日本の歴代政財界リーダー10人に学ぶ器

プレジデントオンライン / 2019年7月28日 11時15分

ソニー創業者 盛田昭夫氏(時事通信フォト=写真)

戦後の焼け野原から、世界第2位の経済大国になった日本。その牽引役となった政財界のリーダーの功績や知られざるエピソードなどを紹介していく。

■世にない商品開発を支えた超楽観主義

田原総一朗さんが数多く取材をしてきた経済人のなかから、器の大きな人として真っ先にあげたのが、戦後の日本経済の成長を牽引した企業の1つであるソニーの創業者、盛田昭夫氏だ。

「盛田さんはとても気さくな人柄で、新幹線で偶然乗り合わせると、私の隣にいた人に頼み込んで席を替わってもらい、政治の現状などを熱心に質問されました。そうした会話のなかで、『私は超楽観主義者なのですよ』という話を何度も聞きました」

楽観主義といっても、単に鷹揚に構えているわけではなく、落ち込んだり、くよくよ悩んだりしないという器の大きさのこと。盛田氏は営業担当の責任者として、テープレコーダーをはじめ、まだ世の中になかった製品を売り込み、ソニーの経営基盤を築いた。

「技術開発だけでなく、その技術を商品として販売していくための『商品開発』を重視していました。ソニーにおける販売の開発者だったのです」

その商品開発の最たる成功例がトランジスタラジオだという。半導体素子のトランジスタを発明したのは米国人だが、彼らにはその用途がわからない。それをトランジスタラジオとして商品開発し、新市場を切り拓いたのだ。

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盛田昭夫(もりた・あきお)
【ソニー創業者】
1921~99年。46年井深大らとソニーの前身である東京通信工業を設立。55年日本初のトランジスタラジオを発売。71年社長に就任。86年経済団体連合会副会長に就任。91年勲一等瑞宝章を受章する。94年ソニーファウンダー・名誉会長に就任した。

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■利他の心で人を魅了し続ける

「京セラの稲盛和夫名誉会長も、逆境に遭遇してもマイナス思考に陥らず、常に前向きです。塾長を務める盛和塾を見てわかるように、その器の大きさに魅了される経営者が世界中で増えています」と田原さんはいう。実はそうした背景には、稲盛氏が多くの挫折を乗り越えてきたことがある。

京セラ名誉会長 稲盛和夫氏(時事通信フォト=写真)

稲盛氏は小学生の頃に大病を患い、中学と大学受験に失敗。就職も希望がかなわなかった。入社した碍子メーカーで、ニューセラミックスの開発に大きく貢献するものの、その後は担当を外されるという屈辱を味わう。そしてメーカーを辞め、1959年に仲間たちと京都セラミック(現・京セラ)を設立。しかし、新興企業のニューセラミックスを購入してくれる会社はなく、たちまち経営は危機に瀕する。

「日本では業界の大物と親しくならなければ商売はうまくいかず、それには接待費などがかかります。そういう日本の古い商習慣を嫌い、稲盛さんは米国で販売することにした。日本の大企業には米国信仰が強く、まず米国で実績を挙げようと考えたのです」

単身渡米して飛び込み営業をするものの、結果は惨憺たるものだった。それでも諦めず、3度目の渡米でテキサス・インスツルメンツに採用されることになった。

また、稲盛氏は2010年、会社更生法の適用を申請した日本航空の再建を託され、3年でV字回復させた。「稲盛さんが大切にしているのが『利他の心』で、商売で考えるのは自分(会社)が得することではなく、お客さんのメリット。そうすれば社会から信用され、経営が成り立つ。このことを日本航空でも徹底し、再建に成功したのです」と田原さんは話す。

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稲盛和夫(いなもり・かずお)
【京セラ名誉会長】
1932年~。55年に鹿児島大学工学部卒業後、碍子メーカーへ入社。59年京都セラミック(現・京セラ)を設立し、社長に就任。84年第二電電企画を設立。2010年日本航空会長に就任。ボランティアで経営塾「盛和塾」の塾長を務め、数多くの経営者を育成。

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■ラフな格好が器の大きさを象徴

本田技研工業の創業者、本田宗一郎氏と取材で初めて会ったときのことを、田原さんはよく覚えている。アロハシャツとジーパンというラフな姿で現れたからだ。気さくで格好をつけないところは、本田氏の器の大きさを象徴している。そうした本田氏の現場での姿について田原が回想してくれた。

本田技研工業創業者 本田宗一郎氏(時事通信フォト=写真)

「社員に『いまやっている仕事以外に何を考えているか』を常に聞いて回っていました。何か考えていることがあれば、30分でも1時間でも耳を傾けます。これはいまでいう『ビジネスプロデュース』の取り組みそのものです」

そうしたビジネスプロデュースによって世に送り出されたのが、58年に発売されて世界的な大ヒットとなった小型バイクの「スーパーカブ」である。

本田氏は持ち前の反骨精神でも有名だ。ホンダが四輪車への参入を目指していた61年、通商産業省(現・経済産業省)は過当競争を抑えるため、四輪車への新規参入を認めない政策を打ち出した。本田氏はそれに強く反発、通産官僚と徹底抗戦して勝った。

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本田宗一郎(ほんだ・そういちろう)
【本田技研工業創業者】
1906~91年。浜松高等工業専門学校卒業。48年本田技研工業を設立。49年オートバイ「ドリーム号」を発売。58年小型バイク「スーパーカブ」が大ヒット。国際レースなどで、日本のエンジンを世界的技術にまで高める。89年米国自動車殿堂入り。

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■国の統制を見事に打ち破った反骨精神

ヤマト運輸の小倉昌男氏も国と戦った。「小倉さんは官や権威に対し挑戦する反骨精神を持つ一方、人間としてかなり大きな器を併せ持った名経営者でした」と磯山友幸さんはいう。

ヤマト運輸元会長 小倉昌男氏(時事通信フォト=写真)

周知のように、「宅急便」は旧運輸省や旧郵政省との戦いを経て創出されたビジネスだ。磯山さんは、「小倉さんは正論をズバッと話す方でした。そして突破力があった。宅配便というサービスがなければ、現在のネット通販は存在しなかったでしょう」と話す。

小倉氏は晩年の93年、個人資産の大半を寄付して身体障害者を支援するヤマト福祉財団を設立。磯山さんは「日経ビジネスの記者時代に取材を申し込むと、『ヤマト福祉財団の理事長としてなら取材を受けるよ』といいます。福祉への理解を広めたい気持ちとともに、現役の経営者に配慮してヤマト運輸の経営について口出ししないという気遣いがあったのです」と懐かしむ。

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小倉昌男(おぐら・まさお)
【ヤマト運輸元会長】
1924~2005年。東京大学経済学部卒業。48年大和運輸(現・ヤマト運輸)に入社。71年3月に社長に就任。76年「宅急便」の事業をスタート。93年6月会長に就任し、95年6月に退任。この間、93年9月にヤマト福祉財団を設立し、理事長に就任。

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■明晰な頭脳と併せ持つ繊細さ

政界で器の大きい人物の筆頭として田原さんがあげたのが、田中角栄元内閣総理大臣だ。田原さんが田中氏に最初に注目したのは、68年に発表された論文「都市政策大綱」だという。

元内閣総理大臣 田中角栄氏(時事通信フォト=写真)

「日本を1つの大きな都市に見立てて、全国に高速道路や新幹線などを整備していく。そして、地方の過疎問題を解消する一方、公害も解決し、全国を発展させるものでした。構想力は歴代総理のなかでナンバーワンです」

しかし76年、ロッキード事件で失脚。田原さんは5年後の81年、表舞台から姿を消した田中元首相にメディアとして初めて取材した。

「目白の田中邸に行くと、約束の時間を1時間過ぎても現れない。秘書に確認したところ、ぼくの過去の仕事の作品を一貫目(3.75キログラム)も用意させ、朝から読んでいるという。相手のことを徹底的に調べる緻密さ、繊細さに驚きました」と田原さんは振り返る。

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田中角栄(たなか・かくえい)
【元内閣総理大臣】
1918~93年。二田尋常高等小学校卒業。16歳で上京する。そして45年の敗戦後に政界を志す。47年第23回総選挙で衆議院議員に初当選を果たす。自由民主党幹事長、郵政大臣、大蔵大臣などを歴任した後、72年に自民党総裁、内閣総理大臣となる。

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■失敗から謙虚に学ぶ政治家としての度量

「いまの政治家のなかで器が大きいのは安倍晋三内閣総理大臣(首相)じゃないでしょうか」と長谷川幸洋さん。

内閣総理大臣 安倍晋三氏(時事通信フォト=写真)

06年の第1次安倍政権が発足した際に協力要請を受け、政府税制調査会の委員となり、安倍首相を間近で見てきた。同政権は07年に倒れたが、12年に発足した第2次安倍政権では、失敗に学んだ教訓を活かしている点に、政治家・安倍首相の大きさを見る。

では、安倍首相はここから何を学んだのか。長谷川さんが続けて話す。

「『できないことは絶対にいわない。現実的にできることだけを、各方面と折り合いをつけながら、一歩でも二歩でも前に進めていく』ことです。そして、第2次安倍政権は着実に成果を挙げ、国民が評価するようになりました」

長谷川さんは第1次安倍政権が倒れた後の08年、自著『官僚との死闘七〇〇日』を出版した。「出来上がった本を安倍首相に見せたところ、パラパラとページをめくっただけで、一言『長谷川さん、誰かに聞かれたら、この本の内容は全部本当だといえばいいんですね』。本当に器が大きいなと思いました」と長谷川さんは話す。

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安倍晋三(あべ・しんぞう)
【内閣総理大臣】
1954年~。成蹊大学法学部卒業後、神戸製鋼所に入社。82年外務大臣秘書官となり、93年の衆議院選挙で初当選。内閣官房副長官、自由民主党幹事長、内閣官房長官などを経て、2006年第90代内閣総理大臣に。翌07年に辞任。12年第96代内閣総理大臣に就任。

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■聞き上手で相手を引き込む達人

松下電器産業創業者 松下幸之助氏(時事通信フォト=写真)

PHP研究所や松下政経塾を創設した、松下電器産業(現・パナソニック)創業者の松下幸之助氏は、国のあり方を考え続けた代表的な経営者だと田原さんはいう。最初に取材したのは80年のこと。後継社長に山下俊彦取締役を25人抜きで大抜擢した人事が話題になり、人を見るポイントについて尋ねてみたそうだ。

「松下さんの答えは、頭のよさでも、健康でも、誠実さでもない。では、一体どこを見るのか。『難しい問題に直面したときに、悲観的に捉えず、おもしろがって前向きに取り組める人間を評価するのだ』といいました」

80歳で会長を退いた松下氏は、79年に松下政経塾を設立するが、その前に田原さんは請われて2回ほど政界の話を直接しに行った。「ぼくは当時40代で、松下さんは80歳を超える大経営者。時に驚き、相づちを打ちながら実に熱心に聞いてくれました」と田原さんは振り返る。

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松下幸之助(まつした・こうのすけ)
【松下電器産業創業者】
1894~89年。9歳で単身大阪に出て、火鉢店や自転車店に奉公。大阪電灯(現・関西電力)勤務を経て、18年に松下電器器具製作所(後の松下電器産業、現・パナソニック)を創業。46年PHP研究所を創設。79年指導者の育成を目的に、松下政経塾を設立。

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■松下氏の思いを継ぐ改革派経営者

ウシオ電機会長 牛尾治朗氏(時事通信フォト=写真)

「ウシオ電機の牛尾治朗会長は、松下幸之助さんの最後のかばん持ちのような役割を果たした人です」と磯山さんは話す。牛尾氏は78年末から翌年の正月明けまで、東京都知事候補として時の人になったことがきっかけで松下氏から連絡を受け、次世代の政治家育成について話し合うようになり、松下政経塾の設立に協力した。

さらに、83年に発足した21世紀の新しい世界秩序を提言する機構「世界を考える京都座会」では、高坂正堯京大教授(当時)をはじめ錚々たるメンバーとともに基本委員に名を連ねた。座会では安全保障や外交政策、国家経営まで幅広いテーマが論じられた。

「いま経営者はどんどん小粒になって、自分や自社のことで精いっぱいになるなかで、牛尾さんは国のかたちや国家のありようなどを考えてきた人なのです」と磯山さんは評価する。

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牛尾治朗(うしお・じろう)
【ウシオ電機会長】
1931年~。東京大学法学部卒業。東京銀行勤務、カリフォルニア大学大学院留学などを経て、64年にウシオ電機社長に就任。69年日本青年会議所会頭に。第2次臨時行政調査会の専門委員、内閣府の経済財政諮問会議議員を歴任。日本生産性本部の名誉会長も務める。

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■霞が関の官僚も瞠目する直観力

フューチャー会長兼社長 グループCEO 金丸恭文氏(時事通信フォト=写真)

長谷川さんと磯山さんが次の財界のリーダーとみているのが、ITコンサルティングサービスなどを提供するフューチャーの金丸恭文会長兼社長グループCEOだ。「16年に発足した規制改革推進会議で議長代理を務め、牛尾さんも後輩経営者のなかで一番信頼しています」と磯山さんはいう。

長谷川さんも「物事を現実的に進められるという点で、傑出した経営者だと思います。06年の第1次安倍政権時代から一緒に仕事をしていますが、現実的な落としどころを見る直観力が鋭い。そうしたところに同調する官僚が増えているのでしょう」という。

 

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金丸恭文(かねまる・やすふみ)
【フューチャー会長兼社長 グループCEO】
1954年~。74年に神戸大学工学部を卒業した後、TKCに入社。89年にフューチャーシステムコンサルティング(現・フューチャー)を設立。政府の規制改革推進会議議長代理、同会議の農業・水産ワーキンググループの統括などの公職も数多く務めている。

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■フェアを重んじるキャピタリスト

デフタ・パートナーズグループ会長 原 丈人氏

世界規模での変革に挑んでいるのが、ベンチャーキャピタルのデフタ・パートナーズグループの原丈人会長で、長谷川さんは「VCの世界では知らない人はいないです」という。

原氏は米国留学中の81年に光ファイバー事業を起業して成功。「原さんとは第1次安倍政権で政府税制調査会の委員として知り合いました。温厚な人柄で偉ぶったところがなく、スケールの大きさに驚きました」と長谷川さん。

原氏は短期的な株主利益を最優先する欧米流ビジネスに異を唱え、「公益資本主義」を提唱している。そうしたフェアな視点を持ちうる点も、原氏の器の大きさを象徴している。

 

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原 丈人(はら・じょうじ)
【デフタ・パートナーズグループ会長】
1952年~。慶應義塾大学法学部卒業後、考古学研究を志して、中米に渡る。スタンフォード大学工学部大学院在学中に光ファイバー事業で成功。84年デフタ・パートナーズを創業し、ベンチャー企業への出資と経営に携わる。著書に『21世紀の国富論』などがある。

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田原総一朗
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業。岩波映画製作所、東京12チャンネル(現・テレビ東京)を経て、フリージャーナリストとして独立。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系列)で、報道番組のスタイルを変える。
 

磯山友幸
1962年、東京都生まれ。87年早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞社で証券部記者、同部次長、「日経ビジネス」副編集長・編集長などを務め、2011年3月末で退社。政・財・官を幅広く取材し、各メディアに執筆。
 

長谷川幸洋
1953年、千葉県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。77年中日新聞社に入社し、東京本社(東京新聞)経済部、ブリュッセル支局長、論説副主幹などを経て2018年3月末に退職し、ジャーナリストとして活動中。
 

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(ジャーナリスト 田之上 信 撮影=宇佐美雅浩、石橋素幸、相澤 正 写真=時事通信フォト)

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