000年3月号に岡留との対談が載っている。24回だから、2年目の終わりである。少し長くて恐縮だが、私が書いたリードの部分を引用してみたい。

■業界人たちの“ダボラ”を裏取りせずに書いてしまう

「この業界には、この人を蛇蝎(だかつ)のごとく嫌う人もいる。私にとっても好きな部類に属する人ではない。否、彼とは今回がほとんど初対面だから、彼個人というより、あの雑誌が嫌いだった。

現役編集長時代はもちろん、今でもほとんど読まない。しかし、困ったことに編集部員や知り合いが、こんなことを書かれていたとコピーをして届けてくれたりするので仕方なく読んだことがあるが、そのほとんどは読まなければよかったと後悔することばかりだった。

それでもこの業界を知ろうとする学生や業界人を中心に『噂の真相』は確実に部数を伸ばしてきたようだ。

そして昨年、あの『朝日新聞』が一面トップで『噂真』のスクープ、『東京高検の則定検事長の女性問題』を取り上げてから二段階ぐらい評価が上がったのではないかという向きもあるが、そんなことはあるはずがない。

この雑誌の凄さは、出版業界の中で流れている口コミ情報や真偽がわからない噂話程度のことを活字にしたところにある。新宿のゴールデン街や銀座のバーで業界人たちが酔った勢いでダボラを混ぜながらしている話を、近くでジーッと耳をそばだてていて、裏取りなどほとんどせずに書いてしまうのだ。だが、そんな噂話の中にも、時にはいくばくかの真実がある。それに、これこそがメディアの原点かもしれない。

『噂真』はいつまでも“書かれた奴には絶対嫌われる”路線を堅持していくべきだし、彼が編集長でいる限りクオリティーマガジンになろうなどとは露ほども思っていないはずだ」

■「権力につけ込まれるような危ないことには一切関知しない」

ゲストとして出てもらって、この書き方はないだろうと、私が岡留の立場ならそう思う。

だが、彼はこう書いているのである。

「別段エキサイトする場面もなく、元木氏の意外におだやかなイメージに少々驚く。しかしあがってきたゲラを見たら、対談部分はともかく、元木氏の前口上にはいささか皮肉めいた分析が書かれており、ナルホドと納得する」

大人の対応である。

対談の中で、則定報道以降、刑事や公安が身辺を嗅ぎまわっているようだが、大丈夫かと聞くと、

「あんまり言うと格好良くなっちゃうんだけど、弱みを権力に見せたら絶対潰されますからね。聖人君子だとは絶対言いませんけど、それに近い形をせざるを得ないということですね。つまり権力につけ込まれるような危ないことには一切関知しないっていう日常生活を生きざるを得なくなっちゃったっていうのはありますよね。スキャンダル雑誌をやっている以上は、ね」

■「あらゆるところに情報が詰まっているというサービス」

一般人には銃を向けないともいっている。

「ターゲットは権力者か有名人。だから例えばロス疑惑もやらなかったし、酒鬼薔薇聖斗みたいな事件もほとんどやらなかった。和歌山のカレー事件もやらない。報道の検証だけにとどめる。常に政官財、マスコミ、文化人、オピニオンリーダーたちに批判の目を向ける。雑誌でいえば週刊誌の編集長は実名で書くけども、デスクはイニシャルで、平のことは書かない。一応うちなりの基準というか区分はしてるんですけどね」

今だから打ち明けるが、「噂真」に一度、某女と一緒のところを撮られたことがあった。幸い、掲載された写真はボケボケで誰だか判別不能だったが、このオレもターゲットだったんだと、一瞬、ギクリとしたことがあった。

ここでも私は、あの危ない「一行スキャンダル情報」は止めた方がいいといっているのだが、「僕の方針として読者サービスがすべて。とにかく誌面のあらゆるところに情報が詰まっているというサービス」だと譲らなかった。

■当人のことを意識するとスキャンダルは書けない

私もスキャンダル大好きで、そのために多くの告訴を受けた。でも、これだけは聞いておきたかった。スキャンダルを書かれた当人のことは意識しないのか?

「よく聞かれるんだけど、書く側がそれを意識した時には、スキャンダルは書けないですよね。どんなことを書いても、必ず背後には奥さんや子供がいるわけじゃないですか。例えば渡辺淳一をいくら叩いたって、やっぱり奥さんがいる。それを意識してたら川島なお美のスキャンダルは書けない」

編集長日誌には、これ以外にも、私の出版記念会に出たこと、「経営塾セミナー」で対談したこと、月刊誌「サイゾー」で元週刊文春の花田紀凱と鼎談をしたことなどが書いてある。

この対談以降、たしか「噂真」の年末の号だったと記憶しているが、岡留と花田と3人で、その年のスキャンダルなどをテーマにした放言鼎談を何回か「噂真」編集部でやった。

付き合って分かったが、素顔の岡留は、シャイな心をサングラスで隠した、食えないが、いい男だった。

鼎談は、コンビニの弁当と缶ビールを飲みながらで、謝礼はない。こちらもそんなものを期待していないからいいのだが、たしか、休刊が決まり、最終号に近い号で最後の鼎談をした時だったと記憶している。

終わって編集部を出ようとすると、岡留が花田と私に封筒を渡すではないか。いいよ謝礼なんか、といったが、どうしても受け取れというので、もらって持っていた紙袋に放り込んだ。

■売れっ子や大御所の作家のスキャンダルが載っていた

珍しいこともあると思いながら、一つ会合に顔を出して帰宅した。紙袋の中を探したが封筒が見つからない。ポケットの中にもない。落としたわけはないと思うのだが。

後日、岡留に会った時、「あの封筒には紐が付いていて、オレが出る時それを引っ張って取り戻したんじゃないのか」と冗談でいうと、苦笑いしていた。

「噂真」の売り物はスキャンダルだが、出版業界の裏話を語り合う「週刊誌記者匿名座談会」もよく読まれていた。

彼がいうように、長い間雑誌をやっているから人脈が蓄積されているのだろう。私も知らない講談社の不祥事や人事が出ていて驚いたことが何度かあった。

講談社には出入りの書店があり、そこで買うといくらか安くなる。発売日には、書店の人間が山と積んだ「噂真」を代車に乗せて運んでいたが、スキャンダルよりも、自分の会社を含めた業界の裏情報が気になって購読している人間が沢山いたようだ。

今一つ、「噂真」を編集者が挙って買い求めた理由は、作家、評論家、マスコミ界の有名人たちの恋愛沙汰を含めたスキャンダル情報が載っていたからだ。

先の本にも、「売れっ子や大御所といわれる作家たちのスキャンダルや批判記事は、現在のマスコミにおいても根強いタブーになっている」が、作家について詳しく知るには、その作品だけではなく、男女関係を含めた私生活までのアプローチがどうしても必要になってくる。こうした作家たちの私生活にまつわる情報が後世、知られていなければ、その作家の本質や背景も浅い理解にとどまってしまうと主張しているが、全く同感である。

■作家スキャンダルは、日本で最大のタブーとなってしまった

生島治郎が韓国女性と極秘結婚していた。渡辺淳一と川島なお美のラブロマンス。桐野夏生と講談社某氏との密会など、挙げればきりがないが、スキャンダルばかりではなく、文壇という摩訶不思議な世界の権力争いから作品批判まで、「噂真」でなければ読めない貴重な情報であった。

雑誌が休刊するということは、その雑誌がもっていた情報も無くなってしまうのである。

「噂真」があれば毎月読めた作家や業界人たちの噂やスキャンダルが、雑誌が休刊して手に入らなくなってしまった。脛に傷のある作家は、休刊の報を聞いて大喜びしたはずである。

休刊記念号に、川島なお美とのことを何度も報じられた渡辺淳一がこう書いている。

「岡留のバカ!! ホントは殺してやりたいくらいだけど、我慢してるんだ。(中略)まさか復刊なんて言いださないだろうな。バカヤロー!!」

今や文春砲といわれ、不倫している連中に恐れられている週刊文春も、事件でも起こせば別だが、売れっ子作家の噂話さえ書かない。週刊新潮然りで、講談社、小学館、集英社の週刊誌はいうまでもない。

新聞も連載小説があり、コラムを書いてもらったりするから書けない。もちろんテレビは、ドラマ化、映画化で儲けているから、取り上げない。

かくして、作家スキャンダルは、日本で最大のタブーとなってしまったのである。

■これで言論が自由な国だと胸を張れるのか

秋篠宮眞子と小室圭の婚約延期騒動については、大新聞までが、匿名の元婚約者や宮内庁関係者という、顔の見えない連中の憶測を並べ立てて、誹謗中傷まがいのことを報じるのに、作家のこととなると完黙してしまう。東野圭吾、池井戸潤、村上春樹らは立派な“公人”である。タブー視するほうがおかしい。

これで言論が自由な国だと胸を張れるのか。この国の人間は疑問に思わないのだろうか。

また私は、「噂真」が存続していれば、毎週のように不倫報道を含めたスキャンダルを報じることを、文春ができただろうかと考える。

現在、スキャンダル報道は文春の独占市場のようである。新潮も頑張ってはいるが、文春には及ばない。私が推測するに、タブーが他誌に比べて少ない文春なら、この話に乗ってくれるだろうと、情報がここに集中しているからだと思う。先からいっているように、「噂真」があれば、そちらにも情報は流れたはずだ。

岡留はタブーを作らなかった。もちろんノーチエックではなかっただろうが、大手出版社の雑誌より、自分が持ち込んだ情報が誌面化される可能性は高かった。

■なぜ絶頂期に休刊を決定したのか

今は、週刊ポストや週刊現代に、その手の情報は流れないだろう。持ち込んでも多くは無駄足になる。文春が「噂真」化しているといっては失礼だろうが、情報とはそういうものだと思う。

彼が絶頂期に休刊を決定したのは、個人情報保護法など言論規制法が施行されれば、告訴の山になると考えてのことだったはずである。

沖縄でゴルフ三昧だと聞いたので、CSの彼の冠番組へ呼ばれた時、遊びに行くからゴルフをやろうといった。「いつでも来てください」、日に焼けた顔をニヤリとさせた。結局、沖縄へ行く機会はなかったが、彼は幸せな人生を送ったと思う。

私たちが毎晩痛飲していたゴールデン街も、お洒落な若者と外国人観光客の町に変貌し、そこを愛した作家やジャーナリストたちの多くが消えていった。また一人いなくなってしまった。寂しくなる。(文中敬称略)

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦 写真=時事通信フォト)

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