1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

経営学で語る"クラウドワークス"成長物語

プレジデントオンライン / 2019年4月22日 9時15分

クラウドワークスの仕組み。(画像=同社ウェブサイトより)

■一度目は失敗、二度目の起業に挑む

個人が企業から仕事を受注するにはどうすればいいか。いまは「クラウドソーシング」というサービスがある。ウェブ上のプラットフォームを使って、仕事を発注したい企業と、仕事を受注したい個人をつなげるものだ。

クラウドソーシングの歴史はまだ新しい。2011年に起業したクラウドワークスという会社は、日本における元祖のひとつである。売上高は年々拡大しており、2014年には東証マザーズへ上場。現在、年間の総契約額は100億円を超える。

ただし、まったく新しいサービスのため、注目度に対して、事業が軌道に乗るまでは時間がかかった。売上高は伸びていたが、営業利益は上場以来、赤字続きだった。それもようやくめどがつき、直近の18年9月期には2300万円の営業黒字に転換している。

クラウドワークスの創業者である吉田浩一郎氏が、クラウドソーシングという事業の形態を知ったのは2011年。すでに当時、アメリカなどでは同種のプラットフォームが立ち上がっていた。このことをサイバーエージェント・ベンチャーズ社長(当時)だった田島聡一氏から吉田氏は聞き、フリーランスの個人がウェブでつながり、社内にいる社員と同じようにチームで働く時代がはじまっていると感じた。

実はこの時期、吉田氏は失意の底にあった。吉田氏は大卒後、複数の企業で勤めた後、2007年に一度目の起業を果たした。この企業はアパレル商品の販売を中心に幅広い事業を行っていたが、ベトナムで開始した事業の不振、そして部下の退社などが相次ぎ、2010年には経営を続けることができなくなっていた。

その後の吉田氏の二度目の起業が、クラウドワークスだったのだ。

いかにして吉田氏は、クラウドワークスを立ち上げるに至ったか。そして拡大していったか。以下では、吉田氏の起業を、起業家研究の第一人者であるバージニア大学教授のS.サラスバシ氏がまとめた「エフェクチュエーションの5つの行動原則」に沿って検証してみる(図表1)。なおエフェクチュエーションの詳細については後述する。

エフェクチュエーションの5つの行動原則
手中の鳥の原則:経験による知識から難しさも見通せた

まず吉田氏は、それぞれの時点において自身の有していた知識やネットワークを巧みに活用している。ないものをねだっても、局面は開かない。自身が有するリソースを使うのだ。

吉田氏は一度目の起業には失敗したとはいえ、そこにいたるまでの経験から多くの知識と人脈を得ていた。先の田島氏からの情報も、こうした人脈があればこその話であり、加えて吉田氏はそれまで経験から、その事業化の可能性だけではなく、難しさも見通せた。

クラウドワークスの開業にあたって、吉田氏には何が見えたか。クラウドソーシング事業を本格的に手がける企業はこの当時の日本には存在せず、したがってその市場はなく、利用者情報も存在しない。可能だったのは、当時の日本の取引慣行を基に推測を行うアプローチ、要するに「皮算用」である。

吉田氏は、クラウドソーシングの市場を日本で一気に拡大するには、大企業や官公庁などからの発注を広げていく必要があるとにらんだ。しかし、2010年代初頭の日本では、こうした大組織は直接個人への業務の委託は行わないのが通常だった。吉田氏はそれまでのビジネス経験から、個人が大組織の発注を受けるには、すでに当の大企業と取引実績をもつ別の会社を通すことを求められることが少なくないことを知っていた。

ここで時代遅れの取引慣行を嘆くだけでは、クラウドソーシングの事業は広がらない。この課題を吉田氏は見抜くことができた。

許容可能な損失の原則:赤字覚悟で官公庁の仕事を受けた深謀

では、どうしたか。

吉田氏が以前に営業職として働いた会社のひとつは、国際見本市などの企画や運営などを行う会社だった。新しい見本市を開催する際には、重要カテゴリごとに有力企業を洗い出し、そこに重点的にアプローチしていた。有力企業の1社の出展が決まると、他の企業も興味を示しはじめるという体験をした。

吉田氏は、この経験をクラウドワークスの立ち上げに応用した。中央官庁や各業界の有力企業がクラウドワークスを利用して、直接個人への発注を行っているという報道が繰り返されれば、他の企業が取引慣行を見直すうえでの安心材料となると考えたのである。

そんなある日、吉田氏は、あるコンサルティング会社から相談を受けた。「官公庁の仕事があるが、予算が合わない。個人の力を使ってなんとかならないか」という内容だった。

こうした相談が舞い込んでくるのも、頓挫したとはいえ一度目の起業を果たしていた吉田氏のリソースである。これを吉田氏は活用した。クラウドワークスのプラットフォームを使って一肌脱ぎ、赤字覚悟で受注を行ったのである。受注の条件は、「中央官庁が個人の力を活用した」というプレスリリースに協力してもらうことだった。

さらに民間企業との間でも、子育てママや、シニアなどへのお仕事紹介の事業を共同で手がける提携を進めていった。これらが、新聞や雑誌などのメディアで次々に取り上げられることになった。

このようなプロモーションは、クラウドワークスにとっては、すでに構築したプラットフォームを活用するだけのことであり、赤字とはいっても大きな損失とはならない。小さな負担で大きな効果を引き出す取り組みだった。大胆なようで意外に渋いやり方だ。

クレイジーキルトの原則:「外注」という言葉を使うことに方針転換

あるいは先の見本市の運営会社では、展示会ごとに著名な業界関係者から成るアドバイザリー・ボードを設けていた。出展はしてもらえなくても、アドバイザーなら就任してもらえることが少なくない。このリストに加えて、出展の契約を取る前に、企業名が並んだ想定図面を作成し、「こんな形になるとよいと、われわれは思っています」と、想定図面を見せながら説明に回っていた。

ここから吉田氏は、プラットフォームの立ち上げにあたっては、どのようなかたちになるかのイメージを事前に想起させやすくすることが重要なことを学んでいた。イメージが湧かないから参加者が集まらない。参加者が集まらないからイメージが湧かないという悪循環に陥ることは、何としても回避しなければならない

この気づきも吉田氏は、クラウドワークスの創業に活用している。2011年ごろはソーシャルゲームの全盛期で、この分野のエンジニアが不足していた。吉田氏は有名エンジニアの講演会に出かけたり、ツイッターで声をかけたり、友達を紹介してもらったりしながら、「写真を貸してほしい」という依頼を行っていった。

「みんなで、エンジニアの働き方の新しい未来をつくりたい」と、クラウドワークスの理念を語り、協力を呼びかけたところ、「写真の掲載だけなら」と無料で30人ほど有名エンジニアから写真提供を受け、ホームページのトップに掲載することができた。

一方で吉田氏は、写真提供を受けるエンジニアの年齢、地域、プログラミング言語に多様性をもたせることに注意した。偏ったプラットフォームだと思われないことが重要なことも、見本市の運営会社から学んでいたからである。

どのように伝えるかは重要だ。投資家であり同社の株主でもある小澤隆生氏からは、「『クラウドソーシング』ではなく、『外注』というべきだ」とのアドバイスを受けた。当時の日本にあってはなじみのなかった「クラウドソーシング」という言葉では一般人にはピンとこない。それよりも「外注をこれまでより早く、あるいはコストを抑えて実現しませんか」と持ちかけるほうがわかりやすい。

そこで吉田氏は、クラウドソーシングが世の中を変えるという理念は表に出さず、日々のコミュニケーションでは「外注」や「受託」といった言葉を使うようにした。クラウドソーシングを目指しつつ、クラウドソーシングを語らないという切り分けを行ったのである。

■サービス開始当初は「検索機能」を設けず

さらに創業当初のプラットフォームでは、吉田氏たちが「ドン・キホーテ戦略」と呼んでいた、検索機能を設けない対応もとった。オープン当初の登録ワーカーの数は限られる。そこに検索機能を用意しても、「対象者はありません」と表示されることが多くなる。これでは利用者に、「なんだ」とがっかりされてしまう。

その対応のために初期のクラウドワークスを閲覧は、スクロールしながらの登録ワーカーを順に見る方式に限定されていた。少ないとはいっても、1000を超える登録ワーカーである。そのすべての情報を読み通すことは困難である。利用者には、「全てを見ることができなかったが、これだけの多くの登録ワーカーがいるのだから、次の機会にアクセスしてみよう」と思ってもらうことができる。もちろん、この方式は現在では見直されており、検索機能も現在のクラウドワークスには用意されている。

レモネードの原則:利益を上げることより夢を語る

吉田氏は、クラウドワークスの創業にあたって、経験から得ていた手持ちの知識やネットワークを次々に活用していったわけだが、さらに自身の失敗の経験もうまく転用している。

一度目の起業の失敗から、吉田氏はいくつかの反省を行っていたが、そのひとつに「会社には夢が必要だ」というものがある。一度目の起業では吉田氏は、利益を上げることを重視し、コンサルティングでも、小売りサービスでも、何でも収益性があれば手がけていた。しかしこのアプローチでは、企業が成長すればするほど、組織としての求心力が失われていく。

このような反省のなかで吉田氏が、クラウドワークスの創業に踏み切ったのは、そこに「働き方の新しい未来をつくる」という夢が見いだせたからだ。そしてこのことが、先に述べた開業時の有名エンジニアの写真提供につがる。語るべき夢がなければ、エンジニアの共感は集めにくかったはずである。

飛行中のパイロットの原則:変化に反応し新たな打ち手を繰り出す

以上のような取り組みを経て、クラウドワークスのプラットフォームはオープンへと向かう。まずは個人エンジニアなどの事前登録を募り、1カ月ほどで1300人の登録を得た。ここから企業まわりをはじめ、「1300人のエンジニアなどの登録があり、閲覧するだけなら無料」と説いて回った。

このように吉田氏は、プロセスのなかでの局面の変化をとらえて次々に打ち手を切り替えている。プラットフォームを構築したらすぐに行動を開始し、エンジニアに対して「働き方の新しい未来」を説いて登録をうながす。そして登録者が集まると、発注側の企業へもアプローチする。そこでは「外注を早く、低コストで実現できる」とうたい、クラウドソーシングが世の中を変えるとの理念は表に出さない。大局的な見通しも大切だが、局面の変化へも迅速に反応して行動を切り替えることでプロセスの進行の加速している。

■新たな市場創造に挑む起業家にとっての合理性

バージニア大学教授のS.サラスバシ氏は、熟達した起業家に特徴的な行動を図表1のようにまとめ、その原理を「エフェクチュエーション(実効の理論)」と名付けている。

そこに示されるのは、無理のない範囲で実験的な行動を繰り返すなかで事業を拡大していくアプローチである。このアプローチが有効なのはクラウドワークスにかぎらない、新規性の高い市場に挑む起業である。存在していない市場のデータは、当然存在しない。そこでの予測の的中度は低くなる。

予測が当てにならないわけだから、合理的な起業家は手持ちのリソースを生かすことに徹し、退路を残しつつ、方針を柔軟に見直し、失敗からも効用を引き出しながら、まずはやってみる。そして、時々の状況の把握と振り返りを怠らず、次々に手を打つ。

■相対的な論理としてのエフェクチュエーション

エフェクチュエーションは、このような予測の困難な環境のなかでの合理性が高い。しかし講演などの機会に、以上のような紹介すると、次のような質問をよく受ける。

「それは個人起業家の行動であって、相応の規模を求められる大企業の事業には不向きなのではないか?」

「無理のない範囲での実験的な行動を繰り返す」といわれれば、多くの人が感じるに違いない疑問である。たしかにこうした行動をとれば、誰もがクラウドワークスのような成長を果たすことができるわけではない。

サラスバシ氏は次のように述べている。

「『許容可能な損失』の推定は……起業家ごとに異なり、また同じ起業家でも……どのようなライフステージ……にいるかによって変わってくる」(S.サラスバシ『エフェクチュエーション』碩学舎、2015年、p.105~106)。

つまり、エフェクチュエーションが示しているのは相対的な論理なのであり、どこまでの損失が許容可能で、どこまでが無理のない範囲かは、誰が起業に挑むかしだいなのである。

群を抜く成長を果たしたクラウドワークスも、吉田氏の行動を振り返れば、やはりエフェクチュエーションの論理に沿った行動で事業を進めている。ではなぜ、クラウドワークスの事業は、こぢんまりとした規模で足踏みせずに、一気に拡大したのか。

そこで重要だったのは、エフェクチュエーションの論理と掛け合わされたのが、吉田氏の経験や人脈だったことであり、その時々においてこの掛け合わせのために、吉田氏が自身の経験や人脈から何を引き出していたかである。

起業にあたっては、誰が起業を行うかによって、利用できる手持ちの鳥も、転用できる失敗も、そして許容可能な損失の範囲も異なる。このことを理解すれば、起業にあたって目を向けなければならない、ひとつのポイントが見えてくる。

起業家は、「自分は何者か」を見つめ直さなければならない。エフェクチュエーションを活用する際には、自身を振り返り、そこから何を引き出せるかを見据えることが出発点となる。この一人ひとり、あるいはプロジェクトごとに異なる出発点は、起業を相対的な問題とし、その先に広がる事業の規模もスピードも異なっていくことを見落とさないようにしたい。吉田氏とクラウドワークスについていえば、彼はそれまでの挫折を経て、起業につながる各種のリソースを蓄積していた。同氏の事業を成長へと導くことへの強い執着も、そのひとつである。

しかし誰もがそのようなリソースをもつわけではない。それがないのであれば、「自分は何者か」を見据えて、そのもとでの前進を、向かい風にめげずに続けていけばよい。エフェクチュエーションは、その歩みを導く理論である。

----------

栗木 契(くりき・けい)
神戸大学大学院経営学研究科教授
1966年、米・フィラデルフィア生まれ。97年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(商学)。2012年より神戸大学大学院経営学研究科教授。専門はマーケティング戦略。著書に『明日は、ビジョンで拓かれる』『マーケティング・リフレーミング』(ともに共編著)、『デジタル・ワークシフト』、『マーケティング・コンセプトを問い直す』、などがある。

----------

(神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木 契 画像=クラウドワークス)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください