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売られた喧嘩を買わない日本外交の不可解

プレジデントオンライン / 2019年7月31日 15時15分

2019年6月29日、G20大阪サミットの機会に行われた日露首脳共同記者発表にて握手する安倍晋三(左)と、ウラジーミル・プーチン大統領(右)(写真=SPUTNIK/時事通信フォト)

賛否が沸き起こった日露の北方領土交渉。新潟県立大学の袴田茂樹教授は「日本はロシアに歴史を歪曲されても黙ったまま。根本から対露交渉を見直さなければならない」という――。

■こんな交渉ならロシアは100年でも継続してよい

日露関係を熟知している知日派のロシア人が、最近私に個人的に次のように述べた。

「ロシアは日本の交渉術が大変気に入っているようで、ロシア人は100年でも200年でも(そのような)交渉を継続してもいいと言っています。6月のG20サミットの際の日露首脳会談でも、ロシア側は難しくないことを難しく見せ、日本からさまざまなお土産をもらい、しかも領土交渉はまったく前進なしですね。日本は日露関係の歴史についても事実関係をはっきりと発信していません。『100回の首脳会談は1回の歴史的真実の発信にしかず』です。日本側がどんどん歴史を発信しないと、誰がやってくれるでしょう」

日本人は、対人関係でも対立や関係複雑化を避けるために、不満があっても直言せず、婉曲に表現することが多い。10言いたいことがあっても、3か4を述べれば、相手は推測、忖度(そんたく)して10を理解するからだ。これは、日本が島国かつほぼ単一民族で、文化や心理を共有しているから可能となるのだろう。

しかし国際社会では民族、宗教、文化、生活習慣がまったく異なる人たちが混住しており、間違いや批判すべきことがあれば、遠慮なくきちんと主張しなくてはならない。10言いたいことがあれば、時には15述べなくてはならない。外交においてもこれは常識である。

■売られた喧嘩は買うのが国際会議や外交の常識だ

数年前わが外務省のある首脳(外務副大臣)が、次のように述べた。

私は自ら学んだ教訓で「売られた喧嘩(けんか)は買わない」をモットーにしている。日本外交でも一部の近隣国から低次元の喧嘩を売られることがあるが、彼らの低い次元に降りて言い争ってはならない、と。そうしなくても、きちんと国連や国際機関に働きかければ、日本支持の国際世論を作ることができる。

しかしわれわれが「低次元の喧嘩は買わない」とか「大人の対応をする」とお高くとまっている間に、相手の「低次元の論理」が世界に浸透して、日本側が客観的な事実を伝えようとした時には、国際機関でさえもはやそれをまったく受け付けない状況が生まれる。韓国による慰安婦問題がその典型だ。国際会議や外交の場では、売られた喧嘩は買わなくてはならないのである。

■反論しなければ相手の論理を受け入れたことになる

日露関係についても、プーチン大統領(以下敬称略)やロシアの首脳、政府関係者たちが、公式的な国際会議や記者会見などで歴史を自国に都合良く歪曲して勝手放題を述べることが、目に余る。そのような場合でも、日本側は沈黙していたり、自らの見解や客観的な事実をきちんと国内・国際発信したりしないことが多すぎる。あるいは「外務省関係では抗議した」と言うが、国民も国際世論も知らされない。国際常識では、このような態度は、日本側が反論できないか、あるいは相手の論理を受け入れた、と見られる。

具体例を挙げよう。2012年3月にプーチンは、日本を含む各国の主要メディア代表を前に、次のように述べた。

「平和条約が意味することは、日本とソ連との間には、領土に関する(色丹島、歯舞群島の2島問題を除く)他の諸要求は存在しない」
「(1956年の日ソ共同宣言には)2島がいかなる諸条件の下に引き渡されるのか、またそれらの島がその後どちらの国の主権下に置かれるかについては、書かれていない」

日本の各メディアは、このときのプーチンの「ヒキワケ」「妥協」発言はクローズアップしたが、島の主権に関するこのような深刻な強硬発言は削除して伝え、日本政府もこの問題についてプーチンの間違った認識を是正する発信をしていない。ちなみに日ソ共同宣言には、島の引き渡し条件は明確にただ一つ、「平和条約締結後」と述べられている。プーチンは勝手な論で、「引き渡しも条件次第」と言いたいのだ。

■プーチン大統領は歴史を強引に歪曲した

日露間には、「択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の帰属に関する問題を解決し両国関係を完全に正常化する」という東京宣言がある。これは1993年に細川護熙首相とエリツィン大統領の間で調印された宣言だが、プーチンも大統領として2001年のイルクーツク声明、2003年の日露行動計画で東京宣言を基礎にして平和条約を締結するとの日露合意に署名している。つまり、プーチン大統領は日露間には北方四島の帰属問題が未解決の領土問題として残っていることを明確に認めていた。

しかし、2005年9月になって彼は「四島は第2次大戦の結果ロシア領となった。国際的にも認められている。この点について議論するつもりはまったくない」と述べ、歴史を強引に歪曲した。今年1月の日露外相会談の際やその後もラブロフ外相は、「第2次世界大戦の結果を日本が承認することが平和条約交渉の絶対の前提」だと述べたが、彼が強硬派なのではなく、ただ忠実にプーチン路線を踏襲しているにすぎない。

■領土交渉を抜きにした平和条約交渉はあり得ない

またプーチン大統領は、昨年9月安倍晋三首相、中国の習近平国家主席その他の国家元首も参加したウラジオストクでの「東方経済フォーラム」で、「一切の条件なしで(=領土問題と関係なく)」今年末までに平和条約を締結しよう、と安倍首相に提案した。このプーチン提案に対して首相は苦笑で応じただけだったが、政府は領土交渉を抜きにした平和条約交渉は有り得ないとのしっかりとした反論を出さず、逆に「プーチン大統領の平和条約への強い意欲の表れ」と驚くべき評価をした。もちろん侮辱されているのを取り繕う発言である。

このプーチン発言を筆者は次のように解釈する。2000年7月末に野中広務自民党幹事長(当時)が「領土問題と平和条約問題は切り離しても良い」という意味の発言をして、ロシアでも注目された。プーチンは日本側がそこまで譲歩するつもりがあるのか、ジャブを入れたのだろう。日露領土交渉に深く関わったロシアのクナーゼ元外務次官も、「では平和条約交渉で何を話すのか。ソ連時代でもこれほど侮辱的な対日対応はなかった」と述べたほどだ。

ペスコフ大統領報道官も今年3月に「日本と交渉しているのは、島を引き渡すか否かではなく(それとは関係なく)平和条約締結に関する合意だ。この交渉はたいへん複雑で何年もかかる可能性がある」とさえ述べた。難しくないことをわざと難しく見せ、プーチンの任期中に解決するつもりはなく、それこそ「いつまでも平和条約交渉をしよう」との意だが、もちろんプーチン自身の考えだ。

■歴史認識も正さず友好や交流強化を訴える日本

2016年11月にロシアのマトビエンコ上院議長が訪日した時、彼女は「四島のロシアの主権に疑いはなく、国際文書にも定められている。ロシアの立場は不変で、主権は放棄しない」と、やはりプーチンの言葉を複唱し、歴史を歪曲して勝手放題を述べた。

昨年7月に伊達忠一参議院議長がマトビエンコ氏に招かれて訪露し、彼女の司会の下でわが国の参議院議長としては初めて上院での演説の機会を得た。ロシア側の間違った歴史認識を正す絶好の機会であったが、ただ両国の友好関係や交流の強化について述べただけであった。

最近、プーチン大統領は日米安保条約からの日本の脱退が平和条約締結の条件だとか、その日米安保条約に関しても「56年宣言が署名された時は存在しなかったが、今は存在している」といった日本が受け入れるはずのないこと、あるいは初歩的に間違った認識を公然と述べている。ちなみに、1951年9月8日、日本はサンフランシスコ平和条約に調印した同じ日に米国との間で日米安全保障条約に署名し、米国との防衛面での同盟関係を確立した(翌年4月発効、1960年改定)。このような間違った発言に対しても、日本側はメディアや専門家も含めて沈黙している。ロシア人が「交渉は気に入った、100年でも200年でも続けていい」と言うのも当然だろう。

■きちんと情報発信しない政府、メディアの責任は大きい

日本の対露交渉の最大の問題点は、このようなプーチン、ラブロフ、マトビエンコなど各氏の発言が歴史の乱暴な歪曲だと分かるような正確な情報を、国内的にも国際的にもきちんと発信していないことである。

筆者は前述の2012年のプーチン発言の直後に、ロシア語で公表された原文と日本での報道の違いを指摘し、これまでそれを幾度も問題にしてきた。今日の北方領土交渉の行き詰まりは、残念なことに筆者の予想通りの成り行きだが、これは日本の政府やメディア、専門家たちがきちんとした情報発信をしていない結果でもある。このことを考えると、今後の対露政策の在り方は、おのずと明らかになるだろう。

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袴田 茂樹(はかまだ・しげき)
新潟県立大学教授
1944年大阪生まれ。東京大学文学部哲学科卒。モスクワ大学大学院に留学後、東京大学大学院国際関係論博士課程満期退学。青山学院大学教授を経て現職。専門は国際政治学。ロシア問題における日本の権威。ユーラシア研究のほか文芸論にも詳しい。『深層の社会主義』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞し、現在も同賞選考委員を務める。著書に『プーチンのロシア 法独裁への道』(NTT出版)ほか多数。

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(新潟県立大学教授 袴田 茂樹 写真=SPUTNIK/時事通信フォト)

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