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25歳で老舗旅館社長"客単価1.7倍"の秘策

プレジデントオンライン / 2019年7月25日 6時15分

佐賀・嬉野。温泉とお茶の町として古くから知られ、福岡市内から1時間強、長崎県大村市とも隣接するアクセスの良さもあり、由布院(大分)、黒川(熊本)と並んで、九州北部の温泉街として発展してきた。

大村屋は天保元(1830)年創業、嬉野で最も歴史のある老舗の温泉旅館だ。当主の北川健太氏(34歳)は25歳で事業を承継した。

当時の嬉野温泉はリーマン・ショックによる社員旅行などの団体客の減少の影響を受け、80軒以上あった旅館は33軒にまで減少。次の一手が求められるなか、北川さんは、「湯上がりを音楽と本で楽しむ宿」というコンセプトを打ち出し、宿泊システムの見直し、客室改修などの改革を実施した。

また、周りの旅館と共同で「スリッパ温泉卓球大会」「全国スナックサミット」「もみフェス」などのイベントを次々と実現させて、いまでは九州でも注目の温泉街へと変貌を遂げている。

北川氏の社長就任10年で、売上高は1.7倍、経常利益率はマイナスからプラス15%までV字回復。

それまでの事業の延長線上にはない、まったく新しいサービスや商品を生み出すための解決手法である「デザイン思考」。大村屋の事例がその成功例だと話す佐宗邦威氏が3つのポイントを解説する。

■経営者の個性を出し、リブランディング

大村屋を訪れると、外観の印象は老舗旅館のイメージそのもの。驚きはありません。しかし、一歩中に足を踏み入れるとそれは覆されます。音楽好きには堪らないレコードを最高のオーディオで聴くことのできるラウンジ、「ラグジュアリーや非日常というよりも、落ち着いた居心地のよさを目指して、女性の建築家に改修をお願いした」(北川さん)という洗練されたデザインの客室。そして、美肌の湯として知られる温泉を楽しめる大浴場から上がったスペースには、「ビートルズのフリークで、60~70年代のUKロックが好き」という北川さんが揃えたレコードを楽しみながら、町の人が持ち寄った本を楽しめる「湯上り文庫」が用意され、ゆったりとしたソファでくつろぐことができる。隣には、嬉野茶を楽しめるバーカウンターも備えられています。

流れる音楽も、客室やラウンジの内装も、お茶を楽しむ肥前吉田焼の茶器も、すべてにセンスを感じさせます。それもどこか、ホッとする。そんな空間になっています。

「大村屋という家に帰ってきた、と感じてもらえる空間にしたかったんです。旅館というのは、まさしく『場』を持っている。しかも、ホテルと違って、旅館は当主の顔が見えないといけない。だから、自分らしさ、大村屋らしさを武器にするしかないんです。僕たちは常連さんと呼びますけれど、年に1度は決まって大村屋で過ごすと決めている方に、『おかえりなさい』といえる宿にしたい。共感していただける方は増えています」

音楽に、本に、家のようにくつろげる空間……学生時代はバンドに没頭、「音楽雑誌の編集者」を目指していたという北川さんの価値観を前面に押し出し、旅館というキャンバスを使って体現する。それにより、万人にはうけなくても、価値観に共感してくれるお客さんが集まってくるようになっているのです。

北川健太社長●1984年、佐賀県生まれ。日本大学社会学部卒。大学時代には渋谷や下北沢のレコード屋に通い、バンド活動をしていた。カトープレジャーグループに就職し、熱海と箱根で高級旅館の立ち上げに関わり、2008年に祖母の跡を継ぎ25歳で社長に就任した。

一見すると自我を前に出したわがままな経営にも見えますが、結果も着実に出ています。北川さんが家業に戻った10年で、客単価は1万円から1万7000円に、稼働率も42%から79%に向上。この業績の改善には、それまで旅館業界が縛られていた常識を打破して実行した経営的改革も大きく寄与しています。

「戻ってきていろいろやりましたが、やはり最初の4年間は経営、資金繰りは大変でした。利益率を上げようと取り組んだのが『素泊まり』や『一人客』など、これまでの旅館が避けていた要素を取り入れるようにしたことです」

女性の一人客は自殺志願者だから宿泊を拒否する。夕食は懐石風で、固形燃料を使った鍋を提供する――そんな旅館のイメージは、「景気のいい時代に、旅行代理店がつくり上げたイメージにすぎなかった」(北川さん)。代理店から予約の入るパッケージ商品は、東京・大阪からのツアー旅行が前提にある。距離の離れた九州はツアー料金を揃えるため、旅館の単価が抑えられるのが当たり前になっていました。交通費は下げられないから、その分のしわ寄せを受けていたのです。

■ユーザー目線で「業界の常識」を覆す

パック旅行が前提なので、旅館の会計も食事やルームチャージ、清掃費はすべて合算で精算されていました。そのため、どこで利益が出ているかわからない状況だったといいます。そこで北川さんは部門別会計を導入し、宿泊プランにも夕食なしプランをつくるなどユーザーのニーズに応じて柔軟性を持たせたのです。

さらに、それまで高額の広告費を払い掲載していた旅行雑誌への掲載も減らします。自社サイトからの予約を増やし現在は3~4割に達するといいます。今後はより一層自社サイトからの流入を増やしたいといいます。

そして、経営改善で生まれた利益を、客室の改装にあてました。着々と改装を進め、古くなっていた旧館も26部屋中9部屋を改装。コンセプトを統一し、新しくなった部屋の魅力がSNSで広がり、また顧客を増やしていく好循環が生まれています。

■周囲と共に価値を生む「参加型デザイン」

これまで、北川さん自身の価値観を大切にしたリブランディングと、業務改善の話をしてきましたが、大事なのは北川さんが持つ「共創」の視点です。

地域や人とのつながり、社会への貢献を大切にする。近年の経営、マーケティングの分野では当たり前になりつつありますが、北川さんは、時代に先んじてそのコンセプトを打ち出してきました。

(上)家スタイルの客室。自身の持ち込んだ曲が聴けるようにBluetoothとつなげる音響機器も置かれている。(下)1階のロビー。ビートルズをはじめとしたレコードが並ぶ。

「とにかく嬉野を盛り上げたいんです。亡くなった叔母が、大村屋についてよく『決して一番になろうと思わないこと。一番は嬉野という町』と言っていて、それが心に残っています。なにより嬉野という土地があって、それで僕たちは商売させてもらっていることを忘れてはいけないと思うんです」

実際、北川さんは自分の旅館だけでなく、周りの仲間とともに嬉野温泉の価値を見出そうと行動を起こします。周囲にある旅館のオーナーとブログの書き方やサイトの効率的な扱い方などの勉強会を開き、10人ほどの若手旅館経営者の定期的な集まりが行われるようになります。

その若手の集まりから、「スリッパ温泉卓球大会」や「全国スナックサミット」、ワンコインマッサージを提供する「もみフェス」など次々にアイデアが生まれ、小規模のものから全国規模のものまで次々と開催していきます。

■自然と調和した「杜の茶室」

大村屋がある市街地から、車で15分ほど山稜へ入っていくと、一面の茶畑が広がっています。茶畑のかたわらに車を止め、さらに奥、森の中の道を、猪用の罠を横目に枯れ枝を踏みしめながら歩くと、眼前の森の一角が開けて茶畑が現れ、中央に、ポツンと野ざらしの茶室が立っています。自然と調和した「杜の茶室」です。これも北川さんが中心となり取り組む「嬉野茶時」というプロジェクトの一環です。嬉野の伝統文化であり、三大産業と呼ばれる嬉野茶、肥前吉田焼、温泉をつなげようと同世代の有志とともに立ち上げたのです。杜の茶室も、そのプロジェクトから生まれたものです。

大浴場前の上質な休憩スペース。

「これまで、町中のお茶屋さんは茶商さんがやって、茶農家と僕たち旅館とはつながりがありませんでした。嬉野茶も肥前吉田焼も、温泉宿も昭和から平成のはじめまではそれぞれが単体で成り立っていて一緒に何かやる必要はなかった。けれど、この20年の不景気で、新しいことをやらなければという危機感が生まれたんです。特に僕たち若い世代が、何かやらないと」

そこで北川さんが打ち出したのが、お茶を観光資源として活かす「ティーツーリズム」という考え方でした。杜の茶室や野外茶室、お茶摘み体験、さらに町中で歩きながらお茶を飲める「歩茶」など、いまでは業種を飛び越え地域一体となって取り組んでいます。

「僕たちがフランスに行って、ブルゴーニュのぶどう畑を見ながらワインを飲むような感覚です」

(上)2017年に開設された湯上り文庫。「まちの人」50人が1人3~5冊選んだ小説や漫画、写真集、絵本など多彩な200冊が並ぶ。(下)茶畑の中につくられた能舞台のような「杜の茶室」。

もともと地域が持っていた価値を業種を越えて「編集」することで、新たな価値を生んでいるのです。

■SNSに写真や感想をアップ

実際に嬉野茶時の取り組みは、メディアでも広く取り上げられ、海外からの旅行客も増えています。もともとお茶文化のあるアジア圏、さらに日本茶ブームのヨーロッパからの観光客が、SNSに写真や感想をアップすることで、訪れる人が増える好循環が生まれているのです。2018年もSNSで「杜の茶室」を見つけたイタリア人カップルの「どうしてもここで結婚式を挙げたい」という声に応えて、特別に挙式が行われたのだそう。

自身のビジョンを前面に出し、地域で一緒に生きる人と協働して多くのことを実現してきた北川さん。最後に、今後の大村屋の未来像を尋ねたところ、意外なようで、それでいてこれからの中小企業が生き残るうえで、非常に示唆に富んだ答えが返ってきました。

「じつはいま、誰でもいいからお客様に来てもらいたいというモードではなくなっているんです。本当に共感していただける方だけに、いらしていただければいいと思っています。僕たちの規模の旅館が提供できる、最高の幸せには、適切な大きさがあると思うんです。大村屋や嬉野は、僕たちらしいものを表現する場所なんです。そこに来てくださる『おかえりなさい、1年ぶりですね』と声をかけられるお客様と、一緒に幸せになりたいというのが、いまの大村屋のビジョンです」

▼デザイン思考のポイント:地域や人とのつながりから新しい価値をつくり出す

会社概要【旅館 大村屋】
●所在地:佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿乙
●売上高:2億6000万円(前年比105%)
●従業員数:25名
●沿革:1830(天保元)年創業。大村藩の脇本陣としてはじまり、伊能忠敬、大田南畝、斎藤茂吉、中林梧竹なども滞在したことで知られる。

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佐宗邦威
BIOTOPE代表 京都造形芸術大学客員教授
1980年、東京都生まれ。東京大学法学部卒業後にP&Gジャパンに入社。ブランドマーケティングに携わった後、ソニーを経てBIOTOPEを創業。米国イリノイ工科大学にてInstitute of designを修了。18年より大学院大学至善館准教授。

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(BIOTOPE代表 京都造形芸術大学客員教授 佐宗 邦威 構成=伊藤達也 撮影=藤原武史、プレジデント編集部)

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