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虐待する母親は"しっかりしていない"のか

プレジデントオンライン / 2019年7月29日 17時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/kieferpix)

痛ましい児童虐待のニュースが絶えない。そして事件のたびに母親が糾弾される。法政大学の上西充子教授は、「『母親なんだから、しっかりしなさい』と叱ったところで、問題は解決しない。母親であっても子育てから降りられる仕組みを整えるべきだ」と指摘する――。

※本稿は、上西充子『呪いの言葉の解きかた』(晶文社)の第3章「ジェンダーをめぐる呪いの言葉」の一部を再編集したものです。

■母親ばかりが「何をしていたのだ」と責められる

虐待によって子どもが死亡する、ネグレクト(育児放棄)によって子どもが死亡する、そういう事件が起きるたびに、なぜ子どもを守れなかったのか、と母親に目が向けられる。

なぜ父親は暴力をふるったのか、なぜ父親は子どもを育児放棄したのか、とはあまり問われない。父親が暴力をふるおうとも、子どもを邪険に扱おうとも、あるいは、離別した父親が養育費を払わない状況であっても、母親には子どもを守る役割があるとして、「母親は何をしていたのだ」と目が向けられるのだ。

そんななかで、なぜ親は虐待(ネグレクトを含む)をおこなうのかと、親の側に丁寧に目を向けているルポライターがいる。杉山春だ。『ネグレクト 育児放棄―真奈ちゃんはなぜ死んだか』(小学館、2004年)、『ルポ 虐待―大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書、2013年)、『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』(朝日新書、2017年)など、「なぜ、親がそんなむごいことを」と思われる事件の背景を丁寧に取材し、著作として世に問うてきた。

■親たちに共通する過剰な「生真面目さ」

杉山が注目するのは、わが子を虐待死させる親たちに共通してみられた過剰な「生真面目さ」だ。食事も与えずに放置して子どもを死なせる、そんな親に「生真面目さ」などあるものかと思うかもしれないが、生真面目に「母親」役割や「父親」役割を務めようとし、しかしそこに無理が生じる、その先に虐待が起きているという一面があると杉山は見る。

たとえば、2010夏、3歳の女児と1歳8カ月の男児が、マンションの部屋に閉じ込められて亡くなった事件(大阪二児置き去り死事件)。子どもたちはクーラーのついていない部屋に押し込められ、部屋と玄関のあいだの戸口には出られないように粘着テープが外側から貼られた跡があった。子どもたちの遺体が発見されたのは、風俗店で働いていた23歳の母親が最後に部屋を出てから約50日後だった。そのあいだに母親は、SNSに遊びまわるようすを投稿していた。

事件後、母親が厳しく糾弾されたが、杉山はその母親の別の側面を見ていた。詳しいことは『ルポ 虐待』に記されている。読むのがつらいだろうが、一読をおすすめしたい。

彼女は中学生のときに集団レイプにあっている。しかし、父親にも母親にも、そのことを話さなかった。中学生のときから家出を繰り返した。結婚後、ふたりの子どもはしっかり育てていた。けれども、浮気をして、子どもを置いて家を出て、家に戻ると家族会議が待っていた。

■母親が書かされた「無理な内容」の誓約書

夫は離婚の意思はなく、「やり直したい」と語ったというが、彼女は「やっていけない」と口にする。「皆に責められていると感じて、その場から逃げ出したかった」のだという。彼女にも離婚の意思はなかったが、何も言えないままに夫の実家側の意向に添うかたちで離婚が決まってしまう。その場で、彼女はこんな誓約書を書いている。

・子どもは責任をもって育てます。
・借金はしっかり返していきます。
・自分のことは我慢してでも子どもに不自由な思いはさせません。
・家族には甘えません。
・しっかり働きます。
・逃げません。
・うそはつきません。
・夜の仕事はしません。
・連絡はいつも取れるようにします。

自分の意思で書いたものではなく、子どもを育てることになり、書いてと言われたものだという。「そこにいた皆から言われた気がしました」と彼女は語っている。そのとき、子どもは0歳と2歳。養育費についての話し合いはなく、彼女は父親にも母親にも頼れなかった。

どう見ても無理な内容の誓約書だ。けれども彼女は、逆らうことはできなかったという。

ここに列挙されているものは、「母親たるもの、こうあるべき」という内容だ。「こうあるべき」と彼女を縛る、「呪いの言葉」だ。その言葉に「NO」と言えないまま、彼女は子どもふたりを抱えて、孤立無援で生きていくことを余儀なくされた。

■「育てられない」とは言ってはいけないと思った

この家族会議の場で彼女は、「私には育てられない」と言ったという。けれども、「母親から引き離すことはできない」とその場にいた皆に言われた気がして、「育てられないということは、母親として言ってはいけないことだと思い直しました」と、公判で弁護士の問いに答えている。

あるべき母親像をまわりから押し付けられ、自分でもそれを引き受けなければいけないと思い、実際には引き受けられないと思いつつ、異議申し立てをできずにその場の流れを受け入れてしまった彼女。けれども、現実的な条件を欠いた中で、あるべき「母親」役割を担い続けることは、無理だった。

離婚後、名古屋に移り住んでいたときに、一度だけ彼女は行政に助けを求めている。区役所に電話をかけ、「子どもの面倒が見られないから預かってほしい」と求めたが、担当者が帰った後の時間であり、児童相談所にかけなおすようにと言われた。彼女は児童相談所に電話をかけ、「一度来てください」と言われたが、具体的な日時の指定や段取りの話はなく、その後は、みずから連絡を取ることはなかった。最初の相談先である区役所では、翌日に相談員が折り返しの電話をかけたが、彼女からの応答はなかった。

その後、彼女は大阪に移り住む。風俗店の勤務には、子どもたちを家に置いて出かけた。一審の裁判で「区役所に連絡を取る等、誰かに助けてもらおうとは思いませんでしたか」と弁護士に尋ねられた彼女は、こう語っている。

思いませんでした。誰も助けてくれないと思っていました。助けてくれそうな人は、思いつきませんでした。

■助けを求めることができないという共通点

この2010年の大阪の事件。そして、2014年に、トラック運転手の父親が借りていたアパートで白骨化した男児の遺体が見つかった神奈川県厚木市の事件。さらに、2000年に、ともに21歳の両親が3歳の女児を段ボール箱に入れて餓死させた愛知県武豊町の事件。

その3つの事件をたどってきた杉山は、武豊町の事件と大阪の事件の2人の母親と厚木の父親の3人に、過剰な「生真面目さ」という共通点があると指摘する。

この3人に共通するのは、自分自身の苦しさやつらさを感じ、そこから主体的に助けを求めるのではなく、社会の規範に過剰なまでに身を添わそうとして、力尽きてしまう痛ましい姿だ。本来なら到底実現できようもない目標を自ら設定し、達成しようとする。

3つの事件の親たちの背景をみれば、全員が子ども時代、ネグレクトや暴力的な環境で過ごしている。子ども時代には周囲の大人たちに、十分に自分の気持ちや意見を聞いてもらえないまま育った。育ちの過程で強い社会への不信を抱える。社会への不信は、自分への不信でもある。人に尊重されることを知らない。自分が周囲にものを言っていいということを知らない。環境を変える力があることを知らない。

困ったことがあるときに、相談できる相手がいること。責められ、自分だけで対処することを求められるのではなく、手を差し伸べてもらえること。そういう、安心して助けを求められる条件を欠いており、助けを求めたときに、助けが得られたという経験を欠いている人が、大きな困難に直面したときに、いきなり適切な対処能力を発揮することは、できない。

なのに、事件が起きると世間は、「なぜもっと適切に対処できなかったのか」と当人を責める。当人を責める一方で、安心して助けを求められる条件をどう整備するかには、目を向けない。

■「母親を降りる」ことも大切だ

杉山は、さらにもう一歩、踏み込む。「母親が子育てから降りられるということもまた、大切だ」と。できないことを「できない」と言えずに引き受けさせられた大阪の女性は、問題に蓋をして、見ないようにした。その先に待っていたのは、子どもの死だった。

上西充子『呪いの言葉の解きかた』(晶文社)

その女性・芽衣さん(仮名)について、杉山はこう語る。

芽衣さんは、離婚の話し合いの場で、「私は一人では子どもは育てられない」と伝えることができれば、子どもたちは無惨に死なずにすんだ。その後も、あらゆる場所で、私は一人では子育てができないと語る力があれば、つまり、彼女が信じる「母なるもの」から降りることができれば、子どもたちは死なずにすんだのではないか。そう、問うのは酷だろうか。

杉山の提案を受け入れがたいと感じる人もいるだろう。そんなことを認めてしまったら、育児放棄する女性が続出するのではないか、と。

しかし、安心して子育てができる条件を欠いている女性に対し、「母親なんだから、しっかりしなさい」と叱ったところで、問題は解決しない。そのことが薄々分かっていながら、母親に子育ての責任を押し付け、それ以上は見ないふりをする。そのとき、私たちは、果たして無関係な第三者なのだろうか。

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上西 充子(うえにし・みつこ)
法政大学 キャリアデザイン学部 教授
1965年、奈良県生まれ。東京大学大学院経済学研究科第二博士課程単位取得中退。日本労働研究機構(現・労働政策研究・研修機構)研究員を経て、法政大学キャリアデザイン学部教授・同大学院キャリアデザイン研究科教授。著書に『大学生のためのアルバイト・就活トラブルQ&A』(旬報社)など。

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(法政大学 キャリアデザイン学部教授 上西 充子 写真=iStock.com)

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