「データを解せば世の中が変わる」は危険
プレジデントオンライン / 2019年2月27日 9時15分
いまビジネスの世界では、「STEM(科学・技術・工学・数学)」や「ビッグデータ」など理系の知識や人材がもてはやされている。しかし、『センスメイキング』(プレジデント社)の著者クリスチャン・マスビアウは、「STEMは万能ではない」と訴える。
興味深いデータがある。全米で中途採用の高年収者(上位10%)の出身大学を人数別に並べたところ、1位から10位までを教養学部系に強い大学が占めたのだ(11位がMITだった)。一方、新卒入社の給与中央値では理系に強いMITとカリフォルニア工科大学がトップだった。つまり新卒での平均値は理系が高いが、その後、突出した高収入を得る人は文系であることが多いのだ。
『センスメイキング』の主張は「STEM<人文科学」である。今回、本書の内容について識者に意見を求めた。本書の主張は正しいのか。ぜひその目で確かめていただきたい。
第1回:いまだに"役に立つ"を目指す日本企業の愚(山口 周)
第2回:奴隷は科学技術、支配者は人文科学を学ぶ(山口 周)
第3回:最強の投資家は寝つきの悪さで相場を知る(勝見 明)
第4回:日本企業が"リサーチ"より優先すべきこと(高岡 浩三)
第5回:キットカット抹茶味がドンキで売れる理由(高岡 浩三)
第6回:博報堂マンが見つけた"出世より大切な事"(川下 和彦)
第7回:イキった会社員は動物園のサルに過ぎない(川下 和彦)
第8回:マッキンゼーが"哲学者"を在籍させる理由(竹村 詠美)
第9回:わが子を"世界的起業家"に育てる教育環境(竹村 詠美)
第10回:「データを解せば世の中が変わる」は危険(中原 淳)
――中原教授は、最新作『残業学』(光文社新書)で、パーソル総合研究所との共同研究の成果として、2万人を超える調査データをもとに、日本の長時間労働のメカニズムとリスクを明らかにされてきました。つまり人文社会科学の研究者でありながら、「データ」を用いることをよしとされていますが、『センスメイキング』における“人間はいまやデータやAIに頼りすぎていて、本来最重要視するべき人間による意味づけが欠けてしまっている”という分析をどのようにとらえていますか?
僕の研究領域では「データ」が大事だと思っています。未来の人材づくり、組織づくりをしていくときに「居酒屋談義」や「私の教育論」で、それを行うべきではない。しっかりとした「データ」に基づきながら、未来を構想するべきです。だから、わたしは「データ主義者」です。しかし、「データ万能主義」に陥ってはいけません。
わたしたちの世界は、データが直接リアルな現場を変えるのではなく、現場にいる人間にデータが解釈され、意味づけられたときに、現場を変えるのです。この「解釈」や「意味づけ」を軽視してはいけません。ところが今は、「データがあれば、現場が変わる」とか「データそのものが現実を変えることができる」と声高に叫ぶような論調がすごく多い。これは素朴すぎる科学主義だし、データ万能主義に陥っているといえます。
■「データを解せば世の中が変わる」という思い込みが招くもの
『センスメイキング』を書評したブログで、僕はふたつの例を挙げました。
A:
「先生、人事のビックデータを分析したんですけどね。そしたら、『離職の可能性の高い従業員』を予測することができるようになったんです。離職する可能性のある従業員は、欠勤が多いんですよ。ま……だよねって、感じですけど。これで、自信をもって離職予測ができますよ」
B:
「先生、うちでもAIを使って、売り上げを増やす方法を分析してもらったんですよ。店のトイレの方の角のところに、食べ物の売り場を移した方がいいっていうんですよ。なんでって? いや、理由は、よく、わかんないんですけれどね。AIは理由はわからないらしいんですよ。でも、困っちゃいますよね。食べ物をね、便所の近くに置けないじゃないですか……」
(出典:中原研究室ブログ)
データを重視しすぎる素朴な理系が陥りがちな罠ですが、「データを解せば世の中が変わる」という思い込みは危険です。例Aは、「データが大事と言うけれど、なかにはゴミも多いよね」という例です。休みが多い人がいずれ離職するなんて当たり前のことで、ほとんどトートロジー(同語反復)ですよね。それをわざわざデータが出たからといって必要以上にありがたがるというのは安易です。
――データ分析には事象同士の関係が因果関係なのか相関関係なのかを見抜くテクニックが重要ですが、“因果と相関の取り違え”もよく言われることですね。
そうです。例Bは、「意味や理由はわからないのだけど、コンピュータやAIがはじきだした相関関係だけでアクションが決められてしまう事例」です。相関関係を取り違えていて、よく考えもせずにAIやアルゴリズム、データブームに乗ってしまっている。AIがはじき出したデータだからといって、食べ物をトイレの近くに置くなんて、衛生を確保しなければならない限り、難しいことです。
たしかに、コンピュータやAIに比べて、ヒューマンファクターを併せ持つ人間は、非効率で移り気で、根性がないのかもしれません。データと対極にある「人間」や「人間的なもの」はいまや分が悪くなってきており、また、人間を考える学問分野である人文科学が「不要なもの」と、とかくやり玉に挙げられがちです。が、僕はHR(人事)をデータから見ている人間だからこそ、行き過ぎた「データ重視、人間軽視」の風潮に危機感を覚えます。
■「役に立たないもの」には研究費は付かない
『センスメイキング』は端的に言うと、今の世の中がアルゴリズム至上主義やSTEM至上主義(Science,Technology,Engineering and Mathematics:科学・技術・工学・数学)、データ至上主義に陥っていることに警鐘を鳴らす本ですよね。そして、本書が復権を唱える「知」とは、「意味」や「文脈」、「関係」を取り扱う人文科学の知を指します。ビジネスの文脈や具体例を通じて、構造主義や現象学といった人文科学の知を概観できる本です。
哲学や文学などの人文科学は、「役に立たないもの」として大学などの教育機関から切り捨てられつつあるとも感じます。マスビアウも僕も、こうした風潮に危機感を抱いています。冒頭に出したふたつの例も、その風潮を典型的に物語っています。
ここで難しいのが、人文社会科学系の研究者が陥りがちな罠に、すぐに「役に立たなくていいじゃないか」と開き直るところがあると思っています。
でも納税者や為政者の立場にたってみてください。また、世の中には、貧困や病で明日が見えない支援を必要とする人もいます。配分できる資源は限られています。そのとき、あなたが資源を配分せざるをえない人間だったら、何にお金をつけるのか。おそらく、「役に立たない」とひらきなおるものには、研究費はつきません。だからこそ、「意味づけ」を行わなくてはならないのです。
自分たちが研究する知見を「現在」に意味づけたり、人々に伝える努力をしなければなりません。「役に立ちません」と開き直る研究プロポーザルに、お金がついた事例を、僕は寡聞にして知りません。わたしは「人文社会科学の知は、役に立つ」と信じています。それは、凜々しく人々が生きていくための「体幹」のようなものを提供します。
「センスメイキング」とは文系からすると呪文のような言葉ですが、それを実践法や思考法と言い換えることで人文科学に基づいた方法論を伝えやすくしている。“単なる「薄いデータ」ではなく「厚いデータ」を”“GPSではなく北極星を”など、5つの切り口と事例で説明しています。
もちろん知っている人が読むと「ここで言われているのはフッサールの哲学だな」とか「こっちは構造主義的な考え方だ」というのはわかる。けれども、いきなり何も知らない人に「データだけではダメ、フッサールを読め!」と言ったところで、誰も読みません。「フッサール的な知見は役に立つ」ことをきちんと伝えていると思います。
■「意味喪失社会」における働く意味
――「人文知の復権」という言葉は、これまで何年かに一度は繰り返しに叫ばれている感もありますが、『センスメイキング』で言われていることの特徴はどんな点でしょうか。
いわゆる教養懐古主義に陥るのではなく、「原点に立ち返って古典を読め」という主張とも違う点が評価できますよね。もちろん「教養や古典が大事」という言い分もわかるけど、いくら言ったところで世の中は変わりません。必ずしも“正しいこと”が世の中に受け入れられるわけではなく、“正しいことで受け入れられること”が世の中に流通していくわけです。この本では、ある意味で“正しいこと”を“受け入れられるかたち”にしてうまく伝えていると思いました。
僕は数年前から、「意味」に関しては色んな場面で発言し、書いてきました。たとえば、2014年の記事「意味喪失社会を生きる!?:たかが意味、されど意味の時代」。ここでは、現代を「意味の時代」と呼んで、“人が何かをなすとき、何かを決めるときに行う「意味づけ(Sense‐making)」の意味が、今までよりもさらに「重要」になってくる時代”と定義しました。
新入社員が働きがいを見出せなかったり、仕事がつらくてやめるのは、「つらい仕事の意味がわからずやめる」のです。そこになんらかの意味づけがあればやめないという選択肢もあるのですが、この意味づけがぽっかり失われている。この場合、意味づけしてあげる立場にいるのは上司やマネジャーなのですが、その点は多くの会社ではあまり重視されていません。さらに言えば、この「意味喪失社会」は、ここ数十年、人文知が挑戦している大きな課題だと思います。
■「働いて成長したい」はもはやデフォルトではない
――中原先生の『残業学』でも、「マネジメントの力不足」という表現がありました。マネジャークラスの上司たちが、部下たちに働くことの意味づけをしてあげることで、時間のけじめを付けて退社できるし、労働も成長の糧になると意識することができるのだと思います。でも実際にはそのような話し合いよりも、HRツールの導入など、小手先だけの施策にとどまることも多いと感じます。
そうだと思います。私の研究室にも6人ほどの研究スタッフがいるので、よくわかります。マネジメントとは「意味の調整」でもあります。まず、みんなには、やりたいことや思いがある。しかし、プロジェクトの進行やめざすところも、また、ある。いかにこれら同期させ、意味づけていくか。このやりくりこそが、マネジメントの真骨頂です。わたし自身も修行の身、課題だらけです。
――働くことの意味づけは、今後どのようになってくるのでしょうか。
結論から言うと、働くことの意味は働く人のぶんだけあるのだと思います。ただ、自戒をこめて言いますが、働き方や人材育成をテーマにした「自己啓発本」では、「人って仕事をとおして成長したいよね」という「成長しまくりたい願望」をデフォルトに設定していて、そういう意識を持った人を対象としていますが、それは間違っているように思います。むしろ、仕事には安心や安定だけ求めている人や、「そこそこ働いて、幸せに生きていければいい」という人も、今は多いはずです。
だから、実は人によって仕事の意味づけは違うわけだから、その人のニーズを聞くことが重要だと思います。そうすれば、上司も「だったらこういうふうにやりましょう」と、自分の持っているレパートリーのなかから答えられる。いくら職場の魅力を伝えても、それが聞き手のニーズにマッチしていなければ、その人にとっては魅力的に映らないわけですよね。だから、面倒でも、仕事や職場にその人が何を求めているのか聞いてあげることが大事です。
――個別のマッチングが必要ということですね。
そうですね。だから、人事や、人を動かすということが、すごく大変な時代になったと思います。その時代に合ったマネジメントのやり方を考えていかなくてはならないですよね。
■AIやデータに疲れたら
AIのバブルに関しても、僕は一歩引いた見方をしています。なぜかというと、これでAIブームは4度目ではないですか?
こうした繰り返しはAIだけではありません。たとえば「グローバル化」。最近の流行のように感じますが、よく考えれば1853年に黒船が来たこともグローバル化のひとつです。つまり日本の歴史上、「グローバル化」の波は、これまで少なくとも4、5回はある。これが人文社会科学的な知恵です。
要するに、歴史という長い観点で見れば、今起こっているようなことは何度も繰り返し起きているのです。働き方改革も同じです。1987年には「新前川レポート」がありました。これは当時年間2100時間を超えていた日本人の労働時間を、できるだけ早期に1800時間程度にするという目標を示したものです。そこから今回の働き方改革まで30年。これも繰り返しです。
今の時代、「AI」というキーワードにみんな食傷気味ではないでしょうか。そういう人はぜひ『センスメイキング』を読むことで、もう一度地に足をつけて、人文科学の知の重要性や、それを学ぶことの意義を再確認してほしいと思います。歴史は繰り返します。そして人間もまた繰り返す。人文社会科学の深遠な世界を経験すれば、世の中に惑わされない体幹を整えることができるのだと、わたしは信じています。
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立教大学経営学部 教授
1975年生まれ。東京大学教育学部卒業、大阪大学大学院人間科学研究科、米国・マサチューセッツ工科大学客員研究員、東京大学准教授などを経て、2018年より現職。大阪大学博士(人間科学)。専門は人材開発・組織開発。立教大学経営学部では、BLP(ビジネスリーダーシッププログラム)主査、リーダーシップ研究所副所長をつとめる。著書に『職場学習論』『経営学習論』(いずれも東京大学出版会)などがある。研究の詳細は、「NAKAHARA-LAB.NET」。
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(立教大学経営学部 教授 中原 淳 聞き手・構成=的場容子)
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