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戦後の憲法解釈をダメにした「東大教授」の方便

プレジデントオンライン / 2019年8月20日 9時15分

戦中は体制迎合的な言説を繰り返し、新憲法制定時には反動的な「松本案」を起草した宮沢俊義・東京大学教授。だがひとたび日本国憲法が制定されると、「八月革命論」という謎の理論で憲法解釈の主流派を形成していく——終戦時の国会議事堂とその周辺 - 写真=時事通信フォト

日本国憲法がアメリカ人によって起草されたことは歴史上の事実だ。しかし日本の憲法学者たちは「敗戦によって天皇制の神権主義から国民主権主義への転換という『革命』が起こった。それが日本国憲法の成立の法理だ」と主張する。東京外大の篠田英朗教授は「こんな荒唐無稽な解釈が受け入れられるのは日本だけだ」と指摘する——。

※本稿は篠田英朗『憲法学の病』新潮新書の一部を編集部で抜粋・再編集したものです。

■「八月革命論」というアクロバット

日本の憲法学のガラパゴス的な性格を決定づけたのは、宮沢俊義(編集部注:1934~1959年、東京帝国大学法学部教授、憲法学第一講座担当)の「八月革命」説であろう。「八月革命」とは、日本がポツダム宣言を受諾した際に、「天皇が神意にもとづいて日本を統治する」天皇制の「神権主義」から「国民主権主義」への転換という「根本建前」の変転としての「革命」が起こったという説である(注1)。この「革命」があったからこそ、日本国憲法の樹立が可能になったという。

かなり荒唐無稽な学説である。敗戦の決断であったポツダム宣言受諾を、革命の成就と読み替えるのは、空想の産物でしかないことは言うまでもない。国際的に全く通用しない学説であるばかりではない。日本国内ですら、かなり特殊な社会集団の中でしか通用しない学説だろう。

宮沢は、「法律学的意味における革命」が起こったという説明が、日本国憲法成立の法理のために必要だ、と主張し続けた(注2)。しかしその宮沢自身ですら、ポツダム宣言によって「日本の政治は……国民主権がその建前とされることとなった」とするだけで、「国民」がどのような「革命」を起こしたのかを説明することはしなかった(注3)。「革命」とは、しょせんは「根本建前」のレトリックの話でしかなかったことを、宮沢は認めていた。

しかしそれでも宮沢の弟子筋の憲法学者の間では、「八月革命」説は非常に強く支持されてきた。旧憲法から日本国憲法への改正は不法であって無効だと論じられる、と示唆した大石義雄・京都大学教授は退けられた。そして宮沢の弟子にあたる芦部信喜は、「八月革命」説を擁護し続けた(注4)。佐藤幸治・京大教授の広範な「八月革命説」批判も退けられた。そしてやはり宮沢の弟子たちが、「八月革命」を擁護した。「憲法成立の事実経過の説明とみるならば、難点がないわけではない」が、「成立の法理を説くものとしては妥当」だとされた(注5)

(編集部注:今なお憲法学テキストの定番とされる)芦部信喜の『憲法』によれば、「八月革命」説とは、「国民主権を基本原理とする日本国憲法が明治憲法七三条の改正手続で成立したという理論上の矛盾を説明する最も適切な学説」である。「八月革命」説によって、日本国憲法が「国民が制定した民定憲法である」ことがわかる。ただし「明治憲法との間に形式的な継続性をもたせることは、実際上は便宜で適当であった」だけにすぎない。だから明治憲法と日本国憲法との間に「法的連続性」はないのだという(注6)

■日本国憲法の「アメリカの影」を覆い隠す

果たしてこれは法律家らしい首尾一貫した説明だろうか。「便利だったからやっただけ」で、日本国憲法の正当性に問題はないが、日本国憲法を成立させた明治憲法改正手続きは成立していない!? 芦部のこの「便宜で適当であった」という「八月革命」の描写は、いったい何を意味しているのか。イデオロギー的に導き出したい結論を導いたかのように見せかけるだけの中身のない装飾だということではないのか。

事実とは異なるが、法理を説明するには便利、というのは、要するに、結論先にありきの状況の中で、都合よく使える方便でしかない、ということだ。普通であれば、そこまであからさまな方便であれば、あまり信用されない。しかし「八月革命」説が際立っているのは、その現実から乖離した内容にもかかわらず、狭義の憲法学界を越えてすら、支持を受けたことだ。

「八月革命」のアイディアを宮沢に示唆したのは、丸山眞男だったと言われる。事の真偽はともかくとして、「八月革命」説は、「護憲派」の強力なイデオロギー的支持を受けた。「八月革命」は、嘘(うそ)と言ってもいいほどの次元のフィクションであったが、イデオロギー的な理由により、かえって熱烈なファンを獲得した。

アメリカの影を拒絶しつつ、憲法を正当化する「八月革命」の含意が、憲法学者には非常に便利に感じられたのだろう。だがそこに、日本の憲法学が、現実の国際社会との接点を見失い、ガラパゴス化していく、大きな罠(わな)があった、とも言える。

■戦時中は体制迎合、戦後は「護憲派の旗手」

宮沢は、戦時中は体制迎合的な言説を繰り返していた(注7)。宮沢の師である美濃部達吉が1935年「天皇機関説事件」で迫害されている時期、宮沢は沈黙していた。それどころか、時局迎合的な言説を繰り返していた。宮沢は、1941年12月8日の日米開戦を、「最近日本でこの日くらい全国民を緊張させ、感激させ、そしてまた歓喜させた日はなかろう」という気持ちで迎えた。「とうとうやりましたな、……来るべきものがつひに来たといふ感じが梅雨明けのやうな明朗さをもたらした……。この瞬間、全国の日本人といふ日本人はその体内に同じ日本人の血が強く脈打つていることを改めてはつきりと意識したに相違ない。……それから息を継ぐひまもなく、相次ぐ戦勝の知らせである。……気の小さい者にはあまりにも強すぎる喜びの種であつた」などと描写していた(注8)

宮沢は、さらに書いていた。もし英米諸国が正しく、日本が「アジヤをアングロ・サクソン国家の手から解放し、アジヤを真にアジヤ人のものたらしめようとすることが国際正義に反しているといふのであれば、アジヤの大部分は永遠にアングロ・サクソン国家に仕える奴隷としてとどまらなくてはならぬ理屈である。……だいたいアングロ・サクソン人くらい虫のいい人種はない。……アングロ・サクソン人のかういふ虫のいい考へが根本的に間違つていることをぜひ今度は彼らに知らせてやる必要がある。……願はくはこのたびの大東亜戦争をしてアジヤのルネサンスの輝かしき第一ページたらしめよ」(注9)

戦時中にこうした言説を行っていた宮沢俊義という憲法学者こそ、戦後は護憲派の旗手として日本の憲法学界で絶大な影響力を誇り続けた人物である。憲法9条は絶対平和主義の条項だとして、(あたかも自分はそうではなかったかのように)戦前の軍国主義者の復活の阻止を声高に唱えながら、世界の国々は日本を模倣せよ、と訴えた人物である。この宮沢こそが、アメリカ人が起草した憲法を、ドイツ国法学の概念構成で読み解く日本の憲法学の伝統を開始した人物である。

■国際法や英米法に沿った解釈を憲法学者がなぜ憎むか

今日、国際法に沿った憲法解釈、そして英米法の伝統を参考にした憲法解釈を行うと、憲法学者らが一斉に、「そんなことをしたら日本はアメリカの属国になる」などとイデオロギー的な反発を見せるのは、理由のないことではないのだろう。憲法解釈の論理的整合性を犠牲にしても、反米運動の道具として憲法を使うことこそが、日本の憲法学のDNAに刷り込まれた一大目標なのだ。

宮沢は、誰よりもアメリカ人が日本の憲法を起草したという事実を憎んでいた。ポツダム宣言の際に主権を握った国民が、憲法をつくった、という奇想天外な理論である八月革命説を信じるためには、「八月革命を信じなければ、日本はアメリカの属国になる」という強迫観念を、まず信じ込まなければならないのである。

■アメリカに憲法を書かせた張本人

実は宮沢は、終戦後の1945年末の段階ではなお、ポツダム宣言を考慮しても新憲法は必要ではない、大日本帝国憲法の適正運用で充分だ、という立場をとっていた。幣原喜重郎首相の内閣に設置された「松本委員会(憲法問題調査委員会)」の主導的な委員として守旧的な改正憲法案を起草したのは宮沢だった。そのあまりに保守的な内容でGHQ(連合国軍最高司令部)を焦らせて、GHQ独自案の起草に踏み切らせたのは、宮沢であった(注10)。宮沢は、逆説的な意味でのみ、日本国憲法の生みの親であった。

篠田英朗『憲法学の病』(新潮新書)

その宮沢は、1946年2月に、GHQが起草した憲法改正草案要綱を見たとき、態度を変えた。「国民主権主義」を掲げて、新しい憲法を擁護する立場に舵を切り、後に「一つの人格が崩壊して別の人格が誕生した」とまで評されるようになった(注11)

「八月革命」という奇妙な学説は、日本国憲法がアメリカ人によって起草されたこと、つまり日本国憲法がアメリカの憲法・政治思想の影響下にあることを覆い隠すための方便だった。「八月革命」とは、アメリカの影を追い払う政治工作の物語を確立するための措置だった。

それにしても、この宮沢の措置の帰結として、憲法9条の解釈までもが、反米主義のガラパゴス的なものになってしまったのは、非常に残念なことであった。

■葬られた「国際法秩序の中の憲法」論

宮沢の「八月革命」は、真の主権者が危機において出現する、といったカール・シュミットの決断主義にむしろ近い。シュミットの影響は、丸山眞男が「八月革命」のアイディアを示唆したというエピソードとも合致する。丸山の出世作「超国家主義の論理と心理」は、宮沢の「八月革命」論文と同じ1946年5月に公刊された論文だったが、丸山が議論の基盤としていたのは、カール・シュミットであった(注12)

しかし、それにしても日本国憲法誕生の法理として密かにナチスとの関係も深かったシュミットが導入されていたことは、戦後の憲法学の発展の裏に潜む「出生の秘密」と言ってよい一大問題だ。

宮沢は、法哲学者・尾高朝雄との間で、1947年から49年にかけて主権をめぐる有名な論争を行った。「ノモスの主権」で知られる尾高は、戦後の日本において、「国民主権主義と天皇制との調和点」を模索すべきだと考えた。ノモスとは「政治の矩(のり)」であり、「政治の方向を最後的に決定するものを主権というならば、主権はノモスに存しなければならない」。尾高は述べる。「私の主張を……直接にいうならば、それは、主権否定論であり、主権抹殺論である」(注13)

実は尾高の議論は、今日であれば「国際的な法の支配」とでも呼ぶべき立場を擁護するものであった。尾高は「国際法の窮極に在るもの」としての「国際法を破ることなくして国際法を作らうとする力」が作り出す「新たな国際法秩序」を構想しようとしていた(注14)。しかし憲法を、国際秩序の中で構想しようとした尾高は、宮沢の弟子たちに「敗者」の烙印を押された。

■虚構の自作自演の上に立つ憲法学通説

この尾高の立場を、「八月革命」の国民主権論で打ち破ったとされた宮沢は、結果として、国際社会に背を向けたガラパゴス的な憲法論の普及に大きく寄与した。宮沢は、ポツダム宣言受諾時に「革命」を起こしたという謎の「国民」概念を導入することによって、結果として抽象理念の世界にのみ存立する極度に観念論的な国民国家主義を作り上げた。

明治時代から続く日本の憲法学のドイツ国法学との強いつながりは、第2次世界大戦後に新しい段階を迎えたが、裏口から迎え入れたシュミットによって、変則的な形で存続した。葬り去られたのは、国際主義の性格を持つ憲法論だった。「八月革命」によって、アメリカの影も封印された。憲法学通説が描き出す憲法は、日本国民の虚構の自作自演の「決断」・「革命」の芝居を通じて、閉ざされた法理の世界に生きていくものとなった。

(注1)宮沢俊義「八月革命と国民主権主義」『世界文化』第1巻第4号(1946年5月)、68~69頁。
(注2)宮沢俊義「日本国憲法生誕の法理」宮沢俊義『憲法の原理』(岩波書店、1967年)所収、388頁。
(注3)宮沢俊義『憲法』(勁草書房、1951年)、15頁。
(注4)芦部信喜『憲法制定権力』(東京大学出版会、1983年)、114~115頁。
(注5)野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ』第5版(有斐閣、2012年)、64~65頁。
(注6)芦部信喜、『憲法』30~31頁。
(注7)岩井淳「宮澤俊義──戦時体制下の宮澤憲法学」小野博司・出口雄一・松本尚子(編)『戦時体制と法学者──1931~1952』(国際書院、2016年)、高見勝利『宮沢俊義の憲法学史的研究』(有斐閣、2000年)、第2章。参照。
(注8)宮沢俊義『東と西』(春秋社、1942年)、114~115頁。
(注9)宮沢『東と西』、116、117、122、123、124、125頁。
(注10)佐藤達夫『日本国憲法成立史』第一巻(有斐閣、1962年)、457―458頁、第二巻、718~726頁。
(注11)江藤淳「“八・一五革命説”成立の事情──宮沢俊義教授の転向」『諸君!』14巻5号、1982年5月号、29頁。
(注12)C・シュミット(田中浩・原田武雄訳)『政治的なものの概念』(未来社、1970年)、C・シュミット(田中浩・原田武雄訳)『政治神学』(未来社、1971年)、篠田『集団的自衛権の思想史』第1章、などを参照。
(注13)尾高朝雄「ノモスの主権について」尾高朝雄『法の窮極にあるものについての再論』(勁草書房、1949年)所収、43、63頁。
(注16)尾高朝雄『法の窮極に在るもの』(有斐閣、1947年)、304頁。

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篠田 英朗(しのだ・ひであき)
東京外国語大学教授
1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程修了、ロンドン大学(LSE)大学院にて国際関係学Ph.D取得。専門は国際関係論、平和構築学。著書に『国際紛争を読み解く五つの視座 現代世界の「戦争の構造」』(講談社選書メチエ)、『集団的自衛権の思想史――憲法九条と日米安保』(風行社)、『ほんとうの憲法―戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)など。

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(東京外国語大学教授 篠田 英朗)

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