ずっと工事中の横浜が人気の街になるワケ

プレジデントオンライン / 2019年3月22日 9時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/ngkaki)

関東版の「住みたい街ランキング」で、横浜が2年連続1位となった。なぜ人気なのか。まち探訪家の鳴海行人氏は「抜群のアクセス性、駅周辺の商業施設の集積、ブランドイメージの高さが背景にある」と指摘する――。

■「住みたい街」ランキングで2年連続1位

大手不動産総合情報サイト「SUUMO」を運営するリクルート住まいカンパニーが2月28日に「SUUMO住みたい街ランキング2019年関東版」を発表した。そこで2年連続関東エリア1位になったのが「横浜」だ。2012年から8年連続5位以内にランクインしている。なぜ人気なのか。

同じく8年連続5位以内にランクインしているのが吉祥寺だ。この2つのまちに共通することは、「交通の利便性」「買い物の利便性」「おしゃれなイメージ」だ。この3つがどのように形成されてきたのかを探りつつ、横浜が人気のまちになった理由を考えていきたい。

■第二次世界大戦前から強化されてきたターミナル機能

「交通の利便性の高さ」については、横浜駅にはJRと私鉄、地下鉄で併せて6社局の10路線が乗り入れていることが大きい。30分以内で東京・品川・渋谷といった東京都心のターミナルにアクセスできる。それと同時にみなとみらい・山手・鎌倉といった観光地や羽田空港にもアクセスしやすい。「通勤も遠くなく、レジャーの行き先にも困らない」という絶好の立地であると言えそうだ。

こうした立地は関東大震災後に生まれたものだ。明治時代に日本で最初の鉄道が開通した際の初代横浜駅は現在の桜木町駅に近い位置にあった。その後東海道本線が西に延伸するにつれ、初代横浜駅の場所では不便だということになり、現在の高島町駅近くに二代目の横浜駅が作られた。しかし、関東大震災で駅舎が被災したことなどから、1928年に現在の横浜駅の位置に移された。

駅開業当初は国鉄と東急電鉄のみが乗り入れていた。その後京急電鉄が1930年に、相模鉄道(神中鉄道)が1933年に横浜駅に乗り入れ、戦後地下鉄の開通などもあり、横浜駅には少しずつターミナルとしての機能が強化されてきた。

第二次世界大戦前からアクセスに便利なまちとしての下地はそろっていたのである。

そして、第二次世界大戦後には1976年に横浜市営地下鉄が開業、平成に入ってから2001年にはJR湘南新宿ラインにより横浜と新宿・池袋が直結、2004年に横浜高速鉄道みなとみらい線が開通し、ますます利便性を高めた。

■ルミネ、ポルタ、そごうの並ぶ東口

「駅周辺の利便性の高さ」については、実際のまちの姿を見ながら探ってみることにしたい。

横浜駅は東西を貫く中央自由通路を中心に駅の東西にまちが展開している。JRのメイン改札である中央北・南改札がある中央自由通路は、1日に50万人が利用するといわれる。昼夜を問わず多くの利用者が行きかっており、横浜駅には欠かせない通路だ。

まずは中央自由通路から海側にあたる東口へ向かう。すると、駅ビル「ルミネ」があり、その先で下に降りる階段とエスカレーターがある。その先は地下街の「ポルタ」で、中央自由通路から続く広い通路の両サイドには100以上の専門店が面的に広がる。

横浜東口の顔「そごう横浜店」(撮影=鳴海行人)

そしてその先にあるのが「そごう横浜店」(横浜新都市ビル)と「スカイビル」だ。横浜新都市ビルの1階にはバスターミナルが設けられ、横浜市内を走る路線バス、羽田空港への空港アクセスバス、中長距離の高速バスが発着している。

「スカイビル」の地下2階から8階には「マルイシティ横浜」が入居し、「そごう」「ポルタ」と併せて東口の商業エリアを形成している。

さらに「そごう」からはみなとみらいへつながる橋と北のポートサイドエリアへつながる橋があり、ポートサイド側には三菱の倉庫跡地を再開発したショッピングセンター「横浜ベイクォーター」(約90店舗)がある。

■大型商業施設と地下街だけで「商業エリア」が成り立っている

横浜駅西口の駅前広場と建設中の「JR横浜タワー」(撮影=鳴海行人)

いったん駅に戻り、今度は中央自由通路を西口へ向かう。東急東横線・みなとみらい線の地下改札へ向かう階段を両側に見た先のエリアが工事中になっており、そのまままっすぐ向かうルートと、上へ上がる階段がある。ここが現在JR東日本が開発している新しい駅ビル「(仮称)横浜西口開発ビル」(JR横浜タワー、JR横浜鶴屋町ビル)で、2020年に完成する予定だ。

そのまままっすぐ進むとこちらにも地下街がある。ここは相鉄グループが運営するショッピングセンター「ジョイナス」(約400店舗)の一部で、以前は「ダイヤモンド地下街」と称していた。こちらも中央通路から続く通路は広く作られており、地下街の真上に位置する西口バスターミナルのバス乗り場につながる階段もところどころにある。

横浜駅から南西に延びる「パルナード」商店街(撮影=鳴海行人)

今度は地下街を南へ向かい「ジョイナス」へ向かう。ビル自体は「ジョイナス」と「横浜高島屋」が同居する形で作られている。この地下街を含めた「ジョイナス」と「横浜高島屋」が西口の商業エリアの中心をなす。その周辺には元「横浜三越」の「ヨドバシカメラ横浜店」やファッションビルの「横浜モアーズ」、幸川の向こうにある「ビブレ」といった大型商業施設や横浜五番街・パルナードといった商店街があり、横浜西口の一大商業エリアを形作っている。

まちを歩いてみると、商店街が中心になる吉祥寺のようなまちと異なり、大型商業施設と地下街だけで駅至近に立体的な商業エリアが形成されており、また密集していることがわかる。さらに言えば、地下街が発達し、接続する商業施設も多いため広々とした歩行空間も確保されており、買い物や移動がしやすい。こうしたコンパクトで歩きやすいまちの構造はとても魅力的だ。住みたい街として人気になったことに、こうしたまちの構造は大きく作用している。

■高度経済成長の波に乗って開発された西口

では、どうしてこうした便利なまちの構造になっているのだろうか。それは横浜駅周辺の開発史にヒントがある。

開業後から第二次世界大戦後の1950年代までの間、横浜駅の表玄関は、現在「そごう横浜店」がある東口であった。しかし第二次世界大戦後の1950年代に入り、この状況に大きな変化が訪れる。西口に駅を構えていた相模鉄道(相鉄)が1952年にアメリカの石油会社が保有していた2万平方メートル以上の広大な土地を購入し、横浜駅西口の開発計画を打ち出したのだ。

1955年には西口駅前広場が作られ、1956年に「横浜駅名品街」と簡易的なマーケットの「高島屋ストア」が開業した。相鉄の熱心な誘致と「高島屋ストア」の営業成績が好調であったことを受け、1959年には百貨店としての「横浜高島屋」が本格的に開業する。すると翌年に東口と西口の利用者数が逆転し、西口が存在感を発揮するようになっていた。

横浜駅西口を開発してきた「相鉄」の乗り場が近い「みなみ西口」。地元では「相鉄口」と呼ばれることもあり、待ち合わせスポットとして使われる(撮影=鳴海行人)

その後、「横浜ステーションビル」(1962年)、「ダイヤモンド地下街」(1964年)、「横浜岡田屋」(現在の「横浜モアーズ」・1968年)、「ダイエー横浜店」(1972年)、「相鉄ジョイナス」(1973年)、「横浜三越(同年)と、西口側には次々と商業施設が開業、急速に発展していった。そして1978年には「ニチイ横浜店」(現在の「横浜ビブレ」)が開業してほぼ現在のようなまちの姿となる。

つまり、最初は何もなかったエリアに駅を中心に鉄道会社が開発に乗り出し商業エリア化、そして高度経済成長期の波に乗って、さまざまな商業施設が集積していったのである。

■「雨に濡れずに歩ける」商業エリアの功罪

この西口発展に対し、東口側は駅前を国道1号線が走り、海が近く、土地の余裕もなかったこともあって発展に時間がかかり、市や県も加わった開発が行われることになった。それでも1980年の中央自由通路開業と時を同じくして東口には駅ビル「ルミネ」と地下街「ポルタ」が開業、1985年には「ポルタ」の向こう側に「横浜そごう」(現在の「そごう横浜店」)が開業した。

こうして西口・東口の双方で対抗するように開発が行われたため、最終的には地下街を介して雨に濡れずに駅や複数の商業施設が相互にアクセスできる、コンパクトな商業エリアが形成されたのだ。

そして、ここまで発展したウラには1番目に挙げた交通利便性も関係している。なぜなら、神奈川県内の広い範囲から横浜駅へアクセスしやすく、その結果として横浜駅周辺の商圏が大きく拡大したからだ。先にも書いた通り、鉄道路線が集中する横浜駅は鉄道の利用者が多く、そのために駅周辺の地価が高くても、駅周辺に商業施設が高集積するという事情がある。

一方で、2000年代にはこの「濡れずにいける駅の近く」への集中がさらに加速し、衰退するエリアも生み出した。2013年にはパルナードの端で目印の役割を果たしていた「東急ハンズ」が「横浜モアーズ」に移転し、今年2月には「ダイエー横浜店」が閉店(建物建て替えのため)している。移転・閉店した施設はいずれもパルナードの中間、ないしは駅から見て奥側に位置していたため、パルナードへ向かう人は段々と駅から離れたところに行かなくなっており、裏を返せば、駅から離れた所は少しずつ衰退しつつあるといってもよい。

■1968年の横浜イメージは「暴力の町」

筆者は神奈川県出身だが、出身地の話をすると「神奈川県といえば横浜。あそこはおしゃれでいいところだ」と相手から返答をもらうことが少なくない。テレビや雑誌などでもこうしたイメージで取り上げられることも非常に多く、こうしたイメージはまちへの憧れを生み出し、「住みたいまち」につながりやすい。

しかし、横浜のこうしたイメージは比較的最近のものだ。1968年に横浜市は「横浜に対する意識調査」を実施した。全国の中学校・高校120校に通う6000人を対象に横浜の認知度とイメージを尋ねたものだ。認知度は98%と非常に高く、半数は修学旅行で来ていた。また教科書やテレビで横浜を知る人も多かったようだ。そして「どんなところか」という質問に対しては「港の町」(1位・87.3%)や「工業の町」(4位・25.9%)といった項目に続いて「暴力の町」が5位に入り14.1%であった。実は1950年代の横浜は麻薬や暴力が横行しているまちだった。横浜市史資料室『市史通信(第24号)』によれば、1960年には麻薬の使用・所持などで検挙された人数は県内で703人と、全国の検挙数の2割を超えていた。

では、そんな「暗い」イメージから現在の明るいイメージへの転換はなぜ起こったのだろうか。ひとつは「異国情緒のある港町」として流行歌で横浜が多く使われたこと、そして横浜市が積極的に「異国情緒あふれ」、「開港の場」にもなった「港町」としての都市イメージを保存して見せるようにし、さらに市の施策で生まれた「おしゃれ」な風景がドラマなどで使われてきたことが大きい。

■行政が演出した「異国情緒のあるおしゃれな港町」

都市運営が顕著になったきっかけは1963年に飛鳥田一雄氏が横浜市長に就任したことだ。1968年には、縦割り行政の部署間をつなぎ、広い視野をもって都市づくりを行うために「企画調整室」(発足当初は「企画調整部」)が設置された。「港町」としての横浜のイメージを強化するため、山手地区における景観保全、山下公園周辺エリアに代表される都市景観づくり、港町横浜らしい近代建築の保全などを行った。

そうした取り組みと共に生まれたのが「横浜市六大事業」だ。都市中心部の強化と都市の骨格作りを目的としたものだった。その1つに「みなとみらい21計画」がある。三菱重工業の造船所を横浜郊外の金沢区につくる埋めたて地に移し、その跡地や追加で埋め立てた土地を開発するという計画だ。

古くからの市街地であった関内エリアと横浜駅周辺の中間に位置し、双方をつなぐ新しいまちとして企図され、1990年代以降、ランドマークタワーやパシフィコ横浜といった大型施設が造られていった。そうした開発の中でも、造船所時代に使用されていたドックの跡地を保存し、広場として活用するなどの取り組みを行い、港町イメージの保全に積極に努めている。

こうしたさまざまな施策により、「異国情緒のあるおしゃれな港町」というイメージが横浜全体のイメージとして定着し、横浜駅周辺のブランド価値向上に大きく貢献しているのである。

■駅周辺の開発は今後も続く

最後に、横浜は今後も人気のまちとしての地位を保ち続けるのかを考えてみたい。

今後しばらくは人気のまちとして上位にいるのではないかと推測される。まずイメージの面では、横浜市が数十年一貫した方向性で行ってきた都市のブランディング方針を大きく転換しない限り、そうそうマイナスイメージにはならないであろう。

横浜駅周辺の地図(画像作成=鳴海行人/OpenStreetMapを元に作成(c)OpenStreetMap contributors)

さらに言えば、横浜駅周辺の集積も依然続いており、2020年に開業予定の「JR横浜タワー」(26階建て)といったビッグプロジェクトも完成を控えている。地下3階から10階を商業施設として整備し、中には現在新宿駅のミライナタワーで展開している駅ビルブランド「NEWoMan」、映画上映を中心とした多目的利用型エンタテインメント・コンプレックス「T・ジョイ横浜」が入居する予定だ。隣接する相鉄ジョイナスとの連絡もしっかり行うという。

他にも「JR横浜タワー」と一体で整備される「JR鶴屋町ビル」(9階建て)、相鉄が手掛ける高さ180メートル・44階建ての再開発ビル(2022年完成予定)も工事中で、今後も利便性の高いターミナルを中心とした便利な買い物環境はますます強化されていくだろう。

抜群のアクセス性、私鉄がリードした駅周辺開発、都市ブランドイメージ形成の3つが作り出した「横浜人気」。今後もしばらくは続いていきそうだ。

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鳴海行人(なるみ・こうじ)
まち探訪家
1990年、神奈川県生まれ。学生時代に地方私鉄とまちのつながりや駅の空間を中心に研究活動を行ったことをきっかけに「まち」を巡るようになる。大学卒業後は交通事業者やコンサルタントの勤務等を経てフリーに。2015年から「まち探訪家」を名乗り、2017年から「まちコトメディア」の「matinote」でライター兼編集長を務めるほか、「まち」や「交通」などをキーワードにさまざまな媒体で活動を行う。最新情報はホームページやツイッターで発信中。

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(まち探訪家 鳴海 行人 写真=iStock.com)

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