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写経に瞑想、仏教体験で癒やされる高野山の旅

プレジデントオンライン / 2019年8月25日 11時15分

丹生都比売(にうつひめ)神社

平成27年に開創1200年を迎えた和歌山県の高野山。令和元年の今年は、「紀伊山地の霊場と参詣道」世界文化遺産登録15周年でもあります。高野山には歴史や文化に対する学びをはじめ、宿坊や精進料理、写経や瞑想など非日常な仏教体験による新しい発見がたくさん。魅力いっぱいの高野山の旅をご紹介します。

■もっと知的な旅にするための、高野山5つの基礎知識

高野山を旅する前に知っておきたい、基礎知識をまとめました。

1.空海が開創した真言密教の修行の地

高野山は今からおよそ1200年前、平安時代前期の弘仁7年(816)に、弘法大師・空海によって開かれた真言密教の学びの場です。

2.高野山という山はない

実は「高野山」という山はありません。地理的な意味で“高野山”を捉える場合、標高約1000メートル級の山々に囲まれた、東西約5キロ・南北約3キロの平地一帯を高野山と呼んでいます。

3.2つの聖地がある

真言密教修禅の中核の地である「壇上伽藍(だんじょうがらん)」、そして承和2年(835)に入定した、空海の御廟(ごびょう)とその参道が続く「奥之院」が二大聖地となっています。

4.52の宿坊がある

山内には117の寺院があり、そのうちの52カ寺が宿泊施設を備えた宿坊です。南北朝時代から江戸時代にかけて修行僧や信者を泊める宿として機能し、現在では、一般の参詣者も受け入れるようになりました。

5.高野山に伝わる瞑想法がある

高野山には、「阿(ア)」を観じる瞑想法、阿字観があります。阿字はサンスクリット語の第1字母で、真言密教では重要な仏さま(宇宙のすべて)を意味する文字。阿字観瞑想は、宇宙全体とのつながりを観察する行であり、一般の人でも実践可能な瞑想法として、空海が確立しました。

■高野山を守る女神の存在を知ろう

高野山開創を語る上で、まず知っておきたいのは丹生都比売(にうつひめ)神社の存在です。山麓に鎮座する丹生都比売神社は、約1700年以上前に創建された古社であり、地主の神。空海を高野山へ導き、その地を授けたお社と伝わります。

伝承によると、空海が密教の修行の地を探す旅をしていたとき、白い犬と黒い犬の2頭を連れた猟師に出会います。空海が事情を話すと、狩人は2頭の犬を放ち、犬たちにその場所を案内させました。

空海が険しい山中に入ると、今度は目の前に美しい女神が現れ、空海はその女神から高野山を譲るというご宣託を授かります。女神は高野山の地主の神、丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)でした。そして2頭の犬を貸してくれた猟師は、自分の御子である高野御子大神(たかのみこのおおかみ)=狩場明神だと説明されます。そして空海はさらに山中を進むと、目の前に幽すいな平地が出現。この地こそ探していた場所にふさわしいと判断し、ここに高野山開創の決意をしたとされます。

すず姫号
すず姫号

空海を案内した2頭の犬は、和歌山県原産の紀州犬だったと言われています。2017年12月、丹生都比売神社に1頭の「ご神犬」が奉献されました。真っ白な紀州犬の「すず姫号」です。毎月16日に行われる「月次祭」にてお披露目されています。ぜひ、愛らしい「すず姫号」に会いに行ってみませんか?

※2019年9月・10月はお休み。その後の詳しい日時は事前にご確認ください。

丹生都比売神社
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230
ホームページ

■密教の世界観を感じよう

奥之院と並び、高野山の二大聖地のひとつである「壇上伽藍(だんじょうがらん)」。高野山の中心に位置し、真言密教の中核をなす一大建造物群です。その中でひときわ目を引くのが、朱色の「根本大塔(こんぽんだいとう)」。高さ約48メートルという日本初の多宝塔です。真下に立って仰ぎ見れば、その大きさに驚くでしょう。

根本大塔内の様子

塔内に入ると、きらびやかな色彩の立体曼荼羅の世界が広がります。奥深い密教の世界観を空海が視覚化したものです。中央にご本尊の胎蔵大日如来像、その四方に金剛界の四仏、そして五仏を囲むように柱には十六大菩薩が描かれています。

■奥之院参道を歩き、日本の歴史をたどろう

空海の御廟(ごびょう)がある奥之院は、高野山で最も神聖とされる場所です。承和2年(835)、空海は印を結び永遠の瞑想行に入りました。

奥之院入り口の一の橋

御廟へ向かう約2キロの参道両脇には、高くそびえる大杉と大小20万基を超える苔むした石塔が並びます。

名もなき者の墓から、豊臣秀吉や織田信長など、誰もが知る歴史上の人物の供養塔、そして法然や親鸞など宗派の枠を超えた名僧の墓標も並び、その多様さに驚くはずです。あらゆる存在を尊重し、包み込む密教の曼荼羅の世界が、ここ奥之院にも現れています。

御廟の橋。参道を終えると、いよいよ空海が入定した大師廟のある聖域へ。一礼し、脱帽。この橋からは撮影禁止です。

奥之院には、“空海は今でも生き続け、私たちの幸せを祈り続けている”、という弘法大師信仰があります。また一方で、釈迦入滅後の56億7000万年後に弥勒菩薩が降臨し、人々を救済するという未来への弥勒菩薩信仰があり、空海は弥勒菩薩と一緒にこの世に現れると信じられています。

時空を超えた壮大な聖域に、時の権力者・藤原道長も参詣に訪れました。それをきっかけに、高野山は天下の霊場として名を馳せます。また、道長の娘の彰子(上東門院)が出家のために剃髪し、奥之院に髪を納めたことで、貴族や大名を中心に、納骨や建碑の風習が広まりました。

戦国時代になると、常に死と隣り合わせだった武将たちは、心のよりどころとして高野山に深い関心を寄せました。奥之院に石塔を建て、死後の安らぎを願ったのです。

■奥之院に眠る戦国武将たち

戦国期〜江戸期にわたり、約200もの大名家が墓所を建立しているという奥之院(高野山教育委員会調べ)。かつて敵味方に分かれて戦った武将たちも、同じ地に眠っています。名だたる戦国武将の供養塔の一部をご紹介しましょう。

武田信玄・勝頼、上杉謙信・景勝の墓所
(左)武田信玄・勝頼の供養塔/(右)上杉謙信・景勝の墓所。木造建築の霊屋となっている。
石田三成の五輪塔は、生前に自身で建立
石田三成の五輪塔は、生前に自身で建立。
織田信長の供養塔
織田信長の供養塔。比叡山延暦寺を焼き討ちにした信長は高野山も攻撃したが、「本能寺の変」が勃発し、織田軍は撤退。高野山は難を逃れた。
信長の家臣、明智光秀の供養塔
信長の家臣、明智光秀の供養塔。何度新しくしても、中央の丸石にひびが入ってしまうという不思議な伝承がある(右)。
豊臣家一族の供養塔群
(左)豊臣家一族の供養塔群。/(右)徳川家康の次男、結城秀康とその母の廟所。二棟並んだ石造りで、国の重要文化財に指定されている。
徳川二代将軍の秀忠夫人、お江の供養塔
徳川二代将軍の秀忠夫人、お江の供養塔。奥之院で最も大きな五輪塔で、「一番石」と呼ばれている。

■宿坊に泊まり、心身ともにリフレッシュしよう

遍照尊院
創建は弘仁年間という歴史ある遍照尊院(へんじょうそんいん)。弘前藩主津軽家と檀縁関係にあった宿坊。

高野山には、現在117の寺院があり、そのうち52カ所が宿泊施設を備えた宿坊です。もともとは僧侶の住居である僧坊の一部を利用して、修行僧や参拝者を泊めていたことがはじまり。戦国時代から江戸時代には、大名や豪族が高野山の寺院を菩提寺とし、宿坊契約を結びました。現在では、一般の参詣者も利用できます。

ひと言で“宿坊”といっても、規模や設備など実にさまざまです。部屋にはテレビは置かず、純日本風のお寺らしさを大切にした宿坊から、旅館並の設備を完備した宿坊もあります。旅館でいえば仲居さんが担う仕事を、宿坊では僧侶や修行僧が担っています。身の周りの世話をしてくれるのは、作務衣姿の若いお坊さん。キビキビした身のこなしに、思わず心を打たれるかもしれません。

宿坊の醍醐味は、朝の勤行への参加や朝・夕の精進料理などの仏教体験です。宿坊によっては写経や阿字観なども体験できるので、予約する際に確認するとよいでしょう。

高野山の宿坊は精進料理も多様。豪華な精進懐石料理が自慢の宿もあります。

宿坊を選ぶ際は、部屋の設備・精進料理・仏教体験の3つのポイントをおさえましょう。

■江戸時代の信仰を示す五輪塔発見!

山内の寺院である圓通寺(えんつうじ)から、16の木箱に収められた約1万5218基という多数の木製五輪塔が見つかったというビッグニュースが、高野山文化財保存会から発表されました(2019年7月1日)。

箱には「天保七年」と記されており、江戸期の高野山信仰の貴重な資料として、今後の研究が期待されています。

収蔵先は、山内に伝わる貴重な仏像や仏画などの文化遺産を、管理・保護している高野山霊宝館。現在、「第40回大宝蔵展高野山の名宝―きらめく漆工の美」(後期9月3日〜10月6日)を開催。同時に、木製五輪塔「八万四千宝塔(はちまんしせんほうとう)」の一部、約500点も初公開されています。ぜひこの貴重な機会に足を運んでください。

高野山霊宝館
和歌山県伊都郡高野町大字高野山306
ホームページ

歴史の重みを知り、先人たちに感謝し、仏教体験で心身ともに清らかになる。そんな学びと癒やしの高野山の旅へ、出かけてみませんか。

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吉田 明乎(よしだ・あきこ)
編集者・ライター
茨城県生まれ。働く女性のライフスタイルを軸として、国内の旅をはじめ、寺社仏閣への旅も多く取材&執筆。令和元年より全日本仏教会の広報委員会委員。著書に『高野山に伝わるお月さまの瞑想法』(祥伝社黄金文庫)などがある。

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(編集者・ライター 吉田 明乎)

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