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日米安保はアメリカにとって不公平なのか

プレジデントオンライン / 2019年7月10日 9時15分

20カ国・地域首脳会議(G20サミット)閉幕後に記者会見するアメリカのドナルド・トランプ大統領=6月29日、大阪市内(写真=時事通信フォト)

■トランプ大統領が放った「不公平発言」

G20サミット首脳会議出席のために来日したドナルド・トランプ米大統領は、会議終了後の記者会見において、日本が米国の防衛義務を負わない現行の安保条約は「不公平(アンフェア)」だと発言した。

大統領は、自分は安倍晋三首相にこれを変える必要があると伝えているとも述べた。また大統領は、安倍首相は米国が攻撃されたときに、日本が米国を助ける必要があることはわかっているし、そうすることが問題だとは考えないだろうと付け加えている。

衝撃的な発言である。だがトランプ大統領の真意はよくわからない。すぐに何かを要求するのではなさそうで、いわんや安保条約を廃棄したいというわけでもないようである。大統領自身、会見でそれをはっきり否定しているし、米国の基本的な国益と現在の国際情勢から見ても、それは考えにくい。

■「公平(フェア)」な条約のため試案を準備すべき

そのため、進行中の日米貿易交渉を有利に進めるための牽制であるとか、同盟負担の分担問題でNATO諸国ばかりを標的にするのは「不公平」だからバランスをとったのではとか、いろいろ臆測がなされている。

だがそういった臆測はともかく、仮にも米国の大統領が、日米両国の安全保障協力の基本を定める日米安全保障条約は「不公平」だ、と発言した事実は重く受け止めねばならないだろう。偽善がなく、本音をストレートにいってしまうことが多いトランプ大統領だけに、今後も同様の発言が繰り返される可能性は低くない。真剣に対応する必要があると思う。

とくに、いまの安保条約をトランプ大統領から見て「公平(フェア)」な条約に、仮に改定(再改定)するとしたら、どういうものが考えられるか。試案を準備しておく必要があるのではなかろうか。

むろん、実際に安保条約を改定するとなれば、大変な政治的作業になる。あくまで慎重に考えるべき事案であることは言うまでもない。しかし実際に改定が必要になってから、慌てて考えはじめるというのでは、大変なものがさらに大変になるだけである。

■米国防衛のために日本が何もしないのは非現実的

トランプ大統領は、来日前に米テレビが行った電話インタビューのなかで、米国が攻撃されても日本人はソニーのテレビでそれを見ているだけでいい、というようなことを話している。安保条約の権利義務だけから見れば、あるいはそういうこともいえるかもしれない。

またたしかに、2001年の9・11同時多発テロ事件においてわれわれ日本人は、世界の多くの人々と同様、米国が攻撃される様子を(ソニー製かどうかは別にして)テレビで見た。

だがテレビで見た後、何もしなかったわけではない。すぐにテロ対策特別措置法を作り、アフガニスタン戦争でインド洋に展開する米軍への後方支援(米艦船への給油など)を行っている。その時からすでに18年の時が流れたが、この間の日米同盟の発展――たとえば4年前の「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」再改定など――を考えれば、次に米国が攻撃されるようなことがあった場合に、日本人がテレビを見ているだけで、米国防衛のために行動しないというのは、まったく非現実的な話である。

■米国が提案した旧安保条約の改定草案が参考に

もっとも、もしそうだとしたら、安保条約のなかで行動を約束してはどうか、というのがトランプ大統領のいいたいことなのかもしれない。それによって日米同盟が「公平」な同盟であることがより明確になれば、同盟の基盤も抑止力も一段と強化され、両国にとって素晴らしいことではないか。ちょっと甘いかもしれないが、「頭の体操」の意味で大統領がそう考えているとあえて仮定して、安保条約の改定案(再改定案)を考えるとすればどうなるだろうか。

その場合は、いまから約60年前の1958年10月4日、東京で旧安保条約の改定交渉がスタートした際に、米国が日本に提案した改定草案が参考になるだろう。このとき米国政府は、日本が憲法解釈上、海外派兵はできないという事情をよく理解したうえで、「太平洋」において日米両国が互いの領土を守り合う相互防衛の規定を盛り込んだ条約案を提案してきた。

そういう案だと、日本はハワイやグアムの防衛のために海外派兵をしなくてはならなくなる。そういぶかる日本側の交渉者に米国側は、いや日本は憲法上、日本にできることをやってくれればいい。たとえばハワイやグアムを攻撃する敵の飛行機が日本の領空を通る場合は、撃墜してくれればいい、と説明している。

いまならさしずめハワイやグアムのミサイル防衛に協力してくれればいい、というようなことだろうが、ともかく日本ができることをやってくれればいい、というのが米国側の説明だった。

■1951年の旧安保に「日本防衛義務」はなかった

いまから振り返ると、日本にとって悪くない話だったように思える。だが日本政府は、安保条約に「太平洋」という言葉が入るのをかたくなに拒んだ、「太平洋」が入ると日本政府が米国政府に、将来の憲法改正、また海外派兵を約束したように受け取られかねず、締結しても国会で批准されない、というのがその理由だった。

サンフランシスコ平和条約とともに1951年に締結された旧安保条約には、相互防衛の規定がなく、日本は米国に基地を貸すが、米国の日本防衛は米国の義務ではなかった。日本国内では、それは不公平だとの批判が高まり、1960年に条約が改定された際には、相互防衛の規定が設けられ、米国の日本防衛義務が明示された(現行の安保条約第5条)。

それはよかったのだが、相互防衛の範囲は米国が提案した「太平洋」ではなく、日本政府が受け入れ可能と判断した「日本の施政の下にある領域」になり、米国の日本防衛義務に対する日本の米国防衛義務は、日本に駐留する米軍の防衛に限られることになった。そうなると安保条約は今度は、日本が米国領土の防衛義務を負わない分、米国にとって不公平な条約に見えるようになる。

■「安保条約は不公平だ」という批判に反論することは簡単

もちろん日本は、条約改定後も米国に基地を貸す義務を負い、実質的にはそれで、日米双方の義務のバランスがはかられたのはよく知られている通りである。しかし、こういう非対称なかたちの義務のバランスは双方に不満を生じさせやすい。

有事になれば、自国の若者に血のリスクを負わせてでも相手国を守ることを約束する側は、同じことをしてくれない相手を尊敬せず、その一方、有事も平時も基地を貸し続ける側は、相手が基地の価値、そしてそのコストと危険を十分理解していないのではないかと疑う、そういうことになりやすいからである。

私は、日米同盟の発展の歴史は、同盟の骨組みである安保条約におけるこの非対称な相互防衛協力を、さまざまな補助的取り決めによって補強し、日米双方に満足のいく相互性、また公平性の感覚を発展させることに努めてきた歴史だといえると思う。

そして実際にその努力は、かなりの成果を上げており、もしいまの日米同盟が、安保条約でいう「極東」の平和と安全のためだけの同盟であるならば、安保条約は不公平だという批判に反論することは割と簡単である。

■「できることは何でもやる」という明確な規定を

だがそこで忘れてならないのは、日本と米国が21世紀に入ってから、日米同盟を「世界の中の」日米同盟に発展させようしていることである。そして近年は「自由で開かれたインド太平洋」構想を掲げるなど、同盟協力の範囲を大きく広げようとしている。

そうなると、安保条約は不公平だという批判への反論が少し難しくなる。米国の領土がそこに存在しない「極東」における同盟協力ではなく、それが存在する「世界」あるいは「インド太平洋」での協力となれば、日本が米国の領土防衛を約束していない、安保条約の義務の非対称性が目立ってしまうからである。

結局のところ、トランプ大統領の「不公平」発言が示すのは、日米同盟を真の意味で「極東」における同盟から「世界」における同盟に発展させようと思えば、米国の領土防衛義務を形式的に負わない、いまの安保条約のかたちには限界があるということなのだろう。

だから改めた方がいいのかどうか、また改めるとしてどう改めるのかは、相手の意向もあり、さまざまな検討や議論が必要になる。ただ私はともかくまず、いざ米国有事となったら、日本は米国を守るために、憲法上また実力上、できることは何でもやる。そのことを明確に約束する規定を含んだ、安保条約再改定の試案を準備しておくのがよいのではないかと考える。

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坂元 一哉(さかもと・かずや)
大阪大学 教授
1956年福岡県生まれ。京都大学法学部卒業。同大学院を経て米オハイオ大学に留学。三重大学、大阪大学助教授を経て現職。吉田茂賞(『戦後日本外交史』)、サントリー学芸賞(『日米同盟の絆』)、第9回正論新風賞を受賞。法学博士。

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(大阪大学 教授 坂元 一哉 写真=時事通信フォト)

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