Netflixが"サービス初日"にやったこと

プレジデントオンライン / 2019年6月20日 9時15分

大量のDVDを仕分けるネットフリックスの従業員=2009年3月10日、米ニュージャージー州(写真=AFP/時事)

1億人超の会員を抱えるNetflix(ネットフリックス)は、オンラインでのDVDレンタルサービスを世界に先駆けて始めた。約30人の創業チームが立ち上げた、記念すべきサービス初日の様子を紹介しよう――。(第2回、全3回)

※本稿は、ジーナ・キーティング著、牧野洋訳『NETFLIX コンテンツ帝国の野望』(新潮社)の第1章と第2章の一部を再編集したものです。

■世界初の「オンラインDVDレンタル」

1998年春にはウェブサイトとバックエンドシステムが完成した。つまり、顧客はオンライン上で映画の在庫を検索して注文できるということだ。もっとも、最初はしょぼいウェブサイトだった。ユーザーが個々の作品を検索すると、白くて広い背景に小さな画像と短い説明が出てくるだけだった。

作品情報充実のためにネットフリックスが頼ったのが「オールムービー・ドット・コム」という映画ファン向けウェブサイトだ。ネットフリックスは当初、DVDジャケットのアートとタイトルを自らのウェブサイト上で使おうとした。だが、ハリウッドの映画スタジオに拒否された。そこでケースからジャケットを取り出してスキャンすることで対応した。映画スタジオから警告状が送り付けられてきたら? そのときはそのときだ。

ローンチ日が近づくにつれて、スタッフが増えていった。新しいプログラマーが採用されて折り畳み式長机はどんどん窮屈になり、マーケティング部門のクリスティーナ・キッシュのオフィスは新しい担当者を受け入れてぎゅうぎゅう詰めになった。

■ソフトウエア大手のベテランたちが集結

ドレスコードは緩いどころではなかった。オフィスで寝泊まりし、数時間睡眠で仕事に没頭していたCEO(当時)のマーク・ランドルフは、一晩床に脱ぎ捨てられたままになっていたジーンズとTシャツ姿で朝方オフィスに現れることもあった。もちろんジーンズとTシャツはしわくちゃだ。オフィスでの寝泊まりが常態化していたという点ではキッシュも同じだ。自宅までは山脈越えドライブが必要だったので、オフィスで寝るほうが楽だったのだ。

オフィス環境もひどかった。換気システムがきちんと動いていないなか、大勢の人間が小さなスペースにひしめきながら戦闘準備に入っていた。体臭が充満して息苦しいことこのうえない。オフィスの片隅では、廃棄処分待ちのDVDジュエルケースが山積みになっていた。

ネットフリックスの全チームメンバーが人生を懸けていた。白熱した議論をしているうちに怒鳴り合いになることもしばしばだった。大学を卒業したての若者が立ち上げる典型的なスタートアップとは違った。

メンバーの大半は大きなソフトウエア会社で管理職を経験したベテランであり、大幅な年収カットを受け入れてネットフリックス入りしていた。消費者相手の新ビジネスに飛び込んで、自分たちの知的DNAを受け継ぐ会社をつくるという共通の夢を実現しようとしたのだ。

■開始90分でサーバーがクラッシュ

98年4月14日――プログラムの1行目が書かれてからちょうど半年――ネットフリックスの準備は完了し、ウェブサイトが立ち上がった。共同創業者のリード・ヘイスティングス(現CEO)はウェブサイトのローンチに立ち合ったものの、オフィスの片隅にいるだけだった。大学院の2学期目に入っていた。過去6カ月間はランドルフと頻繁に意見交換していたとはいえ、オフィスを訪れることはまれで、新しいスタッフの大半とは面識さえなかった。

ウェブサイトがローンチとなるや否や、インターネットの運営に明るいコーリー・ブリッジスは以前から契約していたインフルエンサーを自由にさせた。彼らが自身のコンテンツで「ネットフリックス誕生」と発信すると、興味津々の訪問者がぞくぞくとバーチャル店舗に現れた。ウェブサイトは予定通りにきちんと動いていた。ただ、訪問者が増えるにつれてプログラマーのエリック・メイエは不安になっていった。

ローンチから90分後、サーバーが容量いっぱいになって……クラッシュした。メイエはスタッフを呼び、ぼろぼろのトヨタ製ピックアップトラック――経理担当グレッグ・ジュリアンが運転する車――で近所のコンピューター専門店フライズ・エレクトロニクスへ行かせた。サーバー修復に取り組んでいる間、新しいコンピューターを10台調達して容量をアップさせようと考えたのだ。

■注文が大量に入るのに閉店時間がない

一方、DVD倉庫ではプリンターが詰まり、大量に入ってくる注文をさばけなくなった。DVDが掛けられたペグボードは混乱状態になり、中途半端に処理された注文書はベンチの上で山積みになっていた。そんななか、作業員は狭い通路を行ったり来たりで大わらわだった。

サーバー修復に関わっていないスタッフは全員で注文処理に当たった。ウェブサイトが復活するたびに大量の注文が舞い込んでくる。これの繰り返しだった。深夜までに注文件数は100件以上に上り、発送しなければならないディスク数は500枚以上に達した。にもかかわらずメイエはウェブサイトを安定させることができず、なお四苦八苦していた。

ヘイスティングスはスタッフを前にして言った。「ウェブサイト上で何かメッセージを出すべきじゃないかな。『店が大変混雑しております。もう少ししてからご来店ください』とか」

これを聞いたマーケティング担当のテリーズ・スミスは思った。それはおかしいよ、ここはインターネットなんだから、店が混雑するなんてあり得ないでしょう――。この瞬間になってハッと気付いた。ネット上では閉店時間なんてあり得ないのだ!

■あいまいなアイデアが実現するまでたったの1年

最初はあいまいなアイデアにすぎなかった。そこからコンセプトが生まれ、ビジネスプランへ進化し、実際のビジネスがスタートした。すべてたったの1年の間に、である。ネットフリックスのチームは挑戦者として強大な業界に揺さぶりを掛けるという夢を見ていた。その夢はウェブサイトのローンチ日に現実となった。

チームメンバーは初日からこれほどの成功を収めたり、これほどの注目を集めたりするとは夢想だにしていなかった。こうなるともはや失敗できないから、にわかに大きな責任を感じるようになった。虎のしっぽをつかむ――自らを苦境に追い込んでしまうという意味のことわざ――とはこういうことなのか、とキッシュは思った。

ネットフリックスに来る前はビデオレンタルチェーンのオーナーをしていたミッチ・ロウはローンチ日の夜に帰宅すると、妻に向かって不安を口にした。「これまでネットフリックスのローンチに心血を注いできたけれども、次に何が起きるのかさっぱり分からない」。これに対して妻は「赤ちゃんが生まれたようなものよ。もう生まれてしまったのだから、嘆いても仕方がない。どうするか考えなくちゃね」と応じた。

まさに赤ちゃんが生まれたときと同じように、ネットフリックスの誕生によってチームメンバーは連日のように眠れない夜を過ごすことになった。誕生1年目にして業界の2大パラダイム――VHS規格のビデオと実店舗型のビデオレンタル――を大混乱に陥れたのだから、大きな苦労を味わうのは当然の成り行きだった。

■ハリウッドが参入しなかったことが追い風に

環境変化が追い風になっていたのは間違いない。DVDプレーヤーの販売ペースはVHSビデオレコーダーをはるかに上回り、97年3月に初めて市場に登場してからわずか6カ月間で40万台を販売した(VHSはその半分の20万台を達成するまでに2年を要した)。1台当たりの平均価格は98年4月時点で580ドルであり、1年前の1100ドルから大きく下がっていた。

当初はDVD規格採用に慎重だった映画スタジオも、市場のDVDシフトを無視できなくなり、毎月100タイトルのペースでリリースするようになった。ネットフリックスが倉庫で保有するタイトル数も膨れ上がり、98年夏までに1500タイトルに達した。一方、ブロックバスターとハリウッドビデオは店舗にDVDを置くのを拒否した。そのため、夏の間はネットフリックスがDVDレンタル市場を独占する格好になった。

つまり、よちよち歩きのネットフリックスがつまずいて転倒する不確定要素がいろいろあったにもかかわらず、結果的にすべてが吉と出たのだ。

■レンタル希望リスト「キュー」の誕生

ローンチ日のクラッシュは、それから何カ月にもわたってネットフリックスのチームメンバーに起きることの前触れだった。やらなければならない仕事は山ほどあった。

例えば、ウェブサイトを魅力的で使いやすくするためのさまざまな機能の導入だ。ローンチ前のブレインストーミングでランドルフ、キッシュ、メイエの3人はそれらについて議論しながらも、ローンチの期日を優先し、導入を見送っていた。

まずキッシュとメイエが導入したかった機能は、見たかった映画を思い出させてくれるリマインダー機能だ。キッシュの発案である。彼女には書店で新刊本をチェックし、後日図書館で借りる習慣があり、それがヒントになった。

社内メモでは当初「ザ・リスト」と呼ばれた。しかし、1年後にメイエが導入したときには「キュー(順番待ち)」へ呼び名を変えていた。この機能を完成させる技術的ハードルは高い。個々の顧客が自分のアカウント内でネットフリックスの在庫を調べて、見たい作品の優先順位を付けるのである。ここでは一種の人工知能(AI)が必要になる。メイエはローンチ前にリマインダー機能に振り回されて、時間を浪費する事態を避けたかった。

■欲しいのはおすすめしてくれる“デジタル店員”

その代わりに、メイエとキッシュは「リマインドミー」アイコンを作成した。これを使えば、顧客は興味ある作品を指定しておくことができる。社内のプログラマーチームはリマインドミーのアイコン――赤い蝶ネクタイを巻いた人差し指――をやぼったいと嫌い、「ブラディフィンガー」と呼んでキッシュをからかうこともあった。

ジーナ・キーティング著、牧野洋訳『NETFLIX コンテンツ帝国の野望』(新潮社)

ロウが欲しかった機能は「デジタル・ショッピング・アシスタント」だ。ビデオドロイドのオーナーとして顧客を間近で観察してきた経験からヒントが生まれた。顧客にしてみれば、映画の好みについて同じセンスを共有しているのは店長ではなく店員なのだ。

理想的なデジタル・ショッピング・アシスタントは顔写真とともに人間的な個性を備えている。それだけではない。ネットフリックスが保有する巨大な映画ライブラリの中からお勧め作品を案内してくれる。ローンチ日に間に合わなかったものの、レコメンドエンジン――初期メンバーがホワイトボードで戦略を練っていた段階の構想――を作る土台になった。

このようにしてネットフリックスは誕生したのである。

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ジーナ・キーティング
フリーランスの経済ジャーナリスト。米UPI通信に続き英ロイター通信に記者として在籍し、10年以上にわたってメディア業界、法曹界、政界を担当。独立後は娯楽誌『バラエティ』、富裕層向けライフスタイル誌『ドゥジュール』、米国南部向けライフスタイル誌『サザンリビング』、ビジネス誌『フォーブス』などへ寄稿している。2012年、処女作『Netflixed』を刊行。

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(経済ジャーナリスト ジーナ・キーティング 写真=AFP/時事)

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