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少年A「ショックレスハンマーと狂気の部屋」

プレジデントオンライン / 2019年8月1日 15時15分

神戸新聞社に送られた神戸の小学生男児殺害事件の犯行声明文と挑戦状(兵庫・神戸市)

1997年、神戸市須磨区で起こった連続児童殺傷事件。2年後、加害男性「少年A」の両親は手記を出版した。その背景には、当時『週刊文春』記者で、土佐犬と共に育ったという森下香枝氏の存在があった――。

※本稿は、松井清人『異端者たちが時代をつくる』(プレジデント社)の第6章「『少年A』の両親との20年」の一部を再編集したものです。

■真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた

一人の少年の犯罪が、社会にこれほどの衝撃を与えた例はないだろう。

第一の犯行は2月10日だった。小学校6年生の女児を、ショックレスハンマーで殴打し、加療一週間のケガを負わせる。同じ日。別の小学校六年生の女児を、またしてもショックレスハンマーで殴打。

3月16日。小学校4年生の山下彩花さんを、八角玄翁(鉄のハンマー)で2回殴打。彩花さんは一週間後に死亡する。

同日。小学校3年生の女児の腹部に、刃渡り13センチのくり小刀を突き刺し、加療約14日間のケガを負わせる。

被害者はいずれも、通りすがりの女子小学生だった。3月の犯行後につけ始めた「犯行ノート」に、少年Aはこう書いた。

〈朝、母が「かわいそうに。通り魔に襲われた女の子が亡くなったみたいよ」と言いました。新聞を読むと、死因は頭部の強打による頭蓋骨の陥没だったそうです。金づちで殴った方は死に、おなかを刺した方は回復しているそうです。人間は壊れやすいのか壊れにくいのか分からなくなりました。〉

この翌月には、「懲役13年」と題する長い作文を書いている。「13年」とは、自分がそれまで生きてきた年月を指すのだろう。その最後の段落に、Aはこう書いている。

〈人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、
俺は真っ直ぐな道を見失い、
暗い森に迷い込んでいた。〉

■「さあ、ゲームの始まりです」

犯行は、さらにエスカレートしていく。

5月24日、弟の同級生で顔見知りだった、小学校六年生の土師淳君を、通称「タンク山」の頂上に誘って絞殺する。翌25日の昼間、金ノコで頭部を切断し、自宅へ持ち帰った。

26日深夜、自分が通っていた中学校の正門前に、頭部を遺棄。自筆の声明文を、口にくわえさせていた。今も記憶に残る、あの声明文だ。

〈さあ ゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを

SHOOLL KILLER
学校殺死の酒鬼薔薇〉

6月4日には、神戸新聞社に犯行声明文を送りつける。そこには、こんな一文があった。

〈透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない〉
〈しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。〉

■自分が無価値なら他人も無価値であるべき

『文藝春秋』(2015年5月号)は、神戸家裁が少年Aに「医療少年院への送致」を命じた審判「決定」の全文を掲載した。その一部を抜粋する。

「一連の非行時における少年の精神状態、心理的状況」
1.年齢相応の普通の知能を有する。意識も清明である。
2.精神病ではない。それを疑わせる症状もなく、心理テストの結果もそれを示唆する所見がない。
3.性衝動の発現時期は正常であるが、最初からネコに対する攻撃(虐待・解剖)と結び付いた。その原因は分からない。自分の中にありながら自分で押さえられないネコ殺しの欲動を魔物と認識し、その人格的イメージに対し、酒鬼薔薇聖斗と名付けて責任を分離しようとした。
4.ネコ殺しの欲動が人に対する攻撃衝動に発展した。現実に他人を攻撃すれば罰せられるため、性衝動は2年近く空想の中で解消されていたが、次第に現実に人を殺したいとの欲動が膨らんで来た。
5.他人と違い、自分は異常であると分かり、落ち込み、生まれて来なければ良かった、自分の人生は無価値だと思ったが、次第に自己の殺人衝動を正当化する理屈を作り上げて行った。
6.それは、自分が無価値なら他人も無価値であるべきである。無価値同士なら、お互いに何をするのも自由で、この世は弱肉強食の世界である。自分が強者なら弱者を殺し支配することも許されるという独善的な理屈であった。

「現在の少年の状況」
〈被害者らに済まなかったとは思わない。償いをしたいとも思わない。もともと何時か捕まって、人を殺した自分も殺される(死刑になる)と思っていた。社会復帰なんかしたくない。このまま施設内の静かな場所で早く死にたい。
殺した二人の魂が体内に入り込んで来ていて、毎日3回位、1回40秒位、腹や胸に食い付く。締め付けるように痛い。今に自分の身体が食い尽くされる。非常にしんどく苦しいが、自分が死ぬまで出て行ってくれないだろう。〉

■両親に手記を書かせた女性記者

Aの両親との面会を実現させた森下香枝さんは、「あきらめの悪い」記者だ。

いったん取材相手に食らいついたら、ひるまない、引き下がらない、絶対にあきらめない。猪突猛進というか、エネルギーの塊というか、走り出したら止まらない悍馬(かんば)のようだ。

嚙みついたら放さないのは、実家で土佐犬と一緒に育てられたからだ、という噂もあったが、真偽は不明。まだ27歳の女性記者で、大阪の『日刊ゲンダイ』から移ってきて2年目くらいだったと思う。

持って生まれた事件記者の資質が、『週刊文春』で開花したのだろう。少年Aの事件の後も、「和歌山毒物カレー事件」や、猛毒トリカブトで話題になった「埼玉連続保険金殺人」など、数々のスクープを飛ばした。

その後、朝日新聞社に移籍。週刊誌の記者が全国紙に引き抜かれることなど、めったにない。新元号「令和」が発表された日、『週刊朝日』編集長に就任した。

忘れられないエピソードがある。

週刊誌の目次や新聞広告をつくるとき、その週の最大の目玉記事を一番右に置く。これを「右トップ」と呼ぶ。次の売り物は一番左で、「左トップ」だ。スクープを取ってくると、「これは当然、右トップですよね」とアピールしてくる記者もいる。

■中3少年“狂気の部屋”

ある校了日の朝のこと。新聞広告をチェックしていた私の席へ、森下記者が定規を持ってやって来た。何事かと思ったら、自分が担当した記事広告の寸法を測り、口を尖らせて抗議するのだ。

「なんで私の記事が、こっちの記事より7ミリも小さいんですか!」

土師淳君が殺害され、「酒鬼薔薇聖斗」の犯行声明が出されると、森下記者は自ら志願して取材チームに加わった。それからは、ほとんど神戸に居続けて、両親の親族や、代理人の羽柴弁護士へのアプローチを試みたのだ。羽柴さんの事務所に足繁く通い、何度も手紙を送って、両親に会わせてほしいとお願いする。その熱意と「あきらめの悪さ」がやがて、とてつもないスクープに繫がっていく。

森下記者が『週刊文春』に書いた記事の正確さも、アドバンテージになったようだ。逮捕を受けての第一報は、7月10日号の「中3少年“狂気の部屋”」。その中に、少年Aについてこんな証言がある。

〈「記憶力がすごくて、百人一首のテストで百点を取ったことがあった」(同級生)〉

のちに私たちが、母親から聞くことになる正確なエピソードだ。

■両親の心を動かした“印税”

ある友人は言葉につまりながらもA少年をかばう。

〈「何か物が無くなったり、事件があると、すぐ疑われる。仲間でイタズラをしていても、全部A君のせいになってしまう。みんな『あのAやったら』と納得してしまう。
A君はそんな時、自分がやっていなくても否定しないんです。でも、その時は悔しがらないのに、少ししてから、すごく寂しそうな顔をする。だから、どこかでウサは晴らしていたんだと思います」〉

この証言も、のちに事実とわかる。彼女の記事には、飛ばしや誇張がなかった。

さらに森下記者は、国内外の少年犯罪に関するさまざまな情報を、羽柴弁護士にもたらす。それが、羽柴さんと両親の気持ちを動かした。

海外では、事件を起こした人物の家族が手記を出版し、その印税を被害者や遺族への賠償に充てるケースがある。その一例として、アメリカで17人の青少年を殺害したジェフリー・ダーマーの父親が『A FATHERʼS STORY』という本を書き、印税を被害者遺族への賠償に充てた事例を克明に調べ上げ、羽柴弁護士に伝えたのだ。

土師淳君の遺族は、損害賠償を求めて少年Aとその両親を提訴していた。「被害者の遺族にさえ公開されない、家裁審判の内容を開示してほしい」という要求が、主たる目的だという。とはいえ、請求額は1億400万円。Aの両親は争わず、請求額はそのまま認められる。

山下彩花さんの遺族とは、8000万円を支払う示談が成立していた。ケガをさせた女児への示談金もある。少年Aの父親は長く勤めた会社を辞め、退職金をすべて差し出したが、それだけではとても足りない。

■『週刊文春』の異常なあきらめの悪さ

松井 清人『異端者たちが時代をつくる』プレジデント社

そこで羽柴弁護士が、本の印税専用の振込口座を開設し、被害者の遺族がいつでもチェックできる仕組みをつくる。両親が印税には1円たりとも手を付けず、全額を賠償に充てていることが、この口座で確認できるのだ。

3家族にせめてもの償いをする見通しが立ったことで、両親はついに手記の出版を決意した。

大新聞やテレビのキー局をはじめ、あらゆるマスコミが、神戸に精鋭の記者を送り込み、両親の所在をつかんで話を聞こうと、激しい報道合戦を繰り広げた。その中でなぜ、『週刊文春』だけが両親と接触でき、独占手記を取るに至ったのか、とよく聞かれる。結局は、森下記者の粘りと「あきらめの悪さ」が他社の記者を凌駕し、熱意と誠意が両親と代理人の心に届いたということだろう。

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松井 清人(まつい・きよんど)
文藝春秋 前社長
1950年、東京都生まれ。東京教育大学(現・筑波大学)卒業後、74年文藝春秋入社。『諸君!』『週刊文春』、月刊誌『文藝春秋』の編集長、第一編集局長などを経て、2013年に専務。14年社長に就任し、18年に退任した。

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(文藝春秋 前社長 松井 清人 写真=時事通信フォト)

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