なぜ日本の神道と仏教は仲良しだったのか
プレジデントオンライン / 2019年6月16日 11時15分
■琵琶湖に日本の宗教史上の重要な「聖域」がある
滋賀県に竹生(ちくぶ)島という離島がある。
勘のいい人ならば、「滋賀県は海に面していないのでは」と頭を傾げるかもしれない。その実、竹生島は琵琶湖の北部に浮かぶ周囲2kmほどの小島である。ちなみに東京・上野の不忍池(しのばずのいけ)の弁天島は、琵琶湖の竹生島を模して、江戸時代に造成されたものだ。
竹生島は、日本の宗教史を語るうえで、とても重要な聖域である。平安時代から江戸期まで続いた神仏習合の古態を今に残しているからだ。
日本の社寺は明治初期、神仏分離政策によって存続の危機に見舞われた。つまり、江戸時代までは寺院と神社はそれぞれの要素が混じり合った混交宗教の形態をとっていた。それを、「神は神」「仏は仏」と厳格に切り分けよ、という明治新政府の法令が出されたのだ。
この神仏分離政策は「廃仏毀釈」という寺院や仏像の破壊運動にもつながり、多くの寺が破壊された〔詳しくは、鵜飼秀徳『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』(文春新書)参照〕。廃仏毀釈がなければ日本の国宝は、現在の3倍はゆうにあっただろうと言われている。
■今でも神と仏の共存関係を観察できる稀有な場所
しかし、ここ竹生島は、今でも神と仏の共存関係を観察することができる稀有な場所である。私は先日、この島を訪れる機会を得たので、少しリポートしてみようと思う。
福井県境にも近い湖西の長浜市今津。ここから島に渡る船が出ている。出航しておよそ30分。花こう岩の岩肌があらわになった島が眼前に現れた。奈良時代に僧行基が開いたと伝わる竹生島だ。現在、戸籍上の住民はゼロ。毎日、通いで寺院の僧侶、神社の神官、土産店店主らが島にやってくる。
弁財天を祭る神仏習合の宗教施設が造られたのは8世紀。弁財天とは、ヒンドゥー教の水の女神サラスバティを起源とする。日本では弁財天は神道や仏教と混じり合い、特に中世以降は仏教における守護神天部のひとつとして位置付けられる。大黒天、恵比寿、毘沙門天などと並んで七福神の一角をなすことでも知られている。
島には現在、「宝厳寺」(真言宗豊山派)が高所に、「都久夫須麻神社」が低所に隣り合わせで建っている。宝厳寺は西国三十三所観音霊場の第三十番札所に挙げられている。いっぽう都久夫須麻神社のほうは、厳島神社(広島県)、江島神社(神奈川県)に並ぶ日本三大弁財天に数えられる。
とくに都久夫須麻神社本殿は国宝に指定された堂々たるものだ。それにしても、湖の中の小島の斜面にどうやって資材を運び、建設したのか。信仰の力がなしえた偉業に感心するばかりである。
■2つの宗教は江戸時代までは「ひとつ」だった
一見、2つの宗教施設が別々に島にあるように見える。現在、宗教法人法上、2施設は別の宗教団体である。だが、もとはひとつの施設だった。江戸時代まで宝厳寺と都久夫須麻神社は一体で、「竹生島権現弁才天社」という名称で知られていた。「権現」というのは、仏菩薩が衆生を救うために、神の姿でこの世に現れたものとする神仏習合の考え方である。
竹生島権現弁才天社では、宝厳寺の僧侶が別当(住職)となり、弁才天を本尊(権現)として祭っていた。竹生島は典型的な神仏習合の島であった。
ところが、折しも明治維新の節目を迎えると、新政府は神仏習合を完全否定する。仏教が伝来する前の、神道中心国家をめざすべく、寺と神社を明確に分ける神仏分離令を発したのだ。すると、竹生島には暗雲が垂れ込める。
1869(明治2)年、大津県庁より田中久兵衛という役人が島に遣わされてきた。そして、これまで一緒に祭ってきた弁財天を神社の外に出せ、と詰め寄ったのである。権現という名称も廃止し、今後は都久夫須麻神社として一本化するように命じた。
■神仏習合形態の施設が寺院と神社とに切り分けられた
当時の史料(『神佛分離史料』)には、田中久兵衛が、法厳寺の塔頭(付属の寺院)であった妙覚院の住職覚以に、無理難題を押し付け、改称を迫る様子が記されている。
「『延喜式(平安時代の律令の施行細則)』には都久夫須麻神社の記載がある。しかし、そうした縁起由来を示す公的な届出は、これまで一切出されたことがない。したがって、島(弁才天社)の縁起の証拠を示すように。もし、抗弁するようなら朝敵同様とみなす。場合によっては、(前年の1868年に近江坂本で起きた廃仏毀釈運動である)日吉大社の仏像仏具が焼き捨てられたのと同様の事態になるかもしれない。県庁からのお達しを素直に受けなければどうなることか。そのところをよく考えよ」
つまり、あくまでも神社が主体であり、寺院は神社の付属施設。だから、寺院を切り捨てても問題なかろうという理屈である。
この命令に、寺院側や信者らは激しい抵抗を見せ、かろうじて廃寺だけは免れた。しかし、宝厳寺と都久夫須麻神社の習合状態は、解消せざるをえなかった。結果、宝厳寺本堂は都久夫須麻神社に明け渡し、神社の本殿へと姿を変えた。ご神体は宝厳寺宝物の中から2つが選ばれ、祭られた。もともとの本尊である弁財天像は、妙覚院の仮堂に移された。
その上で、宝厳寺塔頭の常行院住職覚潮が還俗、生島常之進という改名し、神主になったという。新しい宝厳寺の本堂が建築されたのは、それから70年以上も後の1942(昭和17)年のことである。
こうして強引に寺院と神社とが引き離された。竹生島のように、住職が神主に職替えし、神仏習合形態であった施設が寺院と神社とに切り分けられた事例は、枚挙にいとまがない。
■重要文化財の「渡り廊下」が神社と寺院を一体化させる
しかし、竹生島が稀有なのは、いまだに神社と寺院が一体化した施設が残されている点である。それは、宝厳寺と都久夫須麻神社とをつなぐ渡り廊下(舟廊下、重要文化財)である。この舟廊下は豊臣秀吉の御座船、日本丸を移築したもの。重要文化財に指定されている。
舟廊下は、当時の権力者に抗い、信仰を守った証しである。いまでも、参拝客はこの舟廊下を通って、宝厳寺と都久夫須麻神社を行き来する。
明治初期の神仏分離令以降、わが国では基本的には仏教と神道が混じり合うことはなくなった。しかし、竹生島では、かつての混交宗教の形態がわずかにも残されているのだ。
別々の宗教が、仲良く併存してきた国家は珍しい。日本の宗教風土は、おおらかな日本人の民族性を表している。竹生島で神と仏が別々の道を歩むようになって、今年で150年の節目を迎える。今一度、日本人の心の原点を見つめてみたいものである。
(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)
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