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71歳医師"75歳を過ぎたら保険証は不要"

プレジデントオンライン / 2019年2月21日 9時15分

平均寿命と健康寿命の差を考えると、日本人男性は最晩年の約9年、女性は約12年を、「健康ではない」状態で人工的に生かされて過ごすことになる――。※写真はイメージです(写真=iStock.com/06photo)

日本は「長寿大国」といわれる。だがそれは誇らしいことなのか。医師で医療ジャーナリストの富家孝氏は「内実は『寝たきり老人大国』。無意味な延命策より、現役世代の医療費軽減に取り組むべきだ。75歳になったら国が健康保険証の返納を求めてもいい」と主張する――。

■「長寿大国」日本の悲惨な現実

2018年7月、厚生労働省が発表した「平成29年簡易生命表の概況」によると、日本人の平均寿命は、女性は87.26歳、男性は81.09歳。男性の平均寿命が80歳を超えたのは2013年のことで、これで連続4年目ということで、新聞からテレビまで大きく報道されました。かつて日本は平均寿命世界一でしたが、現在は香港に抜かれて2位。それでも、世界に冠たる「長寿大国」なので、メディアはこれを誇らしく報道するのです。

しかし、この「長寿大国」の現実は、実は悲惨を極めているのです。なぜなら、日本は世界一の「寝たきり老人大国」だからです。正確な統計はありませんが、介護者数などの統計から推測すると、約200万人の高齢者がいま「寝たきり」で暮らしています。

これほどまでに多くの高齢者が、寝たきりで漫然と生かされている国はありません。欧米はもとよりアジア各国でも、高齢者が病院や施設、あるいは自宅で寝たきりなどということはありえないのです。特に欧米の場合、人が自力で生活できなくなった時点で、どうやったら自然に死なせていくことができるかを周囲が考えます。しかし日本は、できる限り生かそうとするのです。そのため、栄養剤を補給するための点滴を行い、さらに胃ろうを取り付け、最期は人工呼吸器まで取り付けて生かし続けるのです。

胃ろうというのは、口から物を食べられなくなった患者さんに、チューブを通して胃に直接、栄養物を送り込むものですが、これを付けたらほぼ2度と口から物を食べられなくなります。したがって、欧米では胃ろうを付けません。口から物を食べられなくなった時点で、もはや人間ではないと考えるからです。欧米では、人間を人工的に生かすことを生命への冒とくと捉え、胃ろうは「老人虐待」というわけです。

ところが、日本はまったく逆で、どんな状態であろうと生かせればいいのです。ですから、一部の国で認められている「安楽死」も、認められていません。2012年の日本老年医学会による「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン」や2014年の診療報酬改定で、「漫然と胃ろうをつくる風潮」には歯止めがかかりましたが、胃ろうが減少した代わりに経鼻胃管や中心静脈栄養などの別の延命手段をとるケースも増えており、結局「人工的に生かしている」状況に大きな変化は見られません。

■「健康寿命」の後に待つもの

現在、私は医師の紹介業もしているので、老人医療の現場を数多く見ていますが、寝たきりになった多くの高齢者が、実は長生きを望んでいません。「先生、もう回復の見込みはないのなら、こんなかたちで生きていたくありません」と、率直に言う方が多いのに驚かされます。また、ご家族も、意識もなく寝たきりになった親を抱えて、途方に暮れているのです。しかし、医者は“救命装置”を下手に外すと殺人罪に問われかねないので、これができません。

65歳で高齢者の仲間入りした人に、「何歳まで生きたいですか?」と聞くと、たいていの人は「やはり平均寿命までは生きたいですね」と答えます。しかし、平均寿命の前に健康寿命というのがあることを多くの方は知りません。メディアもほとんど伝えません。

健康寿命というのは、簡単に言うと、どれくらいまで元気で健康に暮らせるか? という寿命です。人の助けにならず、自分で日常生活を送れる限界の年齢と言い換えてもいいでしょう。厚労省では、3年ごとの調査に基づいて、健康寿命を発表しています。その年齢は、男性は72.14歳、女性は74.79歳(2016年)です。

とすると、平均寿命で死ぬと仮定すると、男性で約9年、女性で約12年もの期間が「健康ではない期間」になります。次の[図表1]を見ていただければ、そのことが厳然とわかると思います。

つまり、なぜ日本が「寝たきり老人大国」になってしまったかが、この図でわかるのです。メデイアがいくら「長寿大国」と言っても、この現実がある限り、日本は決して誇れません。

男女ともに70歳を超えると、老化が一気に進みます。健康でいられる期間はそう長くはないのです。これは、いくら平均寿命が延びても、幸せに生きられないということを表しています。不健康な期間が延びるだけだからです。

この不健康期間は、本人はもとより世話をする家族に心身両面の負担を強いることになります。現在、問題になっている「老老介護」が、高齢者家庭を直撃するのです。それに加えて、急速な高齢化が進むいま、このまま不健康期間が延び続けると、介護費用、医療費用が膨大なものになっていきます。

■メディアの無責任な『長生き礼賛』

このような状況になっているのに、メディアは長生きを礼賛し続けています。最近では、この7月に日野原重明・聖路加名誉院長が105歳で大往生したことをメディアは称賛しました。日野原氏の「朝昼晩しっかり食べろ」という健康法は、これまでに何度も取り上げられ、「こうすれば長生きできる」と、メディアは長生きをもてはやしてきました。また、古くは「金さん銀さん」が長寿のアイコンとして、メディアにもてはやされました。

メディアが大好きなのは、例えば、長生きをしている有名人を取材し、長生きの秘訣(ひけつ)を記事化、番組化することです。こうして、人間誰もが長生きを望んでいることを前提として、記事や番組はつくられていきます。しかし、これは高齢化社会の真実ではありません。

現在、高齢化が進んだ日本では、年寄りを批判することはタブーになっています。終末期治療がいかに無駄か批判をすると、「年寄りは早く死ねというのか」という声が返ってくるので、メディアはリスクを取ろうとしません。しかし、日野原医師にしても金さん銀さんにしても、例外にすぎないのです。確かに、健康寿命を超えて100歳以上まで生き続けることは素晴らしいことです。しかし、それだけのことです。

■終末期治療の莫大なコスト

終末期治療に関しては、最近、批判の声が高まっています。それは、これが人間の尊厳を損なうともに、下世話な言い方になりますが、カネがかかりすぎるからです。

終末期治療にかかるコストは莫大です。例えば、がんの場合は、入院・手術となれば、医療費はすぐに100万円を超えてしまいます。しかし、患者はその全額を払っているわけではありません。日本は国民皆保険の国であり、患者はなんらかの公的保険に加入しているからです。

例えば75歳以上の場合、後期高齢者医療制度によって窓口医療費負担は1割と決まっています。これに、高額療養費制度が適用されると、所得による限度額の違いはありますが、多くの人は1カ月の上限が4万4400円(外来に関しては1万2000円)となります。

次の[図表2]は、1カ月の医療費を100万円としたとき、後期高齢者医療制度を利用した場合の自己負担額のグラフです。この場合、1カ月100万円かかったので、患者は窓口で1割負担の10万円を払わなければなりませんが、高額療養費制度によって5万5600円が支給されるので、実際の支払額は4万4400円となるのです。

では、100万円から4万4400円を引いた95万5600円は、実際には誰が払っているのでしょうか。言うまでもないでしょうが、公的保険の保険料と公的資金(税金)からの補てんです。つまり、結局、国民全体で費用を分担しているわけです。さらに突き詰めて言えば、現役世代の人々が負担しているのです。若い人たちが、余命が残り少なくなった高齢者の終末期の医療費を払い続けているのです。

すでに医療費全体は2016年度で41兆円を突破しています。国の税収がおよそ56兆円ですから、このままでは国民皆保険制度が維持できるはずがありません。なぜなら、若い世代が減少し、高齢者が増えるのですから、これ以上、保険料も税収も増えるわけがないからです。それなのに、メディアはこの現実を無視し、長寿を礼賛し続けるのです。

■「生かされてしまう」ことのむなしさ

この世の中に、なにも認識できないまま、寝たきりで90歳、100歳まで生きたいと願う高齢者がどれほどいるでしょうか? 終末期治療のむなしさは、それが決して本人のためにならないことです。

救急病棟には、救急車で、寝たきりの老人が心肺停止で運ばれることがあります。そうして、応急処置を施されて助かっても、施設や自宅に戻されて、また寝たきりになるだけです。救急車が1回出動するだけで、その費用は平均して5万円ほどかかります。

また、胃ろうを付けて寝たきりになると、「要介護5」に認定されます。すると、月々約35万円が介護保険から支給されるので、年間で400万円以上のおカネが寝たきり患者に費やされます。さらに、呼吸機能が落ちれば人工呼吸器を付け、腎機能が落ちれば人工透析も施されます。こうなると、年間で1人1000万円はかかります。こんな患者が10万人いるとしたら、総額は1兆円です。これを、なぜ、現役世代が懸命に働いて強制的に支えなければならいのか、合理的な理由はどこにもありません。

麻生太郎副総理は、2013年1月21日の社会保障制度改革国民会議で、終末期医療の患者を「チューブの人間」と言い、終末期治療に関して「私は少なくともそういう必要はないと遺書を書いているが、いいかげんに死にたいと思っても『生きられますから』と生かされたらかなわない。さっさと死ねるようにしてもらわないと」などと語って、メディアの集中砲火を浴びたことがありました。結局、麻生氏はこの発言を謝罪することになったのですが、なぜこれがいけないか? 私には理解できません。

■75歳を超えたら終末期医療はやめよう

ともかく、このような壮大な無駄をなくすには、まず、メディアが長生きを礼賛することをやめること。そして、暴論かもしれませんが、75歳を超えて後期高齢者になったら、終末期治療を禁止してしまうことです。要するに、人工的に生かすのではなく、自然に死んでもらうようにすることです。

そのために私は、75歳になったら国が保険証の返納を求めてもかまわないと思っています。保険証があり、自己負担金が少ないから高額な終末期治療も受けてしまうのです。もし、それが何百万もかかり、結局は助からないとなったら、誰がそれを選択するでしょうか?

実は、いまの医者は人間の自然な死に方については、知見がありません。医者というのは、治療を施した患者の死しか知らないのです。終末期に延命治療を行って、力尽きて死んでいく患者の姿しか見ていないのです。これは、看取る側である家族も同じで、私たちもまた、そうしたなかで死んでいく親の姿しか見ていないのです。

ですから、ここで自然な死に方を取り戻さないと、私たちはますます人間的な生活から遠ざかってしまうでしょう。

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富家 孝(ふけ・たかし)
医師、ジャーナリスト
1947年生まれ。大教大附属天王寺小・中・高、東京慈恵会医科大学卒。新日本プロレス・リングドクターを務める一方、『不要なクスリ 無用な手術』『ブラック病院』など著書65冊以上。

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(医師、ジャーナリスト 富家 孝 写真=iStock.com 図版=富家孝『ブラック病院』(イースト・プレス)より)

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