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ネット右翼が『日本国紀』を絶賛するワケ

プレジデントオンライン / 2019年7月11日 9時15分

2019年4月13日、安倍首相主催「桜を見る会」。中央が百田尚樹氏、その左が安倍晋三首相。(写真=アフロ)

なぜ百田尚樹氏の『日本国紀』(幻冬舎)はベストセラーになったのか。文筆家の古谷経衡氏は「これまでのネット右翼向けの歴史本は、特定の時代に焦点を当てていた。右派論客による自称『通史本』は珍しく、そのために喝采を集めた」と分析する――。

■歴史学科で「必ず、必ず、読め」といわれた通史本

私は2001年4月、立命館大学文学部史学科(日本史学専攻コース)に入学した。現在では名称が変わり、「日本史研究学域」に変更されたようだが、関西における私大の歴史学科という狭い範囲に限定すれば、そこそこ権威のある学究の門戸をたたいたことになる。

その際、担当教授らから、「本学で日本史を学ぶ際、これを読まないとお話にならないから、ゼミの開始までの間に必ず、必ず、読んでおくように」と口酸っぱく説諭されて購読を必須とされた書がある。

それは歴史学者・網野善彦氏らによる全26巻からなる日本通史の決定版『日本の歴史』(講談社)である。全26巻を読破するのは流石にしんどい、という諸君でも、最低でも第00巻『日本とは何か』(講談社)だけでも絶対に読んでおかないと授業についてこられないから読め、という「命令」が来た。

歴史学科を志す大学生というのは、それ以前の高校生時代から、標準的な生徒よりも日本史に対して格別の興味関心があることは自明である。当然私も、自国の歴史に小学校時代から標準以上の関心があったからこの学科に入ったわけである。だが、童貞とほとんど変わりない無垢な18歳の私にとって、半強制的に読了した網野の『日本とは何か』は、新鮮な衝撃と感動をもたらした「はじめての」日本史の通史本であり、日本史学を学ぶ上では基礎の基礎、といえる土台であった。

■「網野史観は戦後左翼だ」という批判は論外

そして結果として網野の歴史観(網野史観)が、日本という国家の歴史を体系的に俯瞰する、その土台を私の中に完全に形成ならしめたことを昨日のように思い出すものでもある。

稀に、網野は東京大学の教授だから「(網野史観は)戦後左翼だ」などというバカげた批判をする自称「保守派・右派論客」がいるが、それは単純に彼らの史学的教養が低いか、単に体系的な高等教育を受けていない程度の低さが所以だから、ここでは論ずるにも値しない「論外」として取り上げない。

しかし、この日本史学の門戸をたたいたはずの私は、実に怠惰な学生であった。ゼミには一応参加するものの(しかしそれすらも、かなりさぼっていた感がある)、卒業に必須な英語授業をさぼりまくり、結局学部を7年も留年してようやく卒業証書を頂戴した。7年もあれば当然大学院にも進学できた可能性があるが、学問的怠惰の姿勢を貫いていた私は院に進むこともせず、自堕落で砂をかむような20代前半を送ったのである。

■「歴史学科の落第生」すら呆れた『日本国紀』

そんな「歴史学科の落第生」であった、この私ですら、百田尚樹著『日本国紀』(幻冬舎)は、本棚に所蔵しておくことが恥ずかしくなるぐらいの駄本である。いま、私の目の前には『日本国紀』の第五版があるが、この原稿を書くためにいやいやながら購入した書籍であり、この執筆が終われば、毎週木曜日の燃えるゴミの日の廃棄物として千葉県松戸市指定のビニール袋に投擲するであろう。

しかし、この自称「日本史の通史本」――500頁超を費やしているのに巻末にただの一冊の参考文献も記載していない――はベストセラーになっている。

恥を忍んで私は「歴史学科の落第生」と告白したが、その落第生が読んでも、『日本国紀』は高校3年生からようやく「歴史学科以外の」大学学部生(1年生)の基礎教養水準に達するか達さないかの水準であり、ましてこの本から「日本の通史」を読み解くことは不可能である。

卑しくも、7年かかってでも、歴史学科を卒業した身としては、『日本国紀』を本棚に飾ることについてはわが人生の沽券にかかわるので、上記通りの最終処分(焼却)とする。その一方で、体系的な日本史を学んでいない、または学ぶ機会や意思がないネット右翼の大部分が、この百田による『日本国紀』に群がる原因を、私は手に取るように理解することができるのである。

■右派論客が描く「通史本(自称)」が存在しなかった

『日本国紀』の商業的大ヒットの理由は、これまであまたのネット右翼を対象にして構築されてきた「トンデモ歴史本」「俗流歴史本」が、虫食い状に各時代について焦点を当ててきたのに終始し、ついぞ「日本史の通史(自称)」というものを俯瞰して描く右派論客がこれまで居なかった、という点に尽きる。

つまりネット右翼に対して、特定の時代・時期に偏重しない、右派論客が描く「通史本(自称)」は、商業的にはブルーオーシャン(競合他者がいない世界)であった、というわけだ。

以下の図は、日本史の中でネット右翼が好発して関心を寄せる時代をクローズアップしたものである。

ネット右翼が興味を持つ日本史の時代・時期(画像=古谷経衡)

■「天皇親政の時代」の素晴らしさを示す定番エピソード

図に示した通り、ネット右翼が興味関心を持つ日本史の時代区分は、簡潔に言えば、7世紀以前の「神話・神代の時代」と、1940年代の「大東亜戦争期」、そして「戦後混乱期」の3つしかない。

1)神話・神代の時代「古事記・日本書紀信仰」

仁徳天皇(在313年~399年)が、「民草のかまど(調理場)から煙が上がっているかいないかを俯瞰したことで、民草の経済活動を忖度し、煙が上がっていないので人民の困窮を嘆く。後年、煙が上がっているのを見て人民の息災を喜んだ」という日本書紀の記述(いわゆる「民のかまど」)である。

ネット右翼が「神代の天皇の慈悲深さ」を示す逸話として、天皇親政の時代がいかに素晴らしかったかを吹聴するのに必ずと言っていいほど用いるエピソードであるが、実際にこのような事実があったか否かは歴史学の検証に耐えられていない。

また、肝心の仁徳天皇が埋葬されているとされる仁徳天皇陵(大阪府堺市)も、宮内庁が墳墓の内部調査を拒否しているので、必ずしも仁徳天皇が埋葬者とは比定されていないとして、仁徳天皇陵ではなく「大山古墳」(だいせんこふん)とか「大山陵」(だいせんりょう)と呼称するのが一般的であるが、ネット右翼はこの不都合な事実については一切黙殺して、天皇親政の時代のすばらしさを、神話の記述をそのまま史実と思い込むことによって誤解し、史実を捻じ曲げている。

■事実かわからない神話を史実かのように記述する

そもそも、この時代の日本の王権の形成過程については、考古学的研究が進むにつれ、既存の様々な説が淘汰され、絞り込まれているわけである。『日本国紀』は、こういった本州・朝鮮半島・環日本海にまたがる複雑な王権の形成過程を殆ど記述していないばかりか、案の定、この「民のかまど」という歴史的事実かどうか定かではない神話を、さも史実であるかのように、ご丁寧にも3頁に亘って詳細に記述している。

そしてこともあろうに百田は、「『邪馬台国畿内説』をとらない」(P.19)とし、「大和朝廷は九州から畿内に移り住んだ一族が作ったのではないか」(同)として、「神武東征」を史実のごとく記述している。ああ頭痛がする。

古代史学会では様々な発掘事実から、いわゆる邪馬台国が何らかの形成過程を経てやがて畿内に強大な王権を築いていったことがほぼ固まりつつある(箸墓古墳=おそらく卑弥呼の墓と比定)。

百田がこの分野の知見をネット右翼が好む「民のかまど」という真偽不明な「君民一体の美談」として、あたかも史実であるかのように冗長に描くあたりは、この分野においてまったくの素人なのが明らかにわかる記述の象徴と言える。

■ネット右翼が大好きな「遊就館思想」

2)「大東亜戦争期」にたいする肯定的総括

1941年12月8日の真珠湾奇襲を持って始まる「大東亜戦争」は、日本のアジア侵略ではなく、アメリカ等(ABCD包囲網)の圧迫を受けて、日本がやむなく実行した自存自衛の戦争であるというのが、ネット右翼全般にみられる「常識」である。

しかし実際の「大東亜戦争」の大義である欧米植民地からのアジア解放というのは名目上の大義に過ぎず、現実にはアメリカとの持久戦のため、東南アジア一帯から算出される、石油、ゴム、ボーキサイト、希少金属、砂糖、米、穀物類などの収奪が目的であった。

バリクパパン、パレンバン等の良質の油田を保有する蘭印(オランダ領インドネシア)が大東亜会議(1943年)以降も、大日本帝国の直轄地として独立を許されなかったことが、「大東亜戦争」の真の目的がアジア解放という美辞麗句ではなかったことの証左である。

ネット右翼はこの、「大東亜戦争はアジア解放のための聖戦であった」という「遊就館思想」が大好きである。そして当時タイ王国等を除いて欧米列強の植民地であった東アジアから、白人を追放したとする。それなのに、日中戦争では同じアジア人国家である中華民国(国民党)を侵略し、その臨時首都・重慶を無差別に盲爆したことから、アジア各地の独立運動家らから「日本による、同じアジア人同胞に対する侵略行為」として非難の声明が出されていたという不都合な真実については、「日本の中国進出は、コミンテルンの陰謀であって日本は決して中国を侵略したわけではない」という陰謀史観に逃げる。

この陰謀史観がいかに出鱈目であるかは実証史学の権威である秦郁彦氏によってつまびらかにされていること(参照:『陰謀史観』新潮社)であるが、ネット右翼は秦の本を読まないので、いつまでたってもありもしない「コミンテルン謀略説」で、日中戦争における「同じアジア人国家への侵略」を侵略ではない、として頑なに否定し続けるのである。

■「日本はアジアの人びとと戦争はしていない」とドヤ顔で断言

くだんの『日本国紀』もこのネット右翼の「大東亜戦争」前夜の史観を完全にトレースし、「暗躍するコミンテルン」(P.365~366)として記述している。「日中戦争の原因はコミンテルンにあった」とは、歴史学科のレポートに書けば即座にD(落第)を喰らうレベルのものだ。

それほど、コミンテルン幻想・コミンテルントンデモ論はネット右翼や保守・右派界隈に地下茎のごとく広がっており、それは『日本国紀』も例外ではないのだ。ちなみにコミンテルン(第三インターナショナル)は第二次大戦の最中、1943年に解散した。いったい彼らはなにと戦っているのだろうか?

続けて百田は「大東亜戦争」において「日本はアジアの人々と戦争はしていない」(P.391)、とドヤ顔で断言している。だが、すでに1940年代の独立をアメリカから約束されていたフィリピンコモンウェルス(フィリピン独立準備政府)は当時、フィリピン国軍を有し、アメリカ軍と共同して侵攻する日本軍と戦い、コレヒドール要塞陥落まで日本軍に対し徹底的に抵抗したのだから、「日本がアジアの人々と戦っていない」という記述自体がまったくの誤りである。さらに、1944年のインパール作戦失敗以降、ビルマの対英戦線において日本軍劣勢を感じ取ったアウンサン将軍は、抗日戦線を組織して日本軍と戦う道を採った。

このような基礎的な歴史事実は、前述した「神話・神代の時代の天皇親政の慈悲深さ」と同じくして、ネット右翼が一切黙殺する歴史事実であり、そしてやはり『日本国紀』でも一切黙殺されている歴史的事実である。この程度の水準にとどまる近代史の歴史認識は、歴史学科以外の大学1年生程度の範疇を超えないものであり、場合によっては高校生程度である。この史実に基づかない殴り書きが「日本史の通史」とは、笑わせる。

■「日本人に罪悪感を与える計画」があると主張

3)いわく「WGIP」に対する批判的総括

ネット右翼が金科玉条のように言いふらすのが、戦後、連合軍(米軍)が日本を占領した際に、「大東亜戦争は日本の罪であり日本が悪いことをした」という事実を人民の末端まで刷り込ませることを目的とされて実行したという「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」の存在である。これにより、戦後の日本人は戦前の翼賛的で軍国主義に染まった日本が悪いと洗脳され、それがこんにちに至るまで、日本がアジア各国(中・韓・朝)に謝罪し続ける根源となっていると説く。

実際に『日本国紀』にも、「(WGIPは)戦争についての罪悪感を、日本人の心に植え付けるための宣伝計画」(P.421)と明記してある。

しかしWGIPなる「計画」が実在した資料的事実は存在していない。しかし確かに戦後、日本を占領したGHQは、「忠臣蔵」「チャンバラ劇」などの民間の娯楽を禁止した。なぜなら「仇討」や「闘争」という概念が、日本の大都市を焼け野原にし、2発の原子爆弾で無辜の一般日本人民を殺戮したアメリカ軍に対する報復や憎悪心を惹起させるのではないか、というGHQの懸念があったためである。

■ネット右翼の陰謀論をトレースする『日本国紀』

仮にこの「WGIP」という、日本人に罪悪感を与える計画というのが存在していたとしても、それはまったく成功していない。なぜなら1952年、サ条約(サンフランシスコ講和会議)において日本の独立が回復されると、即座に日本の大衆芸能業界は「忠臣蔵」や「チャンバラ劇」、そして「広島・長崎原爆の実相の公開」に踏み切ったからである。

日本人が約7年間におけるGHQの占領期間で「WGIP」により罪悪感を植え付けられていたなら、到底こういった動きは出てこない。ネット右翼も『日本国紀』の記述の中にも、「WGIP」というネット右翼が用いる古典的概念を前提として記述がなされているために、日本が主権を回復した以降の民間文化の動きに関してはまったくの盲目である。

にもかかわらず、ネット右翼は「WGIP」という陰謀論を平気で流布し、『日本国紀』の記述はそれをことごとくトレースしている。そしてお決まりの、戦後混乱期における朝鮮半島出身者の乱暴狼藉(実際には、この中には多数の日本人が関与していた。が、その事実は無視されている)に言及しているのは、『日本国紀』でも全く同じである。

■出版業界の成功事例となった

事程左様に、「神代」「大東亜戦争期」「戦後混乱期」の三つの時代・時期にしか興味を示さないネット右翼に対して、これまで出版業界は、この三つの時代・時期に即応した書籍を、いたずらに集中・乱打することによって、ネット右翼の欲求を穴埋めしてきた。事実これは「そこそこ」商業的に成功してきた。

しかし「日本史の通史(自称)」という長いスパンでの俯瞰本は、『日本国紀』がほぼはじめてである。古代から近世をふくむ長い期間で、百田にとって都合の良い記述を野放図に書きなぐった『日本国紀』は、これまで上記三つの時代・時期に的を絞って書籍を刊行してきた出版業界にとってはまさに台風の目であり、灯台下暗しともいえる成功事例であった。

『日本国紀』の感想・レビューを見ても、「日本ってやっぱりすごいんだと思いました!」もしくは「日本人に生まれてよかったと思います!」という2系統ばかりである。ネット右翼は、「日本通史(自称)」に対して論評するだけの体系的な日本史知識を持たないから、このような反応しかできないのである。彼らの日本史知識が、穴だらけの虫食い状で、どれだけ修復不可能なものであるかを物語っている。

どんなに百田の個人的趣向に偏った歴史観であっても、虫食い状の知識しか持たず、これまで「通史」に触れることのなかったネット右翼に喝采を持って迎えられるのは、考えてみればおかしなことではない。

おそらく、『日本国紀』の商業的成功を奇貨として、また別の右派系論客が、ウィキペディアで探索した程度、つまり高校3年生~(歴史学科以外の)大学1年生程度の教養水準を対象とした「日本通史」を書くものと推測されるが、それらは児戯に等しいものとなるであろうことを今から予言しておく。

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古谷 経衡(ふるや・つねひら)
文筆家
1982年生まれ。保守派論客として各紙誌に寄稿する他、テレビ・ラジオなどでもコメンテーターを務める。2012年に竹島上陸。自身初の小説『愛国奴』(駒草出版)が話題。他の著書に『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む「極論」の正体』(新潮社)、『「道徳自警団」がニッポンを滅ぼす』(イースト・プレス)他多数。近著に『日本型リア充の研究』(自由国民社)。

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(文筆家 古谷 経衡 写真=アフロ)

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