八方よし"おいしい介護食"イノベーション
プレジデントオンライン / 2019年3月22日 9時15分
「食べものを噛み、飲み込むことが難しくなったが、やはりおいしい食事がしたい」――被介護者や食の障害者のそんな切実な願いをかなえているのが、静岡市を本拠とするウェルビーフードシステム。福祉施設や病院を中心に、給食の受託運営を展開する同社。2010年に開発した「ウェルビーソフト食」が今、介護食の市場を変貌させつつある。
著しい高齢化、人口減少、そして地域経済の衰退など、日本が抱える課題は深刻だ。だが、そんな逆境下にあって、一見すると矛盾する社会的な価値と経済的な利益を、両立させている企業がある。
実はこれこそ日本が培ってきた独自の経営スタイルなのだが、その代表例である同社の経営を、慶應義塾大学大学院教授、磯辺剛彦氏が解説する。
■小さな「気づき」が、イノベーションを生む
▼価値創造
ソフト食とは、ものを噛む力、飲み込む力が弱くなった人向けの食事です。従来はペースト状にしたもの、それをゼリー状に固めたものが主でした。しかし最近は、健常者の常食と味も見た目もあまり変わらないソフト食が開発されています。
「おいしいものを食べたい」という人間本来の欲求に、「常食に近いソフト食の開発」というイノベーションによって応え、今まで手が届かなかった新たな市場を拓いたのがウェルビーフードシステム(以下、ウェルビーFS)なのです。
私は常々、イノベーションは個人の天才的なひらめきから生み出されるものではなく、普通の人が普段の生活のなかで気づくものだと考えています。その意味で、ウェルビーFSは典型例といえます。
ウェルビーFSの設立は1982年。当初はスーパーマーケットへ食料品などの販売のかたわら、社員食堂などの給食事業を手がけていました。介護食の気づきのきっかけは、2000年から始めた介護保健施設での給食事業でした。
「施設の厨房で食事を作って提供するのですが、時間が経ち、入居者の要介護の段階が上がっていくと、常食を摂れない方が増えてきます。当時、そのような方にはミキサーで細かく刻まれた食事が提供されていました」
社長の古谷博義さんは、そう振り返ります。ドロドロで彩りのない食事でした。それにミキサー食は、気管に入って肺炎を起こすこともあります。
「入居者が自分の親だとすれば、それを食べさせたいとは思わなかった」
と古谷さん。「何とかできないか」と考えていたとき、事業に転機が訪れました。長引く不況に08年のリーマンショックが重なり、社員食堂や社員寮の需要が大幅に減少したのです。
「社食事業は続けられないと思いました。一方で、介護施設との取引を通じて、高齢化が想像以上のスピードで進んでいるという感覚がありました」(古谷氏)
機能性介護食と銘打ったソフト食が誕生したのは、その時期です。試験的に独自開発したソフト食を提供したところ、喫食率が3割も上がったのです。
そこで古谷社長は社食からの撤退を決断、福祉系の施設に販路を切り替えました。小さな気づきが、事業の領域を変えたのです。
■社会的価値と収益性、いかに両立させるか
調理した食材をミキサーにかけ、改めて具材ごとに成形して盛り付ける。焼き魚はバーナーで焼き色をつけ、肉じゃがのグリーンピースは豆型のスプーンで一粒ずつくり抜いたり、すべてが手作りです。盛りつけも大事な作業です。このようにウェルビーソフト食は、手間暇をかけて丁寧に作られます。
介護食の問題に気づいたのは、古谷さん以外にもいたはずです。しかし、一施設のなかでソフト食を必要とする人は少数です。時間とコストを考えれば、事業化は簡単ではありません。
しかし古谷さんはこの課題に正面から向き合いました。しかも、食としての高いクオリティを求めたのです。
なぜなのでしょう。実は事業に失敗した過去があるのです。
大学を卒業した後、古谷さんは義父が営む食品商社に入社しました。70年代後半、30代半ばのころ、その流通資源をもとにFC事業を立ち上げました。しかし、2度までも事業は立ち行かなくなりました。古谷さんは、「失意のどん底で、企業のあるべき姿とは何かを考えた」といいます。
そこで、事業は社会にとって価値がなければならない、と考えるに至り、「食を通して社会に貢献する」という経営理念を掲げ、ウェルビーFSを起こします。
環境変化のなかにこそ、事業機会は宿る。これは私の信念です。今世紀に入って、日本も激しい環境変化に晒されていますが、このような時代には2つのタイプの機会が現れます。
ひとつは、品質はともかく低コスト・低価格というローエンドの事業機会。いわゆる破壊的イノベーションと呼ばれるものです。実は、今の日本の製造業の多くが、このタイプの競争で苦戦しています。もうひとつは、社会的な困りごとというニーズの出現です。路線バスがなくなった、近くのスーパーが撤退したなど、生活者の不便や不安といった「不」を解消するニーズです。これこそが、先進国として、多様な課題を抱える日本に必要な事業領域です。
ただ、後者の場合は、社会的な価値と経済的な利益をいかに両立させるかが大きなテーマになります。ウェルビーFSは、このテーマに果敢に挑戦している企業なのです。
■強みを生かした、新たな事業展開
ウェルビーFSは現在、静岡県内に65カ所の受託施設を持ち、1日に1万6000食を提供しています。基本的な事業モデルは、各受託先の厨房で調理配膳しますが、デリバリー業務にも乗り出しています。
その拠点が14年に開設したセントラルキッチン静岡です。ここでは、クックチル方式で調理した食事を配送する集約的な業務を行っています。クックチルとは、加熱調理した食品を急速冷却し、食べる時間に合わせて提供する調理システムです。
現在は介護などの施設を中心とした事業者向けの供給ですが、今後は一般消費者への供給も視野に入れています。
「ウェルビーソフト食がテレビや新聞で取り上げられ、たくさんの問い合わせをいただきました。そのなかで、個人の方から『ぜひ、大事な家族においしいものを食べさせてあげたい』というご要望が多かったんです」
と、専務の川口尚宜さん。
「舌癌で舌を切除した夫を持つ奥さんから、『普通のお寿司はもう食べられないけれど、ウェルビーのお寿司なら食べられるかもしれないから』と相談されたのが、とても印象に残っています」(川口さん)
このときは、古谷さんが何とか提供を試みましたが、叶いませんでした。そうした出来事もあって、ゆくゆくは一般の消費者にも届けたいと、セントラルキッチン静岡を設けました。
個人向けとなると、消費者へジャスト・イン・タイムで届ける配送システムが必要になるのですが、そこにウェルビーFSの強みがあります。
「現段階で、セントラルキッチン静岡は、まだ実験段階だと思っています。ようやく収益の見通しが立ってきたので、個人向けのサービスをどう展開するか、今検討しているところです」(古谷氏)
「当社のソフト食を待ってくださっている方がいる。その方たちを何とか笑顔にしたい」という古谷さんの志は、遠くない将来に実現できるはずです。
ただし、これまでのように事業所の現場で調理する事業と、一般消費者に配送する事業とでは、必要になる経営資源やビジネスモデルは異なります。一般消費者向けの事業では、大手食品メーカーと競合するリスクも出てきます。今まで以上に企業の規模を大きくしなければなりません。
■企業の経済成長は、目的や結果ではない
ソフト食に取り組んでから今日まで、ウェルビーFSの受託施設は、3倍近くに増えています。国内だけでなく、海外からの引き合いも多く、中国や東南アジア諸国のほか、フランスからも商談があったそうです。売り上げの成長率だけを見れば、急成長といえますが、同社の経営はとても堅実です。今でも静岡県内での事業展開にとどめ、むやみな販路の拡大も避けています。
「今の状況で、営業はしていません。ウェルビーソフト食を提供するには、一般のソフト食よりもコストがかかります。売り上げを伸ばすために価格を下げ、コストを削減した結果、品質を下げてしまっては本末転倒です。お客様においしいものを食べていただき、幸せを感じていただく。すべては、そのためにあるべき」
と、古谷さんは言います。
企業が追い風に乗っているとき、その成長をどうとらえるか。私は、成長は経営者がコントロールすべきものだと考えます。ある状況ではアクセルを踏み、違った状況ではブレーキを踏む。これも経営者の重要な役割です。
言ってみれば、イノベーションとは社会の「不」をなくすことです。その結果、市場が生まれます。生きるために仕方なく食べていた食事が、自らスプーンを持って食べたいと思う食事になった。それこそがウェルビーソフト食の真価です。
実際、胃から直接栄養を摂取する胃ろうの患者が、ウェルビーソフト食により、自分で食事ができるようになった事例もあるといいます。喫食が困難な人の「不可能」をも「可能」にする。個人にとどまらず、これは社会に大きな希望を与えるものです。
古谷さんから伺った話ですが、初めてウェルビーソフト食を食べたお年寄りが、食事に手を合わせていたそうです。企業は、個人に生きる喜びや生きがいを提供できるのです。ウェルビーFSは、その好例のひとつといえるでしょう。
●本社所在地:静岡県静岡市清水区川原町
●資本金:1000万円
●従業員数:466名
●沿革:1982年設立。83年社員食堂を受託、2000年福祉食へ参入。01年清水区に自社工場を開設、学校給食へ参入。11年医療関連サービスマークを取得、病院食へ参入。ニッポン新事業創出大賞、経済産業大臣賞(最優秀賞)受賞。売上高:2016年5月期14.5億円、17年17.9億円、18年20.5億円見込み。
----------
慶應義塾大学大学院 経営管理研究科教授
1958年生まれ。81年慶應義塾大学経済学部卒業、井筒屋入社。96年経営学博士(慶大)。流通科学大学、神戸大学経済経営研究所を経て2007年より現職。企業経営研究所(スルガ銀行)所長を兼務。専門は経営戦略論、国際経営論、中堅企業論。
----------
(慶應義塾大学大学院 経営管理研究科教授 磯辺 剛彦 構成=高橋盛男 撮影=小原孝博)
外部リンク
この記事に関連するニュース
-
デジタルの力で給食業界を変革!ナリコマが目指す給食DX、動画を公開
@Press / 2024年3月21日 9時30分
-
「イートロス」を予防するには? 第9回 伊藤園ウェルネスフォーラムを開催
マイナビニュース / 2024年3月14日 19時19分
-
【事後レポート】第7回ケアフード東京にLEOCが出展中 「LEOC Ready-made」を直営給食の選択肢に
PR TIMES / 2024年3月13日 16時45分
-
《事後レポート》LEOC Presents「KIRA KIRA食育授業」佐伯市立米水津小学校5・6年生による開発メニューが1日限定の給食として登場!
PR TIMES / 2024年3月2日 17時45分
-
シダックス大新東ヒューマンサービス 3月6日に 和歌山県串本町内の小中学校、こども園にて 民間ロケット打ち上げ記念クッキーを提供
@Press / 2024年2月29日 9時30分
ランキング
-
1農水省 食品業界に小林製薬3製品の回収協力要請
TBS NEWS DIG Powered by JNN / 2024年3月28日 20時54分
-
2ファミリーマート、商品に小林製薬「紅麹」使用でお詫び・売場から撤去 「ビビンバ炒飯&サムギョプサル」など3商品【一覧】
ORICON NEWS / 2024年3月28日 18時20分
-
3「残念なセルフレジ」はなぜ生まれるのか 顧客体験を損なわない方法
ITmedia ビジネスオンライン / 2024年3月28日 7時0分
-
4LINEヤフーに管理改善勧告 個人情報保護委、「不備」と認定
共同通信 / 2024年3月28日 16時5分
-
5なぜこんなことに?…10代から働き続けた66歳男性、年金機構から届いた「年金支給停止」の通知に仰天【FPの助言】<br />
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年3月28日 11時15分
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
エラーが発生しました
ページを再読み込みして
ください