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世界遺産に「殺された」富岡製糸場の教訓

プレジデントオンライン / 2019年4月8日 9時15分

2016年06月17日、観光客が訪れる旧富岡製糸場(群馬県富岡市 写真=時事通信フォト)

世界遺産登録を「地方再生の妙薬」だと思ったら大間違いだ。富岡製糸場は世界遺産に登録された2014年には年間133万人以上の来場者がいたが、2017年にはその半数以下に落ち込んでいる。東洋文化研究者アレックス・カー氏とジャーナリストの清野由美氏は「自分たちの町や地域の遺産をいかに観光のために整備するか、統括的に考える必要があった」と指摘する――。

※本稿は、アレックス・カー、清野由美『観光亡国論』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

■観光業で汚染された場所「ユネスコサイド」

英語に「cide(サイド)」という接尾辞があります。「herbicide(ハービサイド=除草剤)」「genocide(ジェノサイド=集団殺戮)」など、概ね「殺す」ことを意味していますが、最近のヨーロッパや東南アジアでは、ユネスコの世界遺産登録を受けて、観光業で汚染された場所を「ユネスコサイド」という言い回しで表現するようになっています。

世界遺産に登録されて世界中から観光客が集まるようになった後に、的確なコントロールを怠れば、その途端に、町には観光客目当てのゲストハウス、ホテル、店が立ち並ぶようになります。

そうなると、昔からある景観や文化的環境が薄れてしまいますし、観光スポットだけでなく、住民が大切にしてきた場所までが、ネガティブに発信されてしまいかねません。

そのプロセスは、町に観光客が増えることで、昔からあった店がなくなり、金儲けをあてこんで遠くからやってきた土産物屋だらけになる観光名所と同じです。

たとえば中国雲南省の世界遺産の町、麗江では、かつては先住の少数民族、ナシ族が旧市街で昔ながらの生活を営んでいました。

しかし観光地としての知名度が上がるにつれ、旧市街に北京や上海の業者が進出し、大量生産された土産物を販売するようになりました。世界中から来る観光客で表面上は賑わってはいますが、もともと旧市街に住んでいたナシ族の人たちは減り、町は本来の姿を失って、空洞化しています。

■バガン遺跡は「危険なほどの混雑」に見舞われた

ユネスコサイドは、世界遺産に登録された後、徐々に始まるのではありません。登録された段階、もしくはその前でも起こります。

ミャンマーにあるバガン遺跡は世界三大仏教遺跡の一つで、11世紀から13世紀に建てられた仏塔や仏教遺跡が3000以上も残る、実に神秘的な場所です。有名なカンボジアの世界遺産であるアンコールワットより、さらに規模が大きく、気球に乗って日の出を見るツアーが観光客から人気を博しています。

ミャンマー政府はかつてバガンの世界遺産登録を進めましたが、軍事政権下ということもあり、遺跡の管理体制が十分でなく、話は進展しませんでした。その後、民主化を機に世界遺産登録への機運が再び高まり、その盛り上がりと並行するように、観光客がワッと押し寄せるようになりました。

夕方になれば絶景スポットとされる高さ数十メートルほどの寺院に人々が大挙して集まり、その混み合うさまは古代寺院の神秘どころではなく、危険そのものです。中には夕暮れをBGM付きで楽しみたいということで、あたりかまわず音楽をかける人も出ているといいます。

■世界遺産登録は地方再生の「妙薬」ではない

ユネスコサイドの流れは、おおむね次の4段階を踏んで進みます。

1、世界遺産に登録される、あるいは登録運動が起こる
2、観光客が押し寄せて遺産をゆっくり味わえなくなる
3、周辺に店や宿泊施設が乱立して景観がダメになる
4、登録地の本来の価値が変質する

特に日本では、ユネスコによる世界遺産登録を、地方を甦らせるための「万能の妙薬」のごとく、ありがたがる風潮があります。しかし世界の実情では、ユネスコによる世界遺産登録がうわさされただけで、人々が押し寄せ、管理が行き届かなくなる事態が生まれており、さらにはそうした人たちが一気に増えたり減ったりすることで、地域がダメージを被る、という問題まで起きているのです。

観光振興をテーマにしたある集まりで、群馬県から来た人と話す機会がありました。

群馬にある世界遺産といえば、2014年に登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」が有名です。登録が決まったときに、観光客が大勢並んでいるニュースを私は見ていましたので、「世界遺産に登録されたらされたで、大変なことですね」と話しかけたところ、相手の方からは「いや、もう熱は冷めました」と意外な返事が返ってきました。

■富岡製糸場の来場者数は3年で半数以下に落ち込んだ

事実、『読売新聞』の記事(2018年6月25日朝刊)によると、富岡製糸場は世界遺産に登録された14年、年間133万7720人もの来場者がありましたが、2年後の16年度にはそこから4割減少し、17年にはついに半数以下に落ち込んでしまっています。

人口約5万人の富岡市にとって、富岡製糸場が持つ観光的な価値は財政面でも地域維持の面でも大変に重要です。一方で世界遺産登録を維持するため、その修復・管理にかかる費用はこの先10年で100億円にも上るとされています。それなのに、その原資となる入場者数が下降線を描いていることで、目算が大きく狂い始めているのです。

富岡製糸場の事例を踏まえて言いたいのは、自分たちの町、地域の遺産をいかに観光のために整備できるか、より総括的に考える必要があるということです。もしくは世界遺産への登録が、本当の意味で観光振興につながるのか、熟慮が必要です。

地元の人たちや関係者たちが、それらの問いを吟味した先に、世界遺産登録の本来の意味は生じます。そこを詰めないまま、「世界遺産登録=観光客誘致の切り札」と短絡させるだけでは、物見遊山的にやってきて、「失望した」と文句を拡散する人を増やすだけです。

■観光客がいるからオペラやバレエを見ることができる

観光による文化へのダメージがあまりにも目立ち過ぎるため、「文化と観光は両立しない」という極論が、最近では聞かれるようになっています。それは「観光が増えれば文化は必ず凋落する」という意見です。しかしここでぜひとも強調しておきたいのは、観光が文化にもたらすプラスの側面も大いにある、ということです。

アレックス・カー、清野由美『観光亡国論』(中公新書ラクレ)

たとえば日本やアメリカからヨーロッパへ観光に行くと、多くの人がオペラやオーケストラを楽しむことでしょう。

私がウィーン国立歌劇場に行ったときは、自分と同じような観光客で客席の半分ぐらいが埋まっているように見受けられました。ウィーンに限らず、パリのオペラ座、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス、ミラノのスカラ座と、主だった都市の劇場は、どこも観光客の姿が目立ちます。

バッハやベートーベンの音楽が現代に継承されて、盛んに演奏されるということは、つまり音楽家たちに仕事のできる環境が、存在し続けてきたからということです。オーケストラやオペラ、バレエなどの大がかりな舞台芸術は、地元の観客だけを相手にしていては到底維持できません。よそからやってきて観劇料を払ってくれる観光客の存在があって、バイオリニスト、ピアニスト、歌手、バレエダンサーらが芸術の担い手として、今日も舞台に立つことができるのです。

■世界中の観光地が「観光公害」に悩んでいる

観光やインバウンドには、文化の継続だけでなく、文化を復活させる力もあります。

たとえばタイでは伝統舞踊のイベントに観光客がたくさん来ることによって、その舞台が守られました。また古式ゆかしい人気のタイシルクも、第二次世界大戦時にタイに赴任した軍人で、実業家であるアメリカ人のジム・トンプソンが事業化を行い、観光客に販売したことで世界的に知られるようになりました。

今現在、世界中の観光地が「観光公害」という問題を抱えています。

ただし京都、バルセロナ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ニューヨークといった都市、もしくは町は、過去数十年にわたって観光客が来訪し続ける価値を持ちえたからこそ、旧市街の町並みやそこでの暮らしが残ってきたともいえます。

人口減少が進む日本、とりわけ地方の町や村は、観光という起爆剤を持ち込まないと、やがて経済が回らなくなり、消滅への道をたどってしまいかねません。町の消滅は、同時に文化と歴史の消滅を意味します。

著書『観光亡国論』に繰り返し記しているように、そこには適切なマネージメントとコントロールが必要であることは、ここであらためて強調をしておきたいと思います。

さらに、日本人が大切にしてきた場所ならば、安易に「世界遺産登録」などの世界のブランドに頼る前に「日本が認めた」「地元の方々が守ってきた」といった視点を、今一度磨くべきなのではないでしょうか。

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アレックス・カー
東洋文化研究者
1952年、米国生まれ。NPO法人「篪庵(ちいおり)トラスト」理事長。イェール大学日本学部卒、オックスフォード大学にて中国学学士号、修士号取得。64年、父の赴任に伴い初来日。72年に慶應義塾大学へ留学し、73年に徳島県祖谷(いや)で約300年前の茅葺き屋根の古民家を購入。「篪庵」と名付ける。77年から京都府亀岡市に居を構え、90年代半ばからバンコクと京都を拠点に、講演、地域再生コンサル、執筆活動を行う。著書に『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『犬と鬼』(講談社)、『ニッポン景観論』(集英社)など。
清野由美(きよの・ゆみ)
ジャーナリスト
東京女子大学卒、慶應義塾大学大学院修了。ケンブリッジ大学客員研究員。出版社勤務を経て、92年よりフリーランスに。国内外の都市開発、デザイン、ビジネス、ライフスタイルを取材する一方、時代の先端を行く各界の人物記事を執筆。著書に『住む場所を選べば、生き方が変わる』(講談社)、『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論TOKYO』(いずれも隈研吾氏との共著、集英社新書)など。

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(東洋文化研究者 アレックス・カー、ジャーナリスト 清野 由美 写真=時事通信フォト)

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